2015年10月16日

 「新聞」って、読んで字のごとく、「新」しいことを「聞」かせてくれるところに存在意義がある。何が新しくて何は従来通りなのか、そこを判断できるようでないと、読者にとってはつまらない。

 共産党の志位さんが行った昨日の外国特派員協会における講演に関する報道を、そういう角度で見た。そうすると、100点満点をつけられる新聞は一つもなかった。

 講演の内、冒頭部分(質疑応答を除く)は、本日の「赤旗」に詳報がある。そこには、これまでの方針と異なるところ、すなわち新しい部分はない。

 それなのに、「国民連合政府」では安保条約に対する態度を棚上げすることを、あたかもニュースであるかのように報じるのは、少し記者の勉強不足。以前のブログ記事で書いたとおりであるし、そこでリンクしているように、不破さんなんかがずっと前から言ってきたことだ。

 問題は、こんなことが「ニュース」だと捉えられるほど、これが共産党の基本的な態度だと分かってもらえていないことだ。政権入りのためには基本方針を変えるのも辞さずみたいにとらえられることは、有権者がこの問題を判断する上でというか、共産党にとってプラスなのかマイナスなのか、なかなか難しいと思うのだけれどね。

 それはさておき、本当のニュースは、質疑応答部分にある。それが赤旗に出るのか出ないのか、出るとしても全文が出るのかは分からないけれど、「産経新聞」が全文を出しているので、関心のある方はご一読を。

 ニュースの一つは、さすがに「朝日新聞」と「京都新聞」(おそらく共同の配信)は気づいたようだ。安保問題は凍結し、棚上げするが、現行の法律で対応するということから、日本が侵略された場合には、在日米軍と自衛隊との共闘対処も可、という部分である。

 「先ほど私は日米安保条約を凍結するというのは戦争法の廃止を前提にした上で現行の法律と条約の枠組みで政府としては対応すると言った。だから自衛隊の運用は現行の自衛隊法、戦争法が可決される前の自衛隊法で運用することになる。日米安保条約にかかわる問題も、現行の条約の枠内で対応することになる。現行の日米安保条約第5条に、日本が武力攻撃を受けた際には共同で対処することが述べられている。この条約で対応することに政府としてはなる。」

 これは、本当に踏み込んだ態度表明だと思う。共産党がここまで来るとは、さすがの私も想像しなかった。

 もう一つは、どの新聞も気づいていないこと。気づかないで当然なのだが、以下の部分である。

 「国民連合政府が安保問題にどう対応するか。……戦争法は廃止した上で、残ってくる法律が当然ある。例えば自衛隊法が残っている。だから当然、急迫不正の主権侵害が起こった場合には、この政権は自衛隊を活用するのは当然のことだ」

 共産党は、2000年の第22回大会で、急迫不正の侵害の際には自衛隊を活用すると決めたはずだと思っている人は、マスコミのなかにも少なくないのだろう。だから、誰もこれをニュースだと捉えることができなかった。

 だけど、共産党がこのときに決めた自衛隊を活用するという方針は、安保条約を廃棄する政権ができた後を想定したものなのだ。安保条約が残っている段階でそういう方針をとるというのは、この大会が決定したことではないというのが、共産党の考え方だった。

 だけど、今回の国民連合政府(安保条約は存在するもとでの政府)で自衛隊を活用するという方針をとるというわけだから、明確な方針転換である。まあ、記者にとってはどうでもいいことなのだろうけれど、これで「侵略されたら自衛隊で反撃するのが共産党の方針だ」と言えるようになるわけだから、共産党員にとっては大きな意味があると思われる(これまではせいぜい「安保廃棄後に侵略されたら……」だったのであり、「いま侵略されたら」という問いへの答はなかったということだ)。

 なお、記者会見では、閣内に入るのか、閣外協力もあり得るのかという質問があったそうで、志位さんは、次のように答えておられる。

 「国民連合政府がつくられた場合に、内閣にどう関与するかという質問だが、私の提案では閣内協力か閣外協力かという条件を最初から設定しているわけではない。提案では閣内協力でなければならないと最初から言っているわけではない。選択肢はいろいろあるだろう。その時点で最良の選択肢を取ることになると思う」

 「産経新聞」って、この間、ネット版でよく「全文起こし」をやっているよね。会社の方針とまったく異なるもの、たとえば慰安婦問題での元朝日の植村隆さんのインタビューも全文を載せていた。論評でははげしく批判しても、相手の言い分はすべて載せるっていうのは、「敵(というほどでもないが)ながらあっぱれ」というところかな。新聞の一つの行き方でもあると思う。

