2013年12月13日
昨日、ハンガリーの保育事情を視察に行った社員の報告を聞いた。とっても興味深かった。
保育園の園長先生のツアーに同行したのだが、一つの国の保育事情視察のため、そういう園長クラスのツアーが組まれること自体、異例だと言える。ほとんど知られていないが、関係者には注目を集めているそうだ。
注目点は二つあるとのこと。
一つは、就学を見通した保育がやられているということ。保育園を修了したら学校に行くわけだが、その学校では勉強がまっている。学校で勉強することを見据えて、保育園で何を身につけさせるのかという観点で、ハンガリーの保育はやられているらしい。
日本でも幼保一元化などが叫ばれ、議論されているが、そういう角度からもハンガリーの実践が何を生みだし、何を生みだしていないのか、よくよく学ぶ必要があるだろう。日本の保育関係者にとっては耳の痛いこともあるだろうけれど、取り入れるかどうかは別にして、それが保育として成果をあげているものならば、無視してはならないと思う。
もう一つは、一人ひとりの生活スタイルにあわせた保育、ということらしい。子どもたちは、起きる時間も朝食時間も登園時間も異なる。なのに、保育園に来たとたん、日本では同じスケジュールで遊び、昼食を取り、お昼寝する。しかしハンガリーでは、その子どもに合わせて食事の時間が決まり、お昼寝していく。生活スタイルに合っているので、無理矢理寝かせるためにトントンする必要もない。
これをやろうとすると、それなりの人員もいる。ハンガリーでは、お昼寝のベッドをセットしたりするのは保育士ではなく、そのための助手が雇われたりしているそうだ。
このような方向で力を入れるのは、ハンガリーがアジア系で(もともとはフン族系)、言語も欧州各国とはかなり異なり、そのなかでアイデンティティをどう保つかという模索から来ているみたいである。そういえば、これも独自の言語と歴史をもつフィンランドの保育や教育が注目されているのも、同じような事情が背景にあるかもしれない。
そういう話を聞いた後、きょうの朝のニュースを見ていたら、日本政府がやろうとしているのは、小学校3年生から英語教育をやるということだった。日本語をどう豊かにし、継承していくのかって、いま政府の中で考えている人はいるんだろうか。
ところで、ハンガリーに行った写真が強調していたのは、こうやって保育に力を入れているわけだが、女性が働くってことは当然の前提となっているということだっった。そういう意味で、社会主義の時代に達成されたことは大きいと感じてきたそうだ。来年1月に出す『台頭するドイツ左翼』でも、東ドイツ時代の総括の話が出てくるが、社会主義が達成したもの、にもかかわらず支持を得られず崩壊した理由などについて、そろそろ地に足のついた研究が求められるかもしれない。
2013年12月12日
山崎豊子さんが亡くなって、書店ではセールをしている。少しは読んだつもりになっていたが、並んだものを見ると、初期のものは全然手をだしていないし、有名なもののなかにも未読があることがわかる。
その一つが『不毛地帯』だ。瀬島龍三(本のなかでは壱岐正)をモデルしたこの本。何といっても、瀬島は戦前の大本営参謀だし、私が政治に目覚めるころに大問題になったロッキード事件で暗躍したわけだし、あまり食指が動かなかったのだ。
だけど、名作の誉れが高いし、この機会を逃すとずっと読まないだろうと思って、いま全5巻のうち2巻が終わったところ。いや、読んで良かった。
第1巻の中心は、シベリア抑留時代である。抑留者の手記はたくさん出ているが、山崎さんの筆力の成果で、この本はそのすさまじさがリアルに伝わってくる。まあ、私が感想を書いても伝わらないから、書かないけどね。
ふつうの抑留者の手記だってリアルだが、瀬島という大幹部ということで、収容所だけでなく牢獄とかも体験しているし、抑留の全体像も視野に入れた記述になっている。そのため、シベリア抑留を体系的に把握することができるのが、この本の特徴だと感じる。
それにしても、この本によると、当時のソ連では、3500万人ともいわれる囚人が、シベリアの開発をやってきたわけだ。1946年の人口が1億7800万人くらいだから、おそらく労働人口の4分の1くらいが囚人だったわけだ。
そんなことをして国づくりをしているようなところを、しかもシベリア抑留の体験を通じて、そういう国だということが分かっていたのに、ずっと社会主義だとみなしてきたわけである(社会主義に反する重大なことをやっているという認識があったとはいえ)。二度と同じ誤りを繰り返してはならないと感じた。
2巻目は、ロッキード事件にかかわる部分。伊藤忠商事(本では近畿商事)に入った瀬島が力をふるう場面が描かれる。ここは、小説としては面白いが、やはり実際の事件の経過というものを見ているので、瀬島の苦悩が描かれても、「ホントかな」と思いながら読んでしまって、気持ちが小説に入っていかない。瀬島と言えば大物という捉え方をされるけれど、小説にするにあたってはそういう造形も必要なわけで、つくられた造形が実際の人物とは異なるってことは当然あるだろうなと感じる。
