2018年9月27日

何を言いたいか、これで分かってもらえるでしょうか。

北朝鮮というジレンマ──どうやって乗り越えるか

まえがき

第一章 ジレンマの発生
1、前史──ソ連崩壊による安全保障環境の激変まで
2、第一次核危機と「米朝枠組み合意」
3、第二次核危機と六か国協議
4、賞賛されるべき米朝両国の努力

第二章 ジレンマの連鎖
1、非核化に潜むジレンマ
2、「体制保証」のジレンマ
3、非核化と体制保証のジレンマ
4、周辺国のジレンマ

第三章 ジレンマの底流
1、「ヒトラーの体制でも保証するのか」という問い
2、「ナチスよりまし」とは言えない実態
3、ジェノサイドでなくてもポリティサイド
4、「体制を保証してはならない」という勧告

第四章 ジレンマの克服
1、他国には期待できない
2、体制を保障するが改革もする──日本は大先輩
3、核問題で本当の橋渡しをできる可能性がある
4、国交正常化、経済援助と拉致問題の解決

あとがきに代えて──我が体験的北朝鮮論

2018年9月26日

 ようやくです。でも、この仕事でむちゃ忙しかった期間に、2か月弱で書き上げたんですから、上出来でしょう。これを出してくれる出版社の編集者と、別の出版社の編集者だけど北朝鮮問題に造詣の深い方に送り、ご意見を頂くことにしました。

 ああ、とはいえ、一つ書いていない箇所があります。本筋と関係ないところで、「あとがきに代えて──我が体験的北朝鮮論」というところです。ここは、私の北朝鮮論がどうやって形成されてきたかを、まさに体験的に書くものです。

 私の最初の朝鮮半島問題の体験は、小学校6年の社会の授業でした。先生が教科書にある図表を指して、「ここから何が読み取れるか」と聞いたんですね。横軸に戦後のいろいろな出来事が書いてあって、縦軸は日本のGNPがどう増えていったかのグラフでした。

 私は「はい、先生」と言って手を挙げ、「朝鮮戦争の時から日本の経済がグンと伸びています。この戦争が日本の国民の暮らしを良くしてくれたんですね」と答えました。まあ、それは正解だったんですが、まだ何も知らない子どもでした。

 そのあと、朝鮮半島は南北で国が分かれているが、このままでいいかそれとも一緒になったほうがいいかでディベートをすることになり、私は「このままでいい」グループに入って「論陣」を張ったのでした。テレビで韓国の人が日本語をしゃべっているのを聞くと、「わあ、日本語はどんなに知られているんだ」などと、なんだか誇らしげな気持ちになったりしてね。

 高校の頃は、世界史も日本史も好きで、めざしていた大学が論文式の問題を出すところだったので、岩波新書などの歴史書を読みあさりましたから、朝鮮半島問題ではそれなりに理解していたつもりです。ただ、親しい友だちが在日の方とつきあっていたのですが、親にばれて無理矢理仲を引き裂かれた時、何もしてあげられなくて、紙で得た知識が役に立たないという現実を突き刺されたような気持ちでした。

 大学に入ると、朝鮮大学校が近くにあったんですね。それでまだ北朝鮮幻想が左翼にも広く残っている時代で、「チュチェ思想研究会」などもあったんですね。私は入らなかったけれども、講演を聞きに行ったりすると、朝鮮大学校の学生もいたりして、話すこともありました。

 その会話を通じて、違和感がふくらみました。朝鮮半島の北部がどんなに貧しく、寒く、開発がされていないかをすごく強調するんですね。それで少しは感心して話を聞いていると、「そういう遅れた地域だったのに、金日成主席のおかげでこんな立派な国になった」という自慢話になるわけです。「それを言いたいための話だったのか」とがっかりしたことを記憶しています。

 ま、本格的な体験は、大学を卒業してからでした。それはまた別の機会に。

2018年9月25日

 昨日から東京。本日はずっと自衛隊の第一線医療について深めている。

 第一線医療というのは、要するに戦時における戦闘現場での医療のことである。昨年亡くなった元自衛官の泥憲和さんが、弊社刊の『南スーダン、南シナ海、北朝鮮──新安保法制発動の焦点』で、南スーダンに派遣された自衛官のことを次のように語っている。

 「自衛隊の救急救命体制の貧弱さについて……PKO隊員の個人携行救急キットには、受傷した場合に必要な薬剤や備品が入っておらず、衛生隊員も資格がないため満足な救命措置を施せません」

 「救急体制だけではありません。……防弾ジャケットは一昔前の仕様です。銃弾に弾かれた石ころなどで目を負傷しないためのゴーグルは他国軍では標準装備ですが、自衛隊員は持っていません」

 日本有事ではなくPKOだからそうなのかというと、そうではない。日本有事でも同じなのだ。防衛省はある会合のなかでこう説明していると、これも泥さんが明らかにしている。

 「例えば、個人携行救急品を全隊員分確保した場合、約一三億円が必要となるが、限られた予算においては現実的な金額ではない」

 イージスアショアに何千億円という報道を見ると、日本政府はいったいどこを向いているのかという疑念が湧いてくるのを抑えることができない。自衛隊が海外に行かないことを前提にしても、こういう状態を放置しておいていいはずがない。

