2013年12月20日

 「季論21」という雑誌があります。来年1月に刊行される号に、このタイトルで寄稿しました。昨日と同様、「はじめに」だけを紹介しますので、興味がありましたら、お買い求めください。年末で忙しくて、連日、お手軽記事で申し訳ありません。

 「憲法九条を変えないまま戦争する国へ」──集団的自衛権をめぐる現在の局面を一言で特徴づけるとしたら、こういえるでしょう。護憲平和勢力の闘いは正念場を迎えています。

 ところで、その護憲平和勢力のなかでは、集団的自衛権を許してはならないことについて、これまで証明不要のようなところがありました。なぜかといえば、集団的自衛権には平和勢力が反対してきたというだけでなく、日本政府も「違憲だ」との立場をずっと維持してきたからです。政府の立場からしても憲法違反なのですから、平和勢力がこれに反対するために、特別な論理を構築したり、材料を集めたりする必要はありませんでした。

 ですから、平和勢力が集団的自衛権を問題にする場合、「アメリカと一緒になって海外で戦争するものだ」というような反対論が主流だったといえます。それは本質を突いた反対論ではありますが、一方で、そういう論理が通用するのは、日米同盟の本質をよく理解していることが前提だったといえます。そもそもアメリカは悪い戦争をする国であり、日米安保条約はそのアメリカに日本を縛り付けものだという認識を共有する人びとにとっては、この論理で大丈夫だったのです。

 しかし、今後はその政府が、これまでの解釈をかなぐり捨てて、集団的自衛権が合憲であり、世界と日本の平和にとって不可欠だとの立場から、新しい論理で攻めてくることになります。しかも、世論調査では日米安保条約が八割近い支持を得ており、中国や北朝鮮をめぐる問題で国民が不安を強めている現状があります。そのなかで、集団的自衛権に反対する世論を大多数のものにしていくためには、これまでとは異なる特別な努力が必要です。従来型の論理にとどまっていてはいけないのです。

 本稿は、そういう立場から、集団的自衛権の問題を考察し、反対論を豊かにしたいと願って書いたものです。とりわけ、集団的自衛権をめぐるあれこれの解釈ではなく、その実態から本質に迫ろうとするものです。その論点の多くは、筆者が最近上梓した『集団的自衛権の深層』(平凡社新書)に重なるものであることを、あらかじめお断りしておきます。

2013年12月19日

 歴史教育者協議会という団体があります。その名の通り、歴史を教えている先生などが、中心になって運営しています。

 2年ほど前、「これならわかる日本の領土紛争」(大月書店)という本を書いたとき、学校の先生に注目され、いろいろな学習会に呼ばれたんですが、この団体の月刊誌にも寄稿を求められました。「歴史地理教育」という雑誌です。

 ここは、毎年、三省堂から、「歴史教育・社会科教育年報」というのを出しているんですね。その2013年版が、「平和・安全で豊かな生活と日本国憲法」と題して、明日、書店に並ぶ予定です。

 そこに論文を寄稿しました。「憲法九条には戦争を阻止する外交力がある」というものです。

 いま、中国の軍事偏重国家の現実を前に、多くの方が、「本当に九条で日本を守れるのだろうか」「中国は軍事力でやってくるのに、日本は軍事力を否定する路線でいいのだろうか」と悩んでいます。どこで講演しても、結局、この問題が克服できないと、九条を守る多数派は形成できないと感じます。

 九条の価値を論じるのに、いろいろな角度があります。空襲の体験者は、戦争を放棄するという理念を強調するでしょう。アジアへの侵略を反省する証として九条を捉えることに意義を感じる人もいるでしょう。

 だけど同時に、「実際に攻めてこられることを考えても九条」という角度は、どうしても必要です。それを論じたつもりです。以下のような章の構成です。

一、戦争する能力を低減させる力
二、戦争する意思を低減させる力
三、戦争の根本的な背景にメスを入れる力

 「はじめに」の部分だけ、以下、紹介します。関心がおありでしたら、本をお買い求めください。

 改憲勢力が国会において衆参ともに多数を占め、憲法改正がいよいよ現実政治の日程にのぼりつつあります。それだけの支持を改憲勢力に与えた一つの要因でもあり、今後の改憲論議の行方を左右する重要な要素ともなるのは、尖閣問題をはじめとする日本周辺における情勢の緊迫でしょう。「中国が軍事力で日本の主権を侵しているのに、日本は憲法九条によって軍隊を持ってはいけないことになっているので対抗できない」、「だから九条を変えて「国防軍」をつくろう」という改憲勢力の論理が、かなり多くの国民の共感を得ているわけです。
 この世論の構造は、そう簡単に覆すことはできないように思われます。中国が強大な軍事能力を持っているのも事実ですし、領海侵犯を実際に繰り返している現実もありますから、根拠も示さず、ただただ平和的、外交的に解決できると主張しても、説得力に欠ける面があります。
 しかし私は、憲法九条の価値というのは、戦争する軍事能力を弱めるとともに、その能力を発揮する意思をも弱めるという点にこそあると考えます。しかも、そういう価値は、戦後の国際政治で試されていると思うのです。本稿は、それを紹介することを目的としています。