ただ、この部分の最後に、責任をとって辞職しようとする瀬島を、近畿商事の社長が引き留めるところがある。自殺した親友の弔い合戦をやるべきだと社長が言うのだが、それに対して瀬島はこういうのだ。
「お言葉ではありますが、軍では報復のための作戦は理性を欠き、失敗すると厳しく諫められております」
これは大事なことば。アメリカのアフガン戦争にもあてはまる。ということも含め、参謀経験者としての知恵みたいなものは、この本でいろいろ学べるとは感じた。
しかし、そういう言葉を吐いて辞職するのかなと思わせておいて(実際に瀬島は伊藤忠の社長にまで上り詰めるので、そうならないことは誰もが知っている)、次のページでは常務取締役になった瀬島が描かれる。このあたりは、小説としてもイマイチかな。
2013年12月11日
かもがわ出版は、この度、『母子避難 心の軌跡』と題する本を出しました。サブタイトルが「家族で訴訟を決意するまで」。
著者は森松明希子さん。福島の郡山市から大阪に子どもとともに避難しています。福島から近畿地方などに避難した方々が、国と東電を相手取り、損害賠償を求めて提訴しましたが、その関西訴訟の原告団代表を務めておられます。
誰もがご存じのように、福島からの避難者は、大きくいってふたつに分かれています。ひとつは、いわゆる強制避難者というもので、大熊町その他、国が強制避難を指示した地域の方々です。もうひとつは、この森松さんのように、いわゆる自主避難者です。
自主避難者の方々には、特別な苦労があります。自分で判断して避難しているということで、公的な援助を受けるのに困難があります。また、森松さんもそうですが、夫は郡山にいるままなので、家族が会うという当然のことをするためなのに、時間的にも財政的にも問題が山積みです。
この本は、その森松さんの家族が、避難してバラバラになった状況下で、支え合いながら生きてきたことをリアルに描きます。そして、家族で訴訟を決意するまでの経過や決意を告白した本です。
今回の本によって、うちの会社のラインナップの幅が広がりました。3.11以降、福島を扱った本としては、以下のようなものがありました。
福島原発事故(安斎育郎)
被爆者医療からみた原発事故(郷地秀夫)
福島は訴える(福島県九条の会)
フクシマから学ぶ原発・放射能(安斎育郎)
大熊町 学校再生への挑戦(武内敏英)
あの日からもずっと、福島・渡利で子育てしています(佐藤秀樹)
福島再生(池田香代子、齋藤紀、清水修二)
ふくしま こども たからもの(おがわてつし)
夕凪を捜して(尾崎孝史)
これ以外に数冊の原発物があります。来年2月には、『女子大生 原発被災地ふくしまを行く』の刊行も予定されています。
いろいろなところで指摘されているように、福島原発事故は、被害者のなかで分断を生みだしています。それを克服し、どうやって被害者の連帯をつくるのかが、とっても大事な課題になっています。出版社としては、避難している人も、残っている人も、それぞれ出版を通じて支援していきたいと考えています。
大事なことは、福島に暮らす『あの日からもずっと、福島・渡利で子育てしています』の佐藤さんも、福島から避難した『母子避難 心の軌跡』の森松さんも、自分とは異なる選択をした人の気持ちを理解し、尊重することを、それぞれの本のなかで明言していることです。そういう立場が、被害者の連帯にとって不可欠だと思います。
これらの本が、ささやかながら、被害者の連帯への一歩になればと願っています。
2013年12月10日
テロの定義について、もっといろいろ書くべきことはあるが、秘密保護法案とのかかわりで論じてきたので、とりあえず今回で終了する。また、何かの機会に、まとまって書きたい。
成立した法律におけるテロの定義にかかわることで、もっとも重大だと思うことは何か。それは、刑法犯としてのテロが定義されないまま、秘密保護法だけで定義されていることだ。
日本には、テロを裁く法律がない。だから、裁くべきテロ行為というものが、法律で定義されていない。
もちろん、テロで人を殺傷したり、モノを壊したりすれば、当然のこととして裁かれる。だけどそれは、「殺人罪」であったり「器物損壊罪」で裁かれるわけだ。「テロ罪」で裁かれるわけではない。
刑法犯として裁こうと思えば、それなりに厳格な定義が求められる。だって、その犯罪を犯した人に刑を科すわけだから、当然である。分野は異なるが、飲酒運転過失致死法などで、刑期を何年にするかがずっと議論されたりもしているが、そういう慎重さが必要なのだ。
