2015年11月16日

 フランスのテロ事件、書くべきことが多すぎて、何を書いていいか分からない。テロへの対応というものを自分のこととして考える人が増えるであろうことだけが、事件の肯定していい結末ということになるのかなあ。悲しいけれど。

 ところで、自分のこととして考えるという点で、安倍首相のそのなかに入るのだろうと思った。というのは、直後の談話が、これまでとはかなり違う風合いのものだったからだ。

 これまで安倍さんは、この種の事件が起きると、ただ強い言葉だけを発していた印象がある。人命にかかわるようなテロ事件だったら、「裁きを受けさせる」とか等々。後藤さんが拘束された事件での安倍さんの言葉をめぐり、賛否両論が巻き起こったこともある。

 今回の安倍さんの談話は、「テロの未然防止のための国際協力」というものだった。強い言葉もないではなかったが、中心はこれだった。

 おそらく、安倍さんの頭をよぎるものがあったのだろう。フランスがシリアにおける空爆をしていることを口実にしたテロ事件なのだから、ISが倒すべき相手であることは変わらないにしても、あまりに強い言葉は日本を標的にする口実を与えることになるから、避けなければならないというような感じだろうか。

 言葉が出てきた動機は別にして、言葉自体は大変理性的であり、大事なものだ。どうやったら「テロの未然防止のための国際協力」ができるのかどうか、真剣に考えなければならない。

 そこには、よく言われるような、短期的課題としての情報交換とか、資金の厳格な管理とかがある。さらに、中長期的課題としてのイスラム社会の民生の安定とかがあるのだろう。

 同時に、イスラムの若者の中に、「こうすれば社会は変わる、世界も変わる」という展望をどう持てるようにするかという問題が大きいと感じる。いろいろな不満があっても、国内に希望を託せる勢力があって、選挙で勝つことができるとか、デモで世論を喚起することができるとか、そういう可能性があれば、若者がテロに走る危険はずいぶんと減るはずである。

 そういうことを追求すると、現在の政権と対立する勢力を育てることになり、弾圧の対象になるかもしれない。実際、昔はイスラム諸国のなかには大きな共産党があって、そういう闘争を担っていたわけだけど、みんな弾圧されて壊滅状態だ。

 けれど、社会を平和的手段で変えるというのは(テロには訴えずに)、そういうことなのだろうと思う。まあ、古い言葉を使わせてもらうとすると、やはり階級闘争なんだと思う。

 これを、誰が、どうやって進めるのか。さすがに安倍首相には頼れないわけだが、イスラム教の指導者にそういうことを教えよと言って通用するのか。イスラムの教義って、社会を変革することをどう捉えているのだろう。考えるべきことが多いよね。