2013年12月18日

 東京にいる間に、ある新聞記者に会った。彼が言うには、安倍さんの周辺は、中国が防空識別圏を設定してくれたおかげでウハウハだとか。対中戦略上必要だと言えば、何をやっても国民が納得してくれるだけの材料を、中国の側から提供してくれたのだからということだった。

 本当に中国の罪は重い。集団的自衛権の解釈改憲が強行されたら、最大の功労者として表彰してあげたいくらい、重い。

 そういうなかで、本日、マスコミでも大きく取り上げられているように、日本で初の国家安全保障戦略なるものが打ち出された。防衛大綱、中期防など3つも同時にである。安倍さん、自信に充ち満ちているのかもしれない。

 だけど、一読した印象は、安倍さんって、小さな人だという感じかな。細々としたことばかり考えていると言えばいいだろうか。

 これは、私だけではないのではないか。たとえば読売新聞。この3つの扱いが面白かった。防衛大綱、中期防、国家安全保障戦略の順に載っていて、国家安保戦略はいちばん下に圧縮されている。見出しもその順で小さくなっていて、それらで位置づけが分かる。

 普通に考えれば、国家安全保障戦略がいちばん重要じゃないですか。しかも、日本で初めてなんですよ。戦略というからには哲学なんですから、それなしに防衛大綱も中期防も語れない。

 だけど、読売の記者や幹部が読んでも、この戦略が重要だと感じられなかったわけでしょう。それはそう思うんですよ。戦略の中身について、立場が安倍さんと変わらない読売の目から見ても、そう見えてしまう程度のものだった。

 だって、そもそもが、10年を見据えたものだって、自分で言っている。戦略って、さっき書いたように哲学なんだから、10年で生命力が途絶えるようなものは、戦略とは呼べないでしょ。実際、サイバーセキュリティーの強化だとか、細々としたことがいっぱい書いているんだよね。

 中国を意識するのは正しいことだ。だけど、本格的に中国に立ち向かうという気構えがあるなら、戦略なのだから、中国4000年の歴史からみて、現在の中国はどう位置づけられるのかとか、そんな分析が必要でしょう。せめて、これだけ日中で経済的な関係が密になっているのに、軍事面では緊張状態が激化するという、歴史上特異な事態をどう分析するのかという程度のことは欠かせない。

 なのに、まったく新しい分析がない。新しい分析をしようという気持ちがそもそもない。いつもべらべらしゃべっていることを、そのまま活字にした程度。中期防(中期防衛力整備計画)より位置づけが低いんだから、戦略ではなく短期防というのが正しいネーミングかもしれない。

 こんな「戦略」をもつ国って、不幸だよな。ということで、来年、本物の戦略を提示するという仕事は、もともと来年の中盤以降の予定だったけど、早めに始めることになった。がんばらなくちゃ。

2013年12月17日

 先週金曜日から東京に来ています。本日夜、京都にもどりますけど。

 毎日、いろいろな仕事がありました。わくわくするような仕事もありますし、気の重い仕事もあります。これは、仕事をしている限り、仕方のないことですね。

 そのなかで、一昨日の日曜日は、たいへん意義のある仕事だったと思います。『先生、殴らないで!』という本の出版記念シンポジウムでした。

 タイトルからも明らかですが、学校と学校スポーツにおける体罰・暴力の克服をテーマにした本です。元巨人軍の桑田真澄さんなどが執筆者に名前を連ねています。桑田さんが書かれたものからは、暴力で強制しながら練習しても、スポーツは本質的に上達しないんだということが分かります。それ以外にも、いつから、なぜ、部活における暴力は始まったのかとか、学校における体罰はなぜいけないのかとかを、スポーツ関係者、教育関係者が論じていて、たいへん意義のある本だと思っています。

 ちょうど、来週23日が、大阪の桜宮高校の生徒が自殺して1年目にあたるので、それを前にして開催しました。この問題での世論づくりをめざしています。

 それにしても、この1年を振り返ってみると、いつのまにか同じようなテーマの本を4つもつくっていたんですよ。この本以外には、以下のものです。

『教育現場での柔道死を考える』(945円)
『日本のスポーツ界は暴力を克服できるか』(2100円)
『スポーツ界の不思議20問20答』(630円)