ところが今回、何の議論もされないまま、テロの定義ができることとなった。テロのことを憂えて、まじめに取り締まろうとか考えていれば、まず刑法の方でやるべきなのに、そうはならなかった。テロに対する姿勢がふまじめだ。
なぜそんなことになるかといえば、テロに対する姿勢から生まれたものではないからだ。アメリカから言われて、何の考慮もしないまま、取り入れたからだ。
いうまでもなく、いまのアメリカにとっては、自分が標的となっているテロに関する情報を集め、管理することが最大の関心事である。そのために各国から情報を集めている。各国の政府が情報を隠しているのではないかと疑って、ドイツのメルケルさんなんかの携帯電話を盗聴してまで、テロ情報を収集している。
そういうアメリカの要請に応えるということが、今回の法律の最大の動機なのだ。秘匿すべき情報かどうかを判断するのは、おそらくアメリカということになるだろう。だから、定義はあいまいな方がいい。アメリカがどんな求めをしてくるか分からないから、あいまいじゃないと困るのだ。
そして、あいまいなために、日本政府が世論を弾圧したいと思った際にも、そのあいまいさが活用できる余地が残る。法案の定義を見て、石破さんのように考える輩が出てくるわけである。
やはり、この法律は廃止するしかない。そのためには、3年後のダブル選挙で、この課題をふくむいくつかの点で一致する勢力が、自公にかわる多数派を獲得しなければならない。どうすれば、そこに到達するのだろうか。模索は続く。
2013年12月9日
秘密保護法が可決された翌日の夜、大阪の門真市の九条の会に呼ばれて講演した。テーマは、以前から決まっていた集団的自衛権の問題だったが、参加者の関心は、必死で闘っていた秘密保護法にあったと思う。
司会者の方は、運動の広がりに確信をもったことを強調しておられた。実際、この講演会、闘いで疲れていただろうに、主催者の予想を上回る方が参加し、あわてて椅子を追加していたようだ。一方、主催者挨拶では、日本の戦後史上の汚点だということが強調されていた。実際、運動の広がりというものと、それにもかかわらず可決させられたという問題を、どう捉えるのかが大事だと思う。
今後の運動の展望という角度からみれば、成果はあった。私はこのブログで、「改憲の『布石』」という記事を書き、安倍さんがみんなや維新を取り込んだ改憲連合へ布石を打っていることを警告していたが、運動の高まりのなかであのような結末に終わったことは、そう簡単に改憲に向かうことはできないということは示せたと思う。
問題は、それでも衆参で多数を占める勢力が、多数で強行するぞという実績がつくられたことだ。今回、国民世論は、かつてなく広がったことは疑いない。日が経つにつれ高まっていった。世論調査の結果もそうだったけど、かなりの多数派を形成しているという実感もあった。だけど、与党を断念に追い詰めるには至らなかった。
おそらく、与党は自信を深めただろう。集団的自衛権の問題も、当初は年内に閣議で解釈改憲して来年に安全保障基本法という段取りが遅れていて、それは集団的自衛権に慎重な世論の反映であると言われていたが、たとえ世論がどうあろうとも強行するし、できるというのが、かれらにとっても教訓になると思われる。
なぜなのだろうか。いや、まあ、ただたんに、与党の議席が圧倒的だということだと言ってしまうこともできる。だけど、それ以上に大事なのは、じゃあ世論がこれだけ広がっていたとしても、次の選挙のことを考えると、与党は自信満々になるのだと思う。
自公にしてみれば、どんなに世論が反発しても、政権を脅かすような存在がどこにもないのだ。維新やみんなは与党入りをうかがっているだけだ。民主党は大失敗の総括もできず、国民から見放されたままだ。共産党や社民党は、一点での共闘は広げているけれども、次の選挙における政権共闘を視野にいれた動きはしていない。
だから、自公は、安心していられる。世論の反対が広がっても、次の選挙で、自分たちに代わって、国民が「この党に次の政権を」を思える勢力が見えないから、結局は自分たちが政権を維持できると確信しているのだと思う。
これは、国民世論と政権構想の乖離とでもいうべきだろうか。一点での共闘は、たしかにかつてなく広がりがある。その課題も今回の秘密保護法にくわえ、原発、TPP、ブラック企業、普天間基地、護憲と多様である。だから、その一点共闘をベースにして政権共闘に向かっていけるなら、自然と次の選挙の展望が見えてくるはずなのだ。
ところが、政権共闘といったとたん、たとえば、現実に国民のなかで問題になっていない日米安保とかが出てくるわけだ。そんな一点共闘はどこにもないから、選挙でも共闘は実現しないということになる。
だけど、政権共闘って、本当にそうなのだろうか。そうかもしれないけれど、一点共闘をそのまま発展させた政権共闘って、あり得るのではないだろうか。私としては、来年、その問題に果敢に挑戦したいと考えている。