2014年10月3日

 昨日は、お昼に京都を出て、福島へ。「福島の過去・現在・未来をを語る」と題するシンポジウムに参加するためだ。「生業を返せ、地域を返せ!」を掲げ、国と東電の責任を明確にするために闘っている福島原発訴訟の原告団・弁護団が主催である。

 パネラーは、脚本家で映画監督の井上淳一さん、元東電社員で北朝鮮による拉致被害者家族の蓮池透さん、元NHKキャスターの堀潤さん、裁判の原告団長である中島孝さん。それにどういうわけか私まで加わっている。

 この原発訴訟、これまでは原告をどう増やすかということに力を入れてきた。そのために、うちから『あなたの福島原発訴訟』という本も出したのである。最近の第4次提訴で、原告は4000人近くになり、県内全市町村に広がっていて、無視できない勢力になっている。

 裁判はこれから、証人尋問など、どんどん山場を迎えていく。国と東電の責任を問うという裁判の目的を達成するうえでは、世論の支持と監視が不可欠になっていく。

 そういう局面だから、今後は、原告を増やしていくということから、世論へ訴えていくということになっていく。そういう方向に向かう第一弾として、昨夜のシンポジウムは位置づけられていたというわけだ。

 内容を本にして(もちろん、出版はうちで)世論に訴えるということなので、ここではあまり書かない。だけど、みなさんの発言を聞いていて思ったのは、福島原発事故というものが、それぞれの人生、生き方に大きな影響をあたえたということだ。

 私だって、出版人として、たくさんの本をつくったという変化だけではない。出版とは関係ないのに、あの事故以来、毎年の3.11は福島で過ごすようになるなんて、かつて考えられなかった。

 それだけの影響を私にあたえたものとしては、学生時代に体験した横浜のファントムジェット機墜落事件かなあ。1歳と3歳のお子さんが死亡したけれど、助かったパイロットは何の裁きも受けなかった事件である。私がこういう分野を仕事にする原点になったものだ。

 書店を見ると、福島の問題をあつかう棚は、どんどん減っているのが現状である。それなのに、うちが出版する福島関連の本は、少しずつ増えている。これって、営業的にいうと、どんどん苦しいところに突っ込んでいくことだ。

 だけど、大事な本を出さないわけにはいかない。それを読んだ人の人生や生き方が変わっていくならば、そういう人がじわじわと増えていくならば、日本もまた変わっていくことにつながるのだと思う。

 でも、営業的にも成功が求められる。裁判の進行と平行して、全国の書店が、3年前みたいに平積みにしたいな、ふたたび福島関連本の棚を拡張したいな、と思えるような本を出していきたい。

2014年10月2日

 コミュニストのマンガ評論家、紙屋高雪さんをご存じだろうか。ブログも評判が高い。
 うちからは、ふたつの本を出している。『理論劇画マルクス「資本論」』『超訳マルクス』だ。さすがコミュニストだね。

 その紙屋さんが、小学館新書を出した。それが『“町内会”は義務ですか?』。サブタイトルが、「コミュニティーと自由の実践」となっている。他社の本だけど、うちの著者でもあるし、敬意を表して取り上げておくか。

 町内会とか自治会とか、住んでいる場所にあるよね。回覧板とか回ってくるヤツ。私はほとんど集合住宅暮らしなので、町内会という言葉に接することはなかったけど、どっちの同じ機能。

 こういうのって必要なものだと思う。だけど同時に、忙しいから、あまりいろいろ言わないでねという感じの対応かな。少し正確は違うけど、PTAとか保護者会とかでも、同じような問題に直面する。

 私は、それはまじめにやった。保育園の保護者会では、会長を2年間もやった。小学校のPTAでは「役員選考委員」という、誰もやりたがらない仕事を引き受けた。

 理由は簡単。保育園の保護者会は、もともと仕事を持っている人の集まりなので、会議は夜だけだし短いし。それに若いお母さんと話してると楽しいし。

 「役員選考委員」というのは、時期のPTA役員をお願いする係。説得できないと自分がやることになるので、みんな敬遠するんだけど、私は保育園のときのつながりがあるので、大丈夫だった。この係は、昼間の会議に出ないでいいのが、選んだ理由の1番手だったんだけどね。

 だけど、自治会は、まだやってない。ややこしいなと思う気持ちもあったが、割と大規模な集合住宅だったので、ずっと役員でやっている人がいて、お鉢が回ってこなかったこともあす。

 で、紙屋さんのこの本である。町内会について私と同じ程度の(失礼)認識だったのに、ことの流れで会長を引き受けることになった著者の体験談だ。そして、その体験から導きだした「コミュニティーと自由の実践」にまつわる理論書ともいえる。