2015年10月15日

 ちょっと雑然としていますけど、職場の環境を画像で紹介。私のデスクトップです。

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 いや、なぜこんな記事を書いているかというと、きっかけは、いちばん手前にあるものを入手したことです。昨日、アップルから発売されたばかりのトラックパッドを、昨日ネットで申し込んだら、本日、やってきました。私、ずっとノートパソコンで仕事してきたので、マウスよりトラックパッドが好みなんです。マックのトラックパッドって、この間、iPhoneの進化とともに使いやすくなっているし、この27インチのディスプレーが指3本で別の画面に切り替わるところなんか、圧巻なんですよ。

 ところが、説明書を読むと、OSを最新のものにアップデートすることが必要だと書いています。私が使っているのは最新のものの直前バージョンで、それでも最小限のことはできるんですが、使いやすいというほどではない。

 そこで、OSをアップデートしても仕事で使っているアプリが動くかどうかを検索したら、致命的な欠陥が。いちばん使っているアドビのインデザインCS6が動かないそうです。動かしている人もいるけど、相当な苦労をしているみたい。

 フォトショップとかイラストレーターを含むアドビのCSって、バージョン6を機にそれまでの販売方法を改め、ネットだけでの購入というか、ネットを通じて出ないと動かない仕組みを取り入れました。まあ、海賊版が出回ったりしているから、そうせざるを得ない事情は分かります。

 だけど、いちおうは最新直前のバージョンであるCS6が動かないって、どうよ。悪徳商法でしょ。

 インデザインは、10数年前のページメーカーと呼ばれていた時代から、子どものカレンダーとか保育園父母会の会報づくりなどで使っていたので、思い出深いものです。そんな経験があったから、出版社に入ってからも、技術的な面でもスムーズに仕事に入っていけたんです。

 それが、これですか。率直にいって、フォトショップには対抗製品があっても、インデザインのはほぼ皆無ですから、こんな商売が成り立つんですよね。

 他のソフトメーカーの出番だと思います。似たような機能をリーズナブルな値段で出せれば、この業界で成功すると思いますよ。インデザインだって、それ以前に存在していたクオークエクスプレスを駆逐して、現在の地位を築いたわけですから。

 やっぱり、独占はダメです。自由競争の要素が不可欠。いま、「里山資本主義」で有名な藻谷浩介さんの講演を、本にするために整理しているんですが、資本主義の要素と里山の要素と、両方が必要なんですよね。この社会には。アドビは、反省しろよな。

2015年10月14日

 沖縄の翁長知事が名護市における新米軍基地建設の手続きに法的な瑕疵があったとして承認を取り消した。この問題は新たな局面に入る。

 本日の朝日新聞が、その際の翁長知事の記者会見の模様を解説している。特徴的なのは、翁長さんが「「法的」「政治的」という言葉を繰り返した」とされることだ。たとえば、…

 「法律的な意味でも、政治的な意味でも、県民や国民にご理解いただけるよう沖縄の主張をしていきたい」

 この二つの言葉を翁長さんが使った意味を、朝日は次のように解説する。

 「この日、承認取り消しで一歩進めた「法的」戦略の道のりは険しい。翁長氏は会見で「政府を相手にするわけだから、そう簡単じゃない」と語った」

 そうなのだ。翁長さんががんばっても、沖縄の承認取り消しを政府機関が停止することができるし、そうなると法廷闘争になるけれど、その見通しは簡単ではない。たとえ沖縄が法廷で勝つことができても、そうなれば国会で多数を占める与党は、法律を改正して、「法的」には問題のない体制をつくってくるだろう。

 大事なことは、翁長さんがそのことをよく理解した上で、闘いに臨んでいることだ。だから「政治的」な闘いを強調していることだ。広く深く、全局を見渡して考え、決断している人だと感じる。

 その翁長さん、「県民や国民のご理解いただけるよう」と強調している。「国民」は何を理解し、何をすべきだろうか。

 沖縄に行って支援することも否定しないけれど、いちばん大切なことは、自分の住んでいるところで沖縄の主張への支持を大勢にすることだと思う。大勢にして、来年夏の参議院選挙では、自公を過半数割れに追い込み、安倍政権が「法的」に何でもできるという態勢をくずすことだ。

 そのためにも、昨年の沖縄の総選挙で、4つの選挙区とも自公候補を打ち破った経験に学ぶ必要がある。国民がやるべきことは、自分の住むところで、沖縄の選挙を再現するためにがんばることだ。