 最初のものは、日本体育学会の元会長の手になるものです。桜宮問題とは無関係に準備したものですが、2月出版ということで、タイムリーでした。

 真ん中のは、柔道の山口香さんが「トップアスリートを育てる指導とは」を論じており、学校スポーツのみならずスポーツ全般における暴力を扱ったものです。女子柔道選手15名の告発がありましたが、その弁護人をつとめた方も書いています。

 最後のものは、大阪弁護士会のスポーツ部会に属する方々が、スポーツ法学を教えていく上で必要だと感じることを書いたものです。あの松井の4連続敬遠をどう考えるかと、なぜスポーツ界ではセクハラ事件が多いのかとか、そんなテーマです。

 これまで、この分野の本って、ほとんど出したことがなかったんですよ。別に、いま騒がれているから売れるだろうって、そんな思惑で出したわけではありません。著者のみなさんは有名な方ばかりで、その気になれば専門の出版社から出すことになったでしょう。

 なんというか、多くの方が、これまでスポーツにおける暴力を克服するために努力してこられて、しかしなくならなかった。でも、この機会を逃したらだめだという強い思いにかられておられるのです。だから、私たちのようなこの分野で無名な出版社であっても、意欲をかって出版に踏み切ってくれたのだろうと推測します。

 その期待を裏切らないよう、本を普及していきたいと思います。シンポジウムには、会場いっぱいの70名が参加してくださって、京都の出版社であっても、努力次第では東京にこんな形でも攻め入ることができると分かり、意欲をもちました。
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2013年12月16日

 今年最後の会社のメルマガ原稿を書きました。この間の記事と重複する部分もありますが、以下の通りです。

 2014年の年末を迎え、2015年に出す本をどうするか、出版社にとってもいろいろ考える季節になりました。日本と世界がどう動くのか、それに出版を通じてどう働きかけるのか、考えどころです。

 2014年を特徴づけるのは、政治の分野においては、自民党が圧倒的多数を占めるにいたったことでしょう。同時に、それにもかかわらず、年末に焦点となった特定秘密保護法に代表されるように、国民の圧倒的多数は、安倍政権による政治の中身には不安を覚え、かつてない規模で反撃をおこなっていることも重要な特徴でした。

 秘密保護法をめぐる運動の高揚には、多くの方が確信を抱いたでしょう。一方、あれだけの盛り上がりにもかかわらず、自公政権がそれを完全に無視したのは、「余裕」のあらわれだと感じます。

 「余裕」とは、たんに国会議席で多数を占めているというだけではなく、次に選挙があったとしても引き続き多数を占めるだろうという確信から来る「余裕」です。民主党は、政権の座から引きずり下ろされたことから教訓を引き出せず、国民から見放されたままです。維新の会やみんなの党は、ただただ与党にすり寄るだけです。共産党や社民党は、いろいろな課題での一点共闘を広げるためにがんばっていますが、次の選挙で政権をとるための手は打っていません。だから、自民党は、何をやっても政権交代にはいたらないと、高をくくっているわけです。

 こんな政治状況ですから、今後、集団的自衛権のように国民多数から危惧が表明されている問題でも、安倍政権は強行的なやり方をするだろうと思われます。ずっと以前、「対米従属下の帝国主義・軍国主義復活」という言葉が語られたことがありますが、現在の状況はまさにそういうものではないでしょうか。

 そのなかで、出版という仕事には何が求められているのか。一点共闘をそのまま素直に政権共闘に結びつける努力、そのための理論的な問題提起。──私にはそれが大事なことだと思えます。

 いま、一点共闘の対象になっているのは、非常に幅広い分野のことです。民主主義の分野では秘密保護法が代表的ですが、経済の分野でもブラック企業をどうするかという雇用にかかわる問題から、TPPのように国際的な経済関係にかかわる問題まで含まれています。安全保障をめぐっては、まさに憲法九条や集団的自衛権の問題もありますし、普天間基地問題もあります。

 かつて同じように一点共闘が問題になったとき、焦点となったのは、ある時期には消費税の導入であり、別の時期にはコメ輸入自由化であるなど、ときどきの単一の課題でした。しかし現在、安倍政権が暴走するなかで、一点がいくつもに広がっているということは、政治と社会のありかたの全体が問われていることを意味します。

 ということは、一点の課題を実現しようとすれば、政治と社会の変革をも提起しなければならないということです。一点ごとの共闘を大切にするということと、それらを束ねた政治・社会のありようを変革する提起と、それを次の総選挙で実現するための提起と、それらの関係をどう捉えるのか、どう発展させるのか。ここが出版社にとっても考えどころかなと思います。年末から年始にかけて、いろいろ考えをめぐらせてみます。