 政府も何もしていないわけではない。何年か前、「防衛省・自衛隊の第一線救護における適確な救命に関する検討会」というのができた。そこで、砲弾が飛び交うような状況下においては、看護師や医師を派遣することにならないから、現場の自衛官が救急救命措置をとれるよう(心肺停止のものがいれば気道確保のための管を挿入したりしなければならない)、制度を改正することとなった。

 ただ、制度が改正されたからといって、突然スムーズに進むことはない。だってまず、砲弾で負傷した人を治療した経験は自衛隊にはない(もちろん民間の医師にもない)。一番あるのはヤクザが発砲事件を頻繁に起こす地域の医師だと言われている。どうやって経験を積ませるのかという大問題がある。戦争を起こして経験を積むというわけにはいかないのだから。

 また、そういう戦闘地域では、医療と戦闘行為のどちらを優先させるかという問題も生じる。戦闘で勝たなければ医療を施すこともできないような状況である。しかし、倫理的には、死にそうになっている人を優先的に助けたいという気持ちが生じるだろう。

 そういういろいろな問題に日本は目をつぶってきたわけだが、自衛隊を「加憲」することが焦点になる政治状況において、自衛隊をめぐるいろいろな問題が提起されてくる。護憲派にこれに対する回答がないと、乗り切っていくことはできないだろう。

2018年9月21日

 昨日、久しぶりの出勤で、たまっていた仕事をひーこらこなしているうちに、ブログ書くのを忘れていました。まあ、こんなこともあるでしょう。

 世の中では、いろんな大きな出来事がありますよね。だけど、どれも評価を断定することが難しいことばかり。

 朝鮮半島の南北首脳会談にしても、南北間で緊張緩和のいろんな措置で合意したことは大事だと思います。是非、実現してほしい。

 だけど、過去、南北間の合意はいろいろあったんだよね。だけど、どれもやがては崩壊していきました。

 文在寅大統領が平壌を訪問したことも肯定的に捉えています。だけど、自分的に言うと、金大中大統領が訪問したときのほうがずっと衝撃的で、期待を持っていたように思います。

 当時、このことをきっかけに、「北東アジアで平和の激動が始まった」として、「もう軍事力の時代ではない」「自衛隊なんか必要ない」と確信するにいたった野党政治家もいました。その結果、自衛隊問題を克服するのに、どんなに時間がかかったことか(まだまだ克服とは言えませんが)。今回、同じようなことにならないか、私としてはかなり心配しながら見ています。

 自民党の総裁選挙の結果だって、どう見るか、複雑だと思います。石破さんの善戦を「国民世論の反映」と前向きに捉えるむきもありますが、果たしていいんでしょうか。

 いや、私自身は、石破さんを安倍さんよりも肯定的に捉えています。慰安婦問題をはじめとする歴史認識問題でも、よく知られてはいないけれど、考え抜いた対応をしています。

 だけど、国民の「石破像」というのは、9条2項の廃棄を主張していることも含め、「安倍さんより右」というものでしょう。その石破さんの善戦を「国民世論の反映」と捉えることは、国民は「安倍さんより右」の政治を望んでいるということにならないのでしょうか。

 まあ、そこではなくて、石破さんの「地方創生」の主張などが「国民世論の反映」だというなら、理解できないではありませんが。少しはね。

 さて、いずれにせよ、秋は改憲が課題ですね。頑張らなくちゃ。

2018年9月19日

 広島に来ています。大学一年の時に原水爆禁止世界大会に参加して以来、学生の頃は七年間毎年参加したし、その後もほとんど広島か長崎には毎年行っていました。出版社に入ってからも欠かしたことはありません。ところが今年、あまりの忙しさに、とうとうパスしてしまったんですね。

 偶然、これまでつながりのなかった方から本をつくりたいとご相談があり、「これを逃しては今年一度も行けない」と思って、やってきた次第です。良かった。

 被爆者の相談にずっとのってきたソーシャルワーカーのグループです。原水禁運動も被爆者団体も分裂するなかで、どちらとも関係をもち、被爆者の相談にのってきた方々。どちらからも、「あなたたちは、「あちら側ですよね」」と言われながら。

 来年夏に出版予定。いつも8月6日、9日を前にして本が必ずできあがるのですから、不思議ですよね。

 本日は、仕事が終わったあと、恒例行事。原爆資料館経由で、慰霊碑と原爆ドームをまわってきました。

IMG_0697

 資料館の売店では、新顔が登場してました。「この世界の片隅に」のお菓子。マンガも映画もテレビも良かったから、売れていることでしょう。

 それで、全然関係ないんですけど、私が編集長職を降りたとして、個人で開設するブログの名前、それをパクりました。

 本日のブログのタイトルですよ。「出版界の片隅で」。どうかなあ。暴言を吐いているようで、実は気の弱くおとなしい素顔が出ていないかなあ。

 サブタイトルが大事かな。「超左翼おじさん・最後の挑戦」。これだと悲壮かなあ。超左翼おじさんの再挑戦」。ううん。おとなしく「超左翼おじさの挑戦」かな。

 明日は一週間ぶりの本社出勤。いろいろたまっています。