2014年9月3日

 うちの会社が『ロスジェネ』という若者雑誌を手がけていた時期があった。残念なことに4号で終わったのだけどね。

 「ロストジェネレーション」というのは朝日新聞が流行させた言葉だが、就職氷河期に社会に出ざるを得なかったということが若者から雇用を奪い、希望を奪っていることを突いていた。同時にそこから、それ以外の時期に就職できた人への恨みなども感じられて、社会に分断をもたらしかねないキャンペーンでもあった。うちの『ロスジェネ』は、それとは異なって、「希望は連帯」というスローガンをかかげ、追い詰めるべき相手を見失ってはならないことを呼びかけていた。

 朝日のロスジェネ報道を当時強く批判していたのが内田樹さんである。このキャンペーンが本になったとき「帯文」の執筆を頼まれたが、ゲラを読んだ上でそれを断ったことを公言しておられる。「朝日新聞がこれほど無内容な理論を全社的なキャンペーンとして展開しようとしたという事実に日本のメディアの底なしの劣化を僕は感じました」(『呪いの時代』所収)。

 だが、朝日新聞は、その内田さんをその後、紙面審議委員(正確な呼び方は忘れた)として迎えた。みずからへの批判を受けとめる謙虚さがあったのだ。

 だけど、いま、それと真逆なことをしているということで、池上彰さんのことが話題になっている。朝日を含めて各紙を論評する連載で池上さんが朝日の慰安婦報道に批判的な言及をしたのに対し、新聞側は「載せない」という対応をとったというのだ。

 正確な事実経過はすぐに明らかになるだろう。だけど、左翼って、追い詰められると我を失うというか、理性的な対応ができなくて、行政的な対応になってしまいがちであるが(朝日を左翼といえるかどうかは知らない)、同じようなところに陥っているようだね。

 問題になっている朝日の慰安婦検証企画は、私が書いている本に直接かかわっているので、興味深く読んだ。すぐに感じたのは、右と左の両方から批判が寄せられるだろうなということだった。

 左からは、法的な謝罪と賠償を求める姿勢もいっしょに転換するのかという疑念が出されるだろう。右にしてみれば、これでは不十分だ、誤報を謝罪せよということになるだろうと思った。

 その通りの展開になっているのだが、誤報問題への批判が、いわゆる右派論壇にとどまらず、わりと広範囲にわたりはじめているのが、現在の特徴だと思われる。今回のように行政的な対応をしていると、慰安婦問題での見解にかかわらず、朝日新聞は信用できないという社会的な雰囲気が醸成されることになるのではないかと推測する。

 ただ、私は、すごく欠けていることはあるけれど、朝日の検証記事については高く評価する立場である。左右の両方から批判が出るということ自体が、慰安婦問題では必要だと感じるからだ。(続)
 

2014年9月2日

 筑摩書房の読書人向けPR誌に「ちくま」というのがあります。岩波の「図書」のようなものですね。

 そこで文芸評論家の斎藤美奈子さんが「世の中ラボ」という書評欄の連載をもっています。9月号で54回目になるんですね。

 その54回目、「集団的自衛権をちゃんと勉強しよう」というもので、4つの本が取り上げられています。柳澤協二さんの『亡国の安保政策』(岩波書店)、石破茂さんの『日本人のための「集団的自衛権」入門』(新潮新書)、豊下楢彦さんと古関彰一さんの『集団的自衛権と安全保障』(岩波新書)、そしてなんと私の『集団的自衛権の焦点 「限定容認」をめぐる50の論点』(かもがわ出版)でした。

 いや、そうそうたる著者のなかで、なんだか私だけ浮いている感じ。でも、感謝。

 内容の詳しい紹介はしません。私の本の紹介部分だけ抜き取るには、複雑な構造になっているのでね。最初に、柳澤さんと私の本について以下のような総括的な感想をのべつつ、2つの本のエッセンスを紹介してくれます。

 「やや観点の異なる2冊を読むと、この案件は「日本は戦争ができる国になる」というほど単純でもないかわり、「これで日本の防衛が強化される」というほど有効でもないことがわかるだろう。いやむしろ、今回の解釈改憲=閣議決定で日本の治安は悪化するのではないか、という不安さえ頭をよぎる」

 そのような角度で、最後に石破さんの本を批判するというのが、この書評の構造です。そのなかで岩波新書が少し引用されるという感じ。

 これらの本のなかでの私の本の位置づけは、最後にある3つの本(岩波新書を除く)の紹介文で尽きているかな。以下の通りです。

 「著者は外交・安全保障を専門とし、10年以上前から集団的自衛権を批判してきたジャーナリスト。安保法制懇が提出した報告書をもとに、集団的自衛権のA〜Zを懇切丁寧かつ批判的に解きほぐす。語り口は穏やかだが、アメリカしか見ていない首相と法制懇が考える集団的自衛権は、冷戦後の国際的な流れとちがって「一国平和主義ならぬ二国平和主義」だと語るなど容赦がない。最初の1冊としてはこれがオススメ」