 ほとんど強制加入みたいになっている状況、会長ともなればいろいろな会議に出ることを求められる、それを断るといつの日かつるし上げにある。だけど、夏祭りぐらいはやりたいねと思う人びともいる。

 そういうなかで、紙屋さんは、縛りのきついやり方をやめ、完全ボランティア制の町内会をつくっていく。その話の流れが面白く、ためになる。そして、そういう町内会こそが、いまの自体に求められていることを証明していきうのだ。

 すごく読みやすい。1時間少しで読めると思うので、是非、手にとってほしい。

 それにしても紙屋さん、見かけによらず、撃たれ強いね。そういう資質、将来にわたって必要ですから、大切にしてください。

2014年10月1日

 覚えておられるでしょうか。7月15日付で、「泥憲和さんの本の出版へご協力をお願いします」という記事を書きました。

 元自衛官の泥さん(本名ですよ)、これまでも護憲とかヘイトスピーチ反対などの分野で活躍されてきました。6月でしたでしょうか、集団的自衛権に反対する街頭演説の内容をフェイスブックにアップしたら、瞬く間に2万4000もシェアされるという驚異的な反響を呼び起こしました。

 その泥さんの本をつくろうという話が急速にまとまりました。でも、まったく無名だった泥さんの本をつくるって、売れ行きのことを考えると、出版社としてはすごく勇気がいるんですよね。

 そこで、池田香代子さん、池辺晋一郎さん、伊勢崎賢治さん、伊藤真さん、羽柴修さん、柳澤協二さんに呼びかけ人になってもらい、資金協力を呼びかけたとのです。それが、7月の記事の内容でした。

 すごいんですよ。呼びかけにこたえて、200人もの方がカンパを出してくれました。120万円も集まったんです。昨日、自分も資金協力したいという方から電話がありました。もう期限が来たのでお断りしたんですが、そうしたら、「じゃあ、20冊買いますので予約させてください」ということでした。

 元自衛官ということとか、安倍さんを何とかしたいという気持ちが高まっていることとか、いろいろな要素が合流して、こういう結果になったんでしょうね。出版の新しい可能性を生みだすんじゃないかと期待しています。
 
 とはいえ、まず本をつくろうという決定が先行して、実際の本づくりは、それと平行した作業なんですよ。いくら泥さんに執筆する力があるとはいえ、本にするだけのものをつくるって、そう簡単ではありません。毎週の講演会をこなしながら、いろんな方の協力もえつつ、がんばって書いていただき、ようやく昨日、書き上げてもらいました。

 普通だったら、原稿をもらってから、ゲラを出すまで、一カ月はかかりますよね。どんなに急いでも1週間です。でも、この本、9月末に出すと予告したので、いくらなんでも10月中には出さないといけません。

 ということで、本日、あらゆる力を総動員して、ゲラづくりの最中です。10月末には完成すると思います。

 反響が大きいので、特別に、弊社のホームページで「予約注文」できるようにしました。ご期待ください。

2014年9月30日

 アメリカがシリアに対する空爆を始めた時、「オバマさん、「自衛権」は無理がある」という記事を書いた。国連憲章51条の個別的及び集団的自衛権の発動だとして、アメリカが国連に書簡を送ったという報道にもとづき書いたものだ。

 昨日、ようやくその書簡の原文を入手した。アメリカのパワー国連大使の書簡(2014年9月23日付)で、潘基文事務総長に送られた後、安全保障理事会のメンバー15ヵ国に回覧されたというものである。それを見て、前回の記事で想定していたのとは違う説明がされていたので、本日、あらためて論じる。

 私は前回の記事で、シリアがイスラム国から武力攻撃を受けているので、アメリカが集団的自衛権を行使して助けるのかと思っていた。それなら、攻撃された国(今回はシリア)からの援助要請が不可欠だというのが国際司法裁判所の判断(1986年)だから、シリアからの要請がない段階では無理があるというのが、記事の趣旨だったわけだ。

 ところが、その前提が違っていた。書簡によると、シリア領内にいるISIS(イスラム国)がイラクに対する武力攻撃をしていて、だから「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、……個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」とする国連憲章51条が発動されるという説明だ。明示的にのべられているわけではないが、文脈からすると、攻撃されているイラクがアメリカに対して集団的自衛権の発動を要請したということになるのだろう。

 だけど、シリア領内にいるテロ集団から攻撃を受けているからといって、主権国家であるシリア領を攻撃することができるのだろうか。それが法的に可能なのだろうか。そこのところを、この書簡は、次のように説明している。