 この経験をリアルにつづったルポルタージュ、『沖縄が日本を倒す日──保革共闘誕生物語』(仮)は、来年1月には出版できそう。こういう局面が訪れることを想定し、いろいろ準備してきたことがあるけれど、それらが実を結ぶよう、今後も努力していきたい。

2015年10月13日

 一昨日、ゴー宣道場に出てきました。小林よしのりさんをはじめ改憲派が5人もいるなかで、完全アウェーでしたけどね。

 休憩を挟んで後半になり、私は、新安保法制発動の焦点となってくる南スーダンや南シナ海の現状はどうなっているかを示しつつ、南スーダンでは自衛隊の部隊を撤退させ、非武装の軍事監視要員として幹部自衛官を送ること、自衛隊と中国海軍それぞれがジブチ等に基地を置き、スーダン沖の海賊から船を守るために活動している経験をふまえ、南シナ海でも共同の警戒監視を行うことを提唱しました。そうやってアメリカとは異なるやり方でやってうまくいくことを国民が一つずつ体験すれば、日米安保に依存せずともやっていけるという合意が生まれていき、やがては安保の廃棄につながっていくし、武力を行使しないという点で憲法九条でやっていけるという合意も生まれることを強調したのです。

 それを聞いていた小林さん、突如としてニートのお話をされました。子どもが引きこもっているとして、少しずつ外の暮らしを体験させつつ、独り立ちができるようになったら手放すというようなやり方はとらない。自分ならすぐに外に放り出すのだとおっしゃりました。それが思想家としてのつとめだとも強調されました。私の名前は出さなかったけれど(完全アウェーだから配慮して下さったんでしょうね)、私の接近方法への批判だったのでしょうね。

 なぜ、そこだけ書いたかというと、それが一昨日の議論を象徴していたからです。この議論を聞いていた人が、あとで私に言いました。これまで改憲派と護憲派の議論って、護憲派が理想を主張し、お花畑だといわれても屈せずにやってきた。改憲派は、リアルな情勢論を示して、武力の必要性を説いてきた。だけど、この議論では、松竹さんがリアリズムを強調し、小林さんが理想を強調していて、逆転したみたいだった、と。

 そうかも知れませんね。だけど一方で、私はやはり理想があるからいちおうは護憲派なのだし、小林さんも安倍政権のもとで改憲されるということは危険だというリアリズムはあるわけです。国民を守るために自衛隊が必要だということで一致しているなら、共通する部分は見いだせるのではないかというのが、私の感想でした。

 さて、ゴー宣道場50回記念企画でしたが、これを本にするつもりです。改憲派と護憲派の議論って、これから本格的に必要になってくるわけで、その先陣を切るものにしたいと考えます。かもがわ出版が小林さんの本を出すって、抵抗を感じる人もいるでしょうけれど、これまでも防衛省幹部の本とか出す度に「かもがわ出版は変節した」といわれてきましたし、私は慣れているんですよ。それに、改憲派と護憲派の対話を本にしようとすると、どうしたって別の考え方の人を登場させないとできないわけですから、読者にとって気にくわない人の本でも出すのは当然だということで、ご了解下さいね。

2015年10月9日

 こういうタイトルの記事、何回も書きました。

 昨日は朝から昼過ぎまで京都で会議。その会議にでながら、午前中に二つの本を入稿することが決まっていたので、膝の上でパソコンを売って印刷所に入稿。

 その出力結果を、いま東京で受け取って見たんだけど、二つとも重大な誤りを発見。やっぱりこんな仕事の仕方していたらだめだよね。反省。

 その他、明日にかけて、「評伝・宮本顕治」を書いてもらいたい著者と会ったり、デザイナーと会ったり、何万円分かの歴史の本を買ったり、私に原稿を依頼してくる人と会ったり。東京にいるときは、二~三日でいろんなことをしようとするので、とっても慌ただしいです。昨日はブログ書く時間は皆無でした。

 仕事は明日まで。明後日(日曜日)は、またまた小林よしのりさんに招かれ、「ゴー宣道場」に参加してきます。テーマは、「憲法九条で平和は守れるか」。

 いやあ、私以外、みんな改憲派なんですよね。そういう事情もあるので、小林さんからは「仲間を連れてきていい」といわれたんですが、潔く一人で登壇することにしました。完敗するかも。

 まあ、おそらくですけど、しっかりとした軍事戦略を持たねばならないという点では、共通するものがあるはずで。だから、その当たりで議論をかみ合わせることができればと思っています。

 これ、上手くいけば本にしたいんです。という点では、この日も仕事ですね。