 まず、私の本を買いなさい(読みなさい)ということです。うれしいですね。「ちくま」9月号は、数日後くらいから大手書店におかれると思います。

2014年9月1日

 平日はずっとブログを書いてきました。本日だけ書かないと、毎日見に来る人が「何かあったのかな?」と、心配になるかもしれませんね。だからということで、書いておきます。

 そうです。本日は安静にしているんです。朝、、病院に行ったら、あまり足を動かすなということで。

 いやあ、2年半ほど前、骨折したときも、一日も休まず仕事して、出張もこなしたんですけど(東北三県とかにまで)ね。本日は休みました。

 骨折よりすごい病気ということはありません。大事をとってということで。明日からは普通に仕事する予定です。

 ということで、大事なことは書けません。読んだ本は『東京プリズン』。小説の新たな可能性を示したものでしょうけど、母と娘の関係を軸にした展開が、男の私にとっては理解できない部分があったかなあ。

 一日ずっと考えていたのは、慰安婦問題ですね。宣言しているように、『超・嫌韓流』を書いているからですが、最近の出来事があって、書く中身には変化はないと思いますが、書く角度はかなり変わりますよね。

 そうです。朝日新聞問題です。慰安婦問題というより朝日新聞問題みたいになってきて、それを抜きにして論じることが不可能になりましたから。

 この問題が生じる前(朝日の連載の前)、この新聞の幹部と飲んでいたときのことですが、日本の左翼が弱くなった結果、あらゆる批判が朝日新聞に集中することを嘆いていました。いや、嘆いていたんではなく、誇っていたのかな。批判されるだけ強い証拠なのだということで。

 でも、今回の問題は、へたをすると、朝日の凋落と左翼の壊滅につながっていく可能性がありますよね。日本の左翼は、この問題にどう立ち向かっていくのか、そのことも試されていると思います。私の回答は、『超・嫌韓流』で示します。

2014年8月29日

 でもそれは、この本にとっては、結果としていいことでした。日本の社会をどうするかって、まさにマルクス主義そのものの課題ではないですか。貧困と格差の広がり、ブラック企業が横行したりグローバリゼーションがのさばる社会の出現のなかで、ソ連の崩壊によって死に至ったと思われていたマルクス主義が蘇ってきた、蘇る可能性が見えてきたというのが、いまの時代の特徴だと思います。マルクス主義でなければ説明できず、マルクス主義でなければ克服できない現実が、いま目の前で広がっているわけです。

 それが自覚されているかどうかは別にして、ボヤッとしていてもそんな感じがあるから、朝日カルチャーセンターが、お二人を招いてこの春、企画を実施したんです。そのテーマが、『若者よ、再びマルクスを読もう──蘇るマルクス・レーニン主義』でした。『若マルⅡ』のサブタイトルが「蘇るマルクス主義」となっているのは、そういう背景があります。

 今回取り上げた最初の書簡は『フランスにおける階級闘争』と『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。それをやりとりしたあと、次の書簡が準備されれる前、最初に書く石川先生に、「次は『フランスにおける内乱』にしたらどうでしょう」と提案したんです。パリ・コミューンを論じた有名な本です。そうすればフランス3部作をいっきょにとりあげることになるし、何よりも、フランスの変革という主題に惹きつけて日本の変革を論じることができると考えたからです。これは、時代の順番に書くことが大事だという石川先生の意向もあって、実現しませんでした。

 でも、結果として、それで良かったと思います。結局、順番通りということで『賃金、価格および利潤』をとりあげることになったのですが、これって、私の当初の感触では、理論的な著作を理論的に論じるという往復書簡になる予定でした。でも、日本の経済社会の現状、はたらく人々の実態からして、まさに現実をどう捉え、どう変革するかという、きわめて実践的な著作として浮上したわけです。

 『若マルⅡ』で『賃金、価格および利潤』を論じる内田先生の文章を見ていると、日本の若者をいまのような現実におとしめたものへの怒りがふつふつと伝わってきます。それを読みながら、『若マルⅠ』で『経済学・哲学草稿』を取り上げたとき、内田先生が「貨幣や地代のことなんか、極端な話、どうだっていいんです(なんて書くと石川先生に怒られちゃうけど)。マルクスの人間的なところは、「疎外された労働者」たちのことを考えるとつい興奮しちゃうところなんです。……」と書いたことを思い出しました。マルクスを論じる人は、こうでなきゃいけませんよね。