 「今回のケースのように、脅威が存在する国の政府が(注:シリア政府のこと)、こうした攻撃を効果的に防ぐ意思も能力もないときは、国家は、国連憲章第51条に規定された個別的および集団的自衛の固有の権利によって、自国を防衛することができる。シリア政府は、こうした領域からの攻撃を効果的に防ぐ意思も能力もないことを示している。したがって合衆国は、イラクに対するISISの脅威を除去するために、シリア領内における必要な軍事行動をとることにした。」

 これって、イスラエルがPLO過激派の基地のあったレバノンを空爆する際、過去に何回も使った論理と同じだ。過激派がレバノンを拠点としてイスラエルを攻撃していて、本当はレバノン政府がそれを阻止しなければならないのに、そういう意思も能力もないので、イスラエルが自衛権を行使するのだということを、何回も表明してきた。

 現在、ガザ地区を攻撃するときも、同じような考え方でやっているのだろう。その結果、罪もない民衆が巻き添えになり、お互いの憎悪が悪循環し、泥沼に陥っていく。

 シリアに対する空爆も、結局は、憎悪と戦争の悪循環を中東全域に、そしてさらに広い地域に広げていくことになるのではないか。すでに民間人の犠牲も報道されている。アメリカの攻撃を利用したシリア政府による反政府勢力への攻勢も伝えられる。暗澹たる気持ちになる。

2014年9月29日

 まず、以下の文章を読んでいただけるだろうか。もう17年も前のものだけど、誰が書いたか当ててほしい。慰安婦のことを「同性」と言っているから、女性だということはすぐわかるのだが。

 「戦地で、多数の兵たちを相手に性をひさがざるを得なかった女性たちの心は、如何ばかりであったろうか。どのような事情で行ったにしても、たとえ、自覚して行ったとしてもそれは耐え難い体験だったはずだ。まして自らの意思ではなく、騙されたり強要されたりして慰安婦にされた女性たちにとっては、絶望的、屈辱的な日々だったと思う。
 同性として彼女らの心を思う時、語るべき言葉もないというのが私の実感だ。私たちの社会は、彼女らの受けた身心の傷にようやく手を差し伸べようとしているが、この問題に関心のある人は全て、それぞれの立場で出来得ることを、今、していくべきだと強く思う。戦後はすでに半世紀以上がすぎた。被害者たちは老いつつある。この人たちの生あるうちに、出来得ることから手を尽くすことが大事なことだと思う。」

 朝日新聞の誤報を発端として、いま、慰安婦問題が大きな焦点となっている。誤報をした朝日に責任があるわけだから、批判されるのは当然である。誤報しても批判されないとすると、その方がおかしい。

 それなのに、朝日新聞を批判する論壇に対して、批判すること自体がおかしいかのようにいう人がいる。あるいは、「朝日批判派は慰安婦否定派だ」みたいな捉え方をする人もいる。

 その「慰安婦否定派」とみられる代表格のひとりが、たとえば櫻井よしこさんだろう。97年頃、櫻井さんの講演会が、慰安婦問題での発言を理由に中止に追い込まれたことがあった。その櫻井さん、朝日新聞の論壇で、このように書いたことを批判され、慰安婦問題でがんばっていた市民運動から批判が集中し、講演中止になったのだ。

 「戦争当時、本人の意思とは裏腹に慰安婦にさせられた女性がいたことは事実である。(中略)しかしそれが日本軍や政府の強制連行によるものだったと具体的に示す資料は、現時点では寡聞にして私は知らない。政府や軍が基本的政策として、女性たちを強制連行で集めたことを示す資料は今の時点ではみつかっていないと考える」

 これって、最近の政府による検証結果を見た上で再読すると、河野談話の線そのものだ。「強制連行」を明記せよという韓国側と、「組織的な強制連行はなかった」とする日本側の交渉のなかで、「(募集等は)総じて本人たちの意思に反して行われた」とするとともに(政府・軍が組織的にやったとは書かないが、櫻井さんが言うように「本人の意思」には反していたということは認める)、連行への政府・軍による加担は個別事例としてあったという表現にとどめ、「強制」という言葉は「連行」とは別の文脈で使うということである。

 実は、冒頭の引用も櫻井さんの当時の「文藝春秋」からの引用である。個人的な好き嫌いはあるだろうし、彼女の「狭義の強制連行はなかった」というキャンペーンがかえって国際社会からの批判を増幅させているという現実があるのだけれど、こういう発言をする人を「慰安婦否定派」みたいにくくってしまうのは、問題の解決にとってけっしてよいことではないと考える。