 お二人の政治的立場の違いとその議論の仕方いうことでは、前出の朝日カルチャーセンターでの対談(冒頭に収録した)をご覧ください。スターリン主義をめぐる議論って、マニアじゃない人が読んでも面白いです。

 また、マルクスが読みが得ざるをえない社会状況が背景にあるわけですが、対談を冒頭にもってきたことで、マルクスへの親しみやすさという点では、第1巻を超えるものがあると思います。本の帯に「この第2巻から読みなさい!」としているのは、ただ売らんかなではなく、第2巻を読んで第1巻に進むというのも、まっとうな読み方だと思うからです。是非、多くの方に手にとってほしいです。

 なお、昨年秋、『超訳マルクス』(紙屋高雪/訳、加門啓子/イラスト)という本を出しました。「ブラック企業と闘った大先輩の言葉」というサブタイトルです。その本には1頁をまるごと使った六種類のマンガがあるのですが、その最後で、「グローバリズムにはインターナショナリズムで反撃しよう」という見出しをつけています。『若マルⅡ』で内田先生は、いまの日本社会の階層二極化を食い止めるにはどうするかということで、マルクスがのべた「万国のプロレタリアート、団結せよ」という処方箋しかないと強調しています。これもインターナショナリズムですよね。連帯と団結が、今後の社会のありようとして模索される時代がくるかもしれません。併せてご覧ください。

2014年8月28日

 会社のメルマガに書きました。上下でご紹介します。

 大好評を博した前作から4年。とうとう『若者よ、マルクスを読もう』(『若マル』)のパートⅡがお目見えです。

 前作のサブタイトルは「20歳代の模索と情熱」でした。マルクス20歳代の著作をとりあげ、内田樹先生と石川康宏先生が往復書簡を交わすものでした。いまの感覚で20歳代というと、まだ若造の頃の著作だなと思われるかもしれませんが、あの有名な『共産党宣言』だって、29歳のマルクスの手によるものなんですよ。すごいですよね。

 この本、誕生するのは、あるきっかけがあったんです。石川先生とはかねてから交流があったのですが、あるとき居酒屋で飲んでいたら、「内田先生とは何でも言い合う仲なんですよ」という話が出ました。私の頭にパッと浮かんだのは、内田先生の『寝ながら学べる構造主義』でした。この本、タイトルの通り、構造主義を分かりやすく解説したものなんですが、私はこれを読んだとき、「フムフム、構造主義って、少なくとも内田先生の構造主義への理解って、マルクス主義と似てるじゃん」て思ったんです。それで石川先生に、「内田先生と会わせてください。マルクス主義について書いてほしいのです」とお願いしたのです。石川先生はすぐメールを出してくれて、内田先生もすぐ(十数分で)お返事をくれて、すぐに大学でお会いすることになって、マルクスのいくつかの著作をお二人が往復書簡で論じ合うというかたちで本をつくることが、これまたすぐに決まったのでした。

 1冊目が出た頃は、ちょうど『蟹工船』ブームのあとでした。このブームのあと、どんな本が求められるだろうと考え、いろいろ悩んでいたんです。マルクス主義そのものが注目されるとは感じたけれど、難しいものはダメだろうとか、等々。

 その最初の挑戦が『理論劇画マルクス資本論』でした。これ、劇画といいながら、剰余価値論を本格的に論じたもので、分かりやすさと理解の深まりやすさと、両方から評判になったと思います。

 そして、次の挑戦が、『若者よ、マルクスを読もう』でした。著名な著者に書いてもらうものだとはいえ、なにせ何せ取り上げる本が難しい。『ドイツ・イデオロギー』とか『ユダヤ人問題によせて』とか『ヘーゲル法哲学批判序説』とか、昔ならともかく、いまでは共産主義を自称する人だって読まないでしょ。

 ところが、すごく好評だったんですよ。著作の内容や来歴については石川先生の解説があって、内田先生は独自の視点で現代的な読み方を提起するという感じで、その組み合わせが絶妙でした。

 私がとくに感動したのは、お二人が意見の違いを処理するそのやり方というか、姿勢というか、そういうものでした。このお二人、今回の『若マルⅡ』で詳細が明らかになりますが、政治的な立場がかなり違うんですよ。それが『ユダヤ人問題によせて』の理解などにあらわれるんです。だけど、意見は異なるが、上品にやりとりしつつ、読み終わったらすごく理解が深まるという感じで、書簡が往復するんですね。

 過去の本のことばかり書いてもいけません。突然、今回の本に話題を移しましょう。最初の書簡が2010年12月ですから、3年半前に開始されたんですね。それがいままでかかってしまいました。最大の問題は、3.11があったりして、日本の社会をどうするかということが、内田先生や石川先生のようなタイプの知識人にとってすごく重要な課題となり、お仕事がめちゃくちゃ増えたことでした。(続)