2018年4月25日
先日、PKOに初参加した自衛隊の隊長だった幹部自衛官をお呼びした講演会を、兵庫県弁護士九条の会が主催したことはお伝えした。終了後、懇親会があり、わずかな時間だけど、両者が親しく交流することができた。
おそらく、どちらにもほとんど違和感はなかったのではないかと感じる。是非、また来てほしいというお話になったし。その方も含む『自衛官の使命と苦悩──改憲論議の当事者として』という本を秋に出す予定なので、その時にでもどうかな。
ところで、その懇親会で、こういうこともあるんだと思った話。どこにそんな落差があるのだろう。
初めは、「これまで神戸に来られたことがありますか」という弁護士の質問だった。「いや、もちろんあります」というお答え。それで、「いやいや、仕事で来られたことがありますか」というのが次の質問。
それに対して、自衛官は、「覚えておられませんか?」と、やや怪訝な表情。「カンボジアに向かう自衛隊は六甲アイランドから出たんですよ」と。
どこからどうやって自衛隊を出すかについては、いろんな議論があったらしい。反対運動がすさまじかったから、ひっそりと出そうという案もあったそうだ。
しかし、そういうやり方は禍根を残すということになったそうだ。そうだよね。ただでさえ反対運動が強かったわけだし、家族の哀しみも派遣される隊員にはひしひしと伝わっていただろうから、それにくわえだまし討ちみたいな出し方をしては、自衛官の誇りも使命感も傷つくことになっただろう。そこで六甲アイランドが選ばれたという(おそらく主要な部隊は呉基地からも出港したという記憶があるけれど)。
でも、ほとんどの弁護士の方々の記憶には残っていなかったみたいだった。やはり、派遣された自衛官には、自分の命もかかっているという覚悟とか、なかなか支持を得られない苦悩とか、何十年経っても忘れられないから、抗議の声を上げた側とは違うんだろうね。
実際、その方は隊長だったわけで、どの時点で自分が腹を切るのか(退職するのか)、覚悟を決めていたそうだ。実際、警察官は亡くなったわけで、それが自衛官であってもおかしくなかった。当時、派遣された警察の方々はいまでも年に一度集まっているそうだが、その冒頭は亡くなった方に冥福を捧げるところから始まるという。
南スーダンから自衛隊が帰ってきて、PKOへの自衛隊派遣問題は急速に議論がしぼんでいる。引き続き自衛隊を派遣するのか(その場合はいろんな問題を決着させないと任務も遂行できないし、自衛官の命も危うい)、危険な場所には他国と同じく民間が行くようにするのか、自衛官が行く場合は非武装・丸腰の任務だけに限るのか。
本格的な議論が必要だよね。それ抜きに、これまでの延長線上で自衛隊が派遣されることがあってはならない。
2018年4月24日
ゴールデンウィークは忙しいです。初日の4月28日から仕事がいっぱい。
その初日、鳩山友起夫元首相が神戸にやってきまして、2つの取り組みがあります。いずれも映画関係。
最初は、三上智恵監督の最新作「標的の島 風かたか」を午前、午後に上映し、その合間に鳩山さんの講演「沖縄と東アジア共同体」を聞こうというものです。映画のチラシは、「この砦が最後の希望──辺野古、高江、都、石垣──なぜ闘うのか? 壊れかけたこの国の、自由と平和をめぐる「最前線」」とされています。
会場は兵庫県民会館の9階にあるけんみんホール。400人近く入るところですね。上映時間は10:30〜と14:30〜。その間、13:00〜14:00が鳩山さんの講演です。お問合せは兵庫県映画センター(TEL:078-331-6100 E-mail: hyogocc★gol.com、★は@)
鳩山さん、その講演をやり、サイン会をすると、すぐに次の会場に移動します。元町映画館が5月12日からドキュメンタリー映画『憲法を武器として 恵庭事件 知られざる50年目の真実』を興行するのですが、その先行上映会です。
ただし、場所は、映画館の近くで同じ商店街にある〈こうべまちづくり会館〉2Fホール。13:20分からが映画で(110分)、その後、鳩山さんと私がトークします。トークは映画を見た方だけが参加できます(定員80名)。詳しくは以下のサイトで。
http://www.motoei.com/topics.html#id032001
恵庭事件のことはご存じですよね。北海道恵庭にある陸上自衛隊の島松演習場で、演習による牧畜への被害を防ごうと通信線を切断する事件があり(1962年)、それが自衛隊法違反で告訴されたことにより、自衛隊の合憲性が法廷で正面から闘わされることになった事件です。私の初めて知りましたが、この原告となった方、現在も元気で活躍しておられるんですね。
トークでは、鳩山さんと恵庭事件を関連づけなければと思って、ちょこっと調べました。この裁判の過程では三矢作戦研究が暴露され、裁判にも大きな影響を与えたのですが、これを国会で暴露した岡田春夫衆議院議員って、北海道旧四区選出ですから、鳩山さんと同じ選挙区だったんですね。岡田さんが引退した選挙で鳩山さんが初当選という関係です。だからどうだというのかは、トークで。
その翌日早朝から3日間の東京出張があったり、連休中、ずっと仕事です。
2018年4月23日
先週末にお伝えしたように、土曜日、日曜日と、連続的に講演会がありました。それを紹介する記事で、73年の自衛隊違憲判決の年に自衛官を志して防衛大学に入った人を、弁護士として自衛隊違憲論に心躍らせた人が講師としてお招きすることにふれ、以下のように書きました。
「その両極に立っていた人々が、それから45年を経た明日、同じ会場で相まみえるのですから、歴史的だと思います。さて、どんなお話を伺えて、どんな議論になるのでしょうか。」
私は、土曜日の挨拶でも日曜日の講演でも、この「両極」という言葉を使いました。しかし同時に、実は「両極」ではなかったのではないか、というお話をしたのです。
長沼訴訟を初め、戦後の自衛隊違憲裁判の中心にあったのは、いわずとしれた内藤功弁護士です。その内藤さんが、弊社の『憲法九条裁判闘争史』で書いておられます。「なぜ、そんなに情熱を注ぎ込んで来られたのか」という質問に対して答えているのです。
「自衛隊と隊員を活かしてやりたいの一念です。海外で人を殺すような仕事をさせたくないんです」
「箕輪登さんの、『我、自衛隊員を愛す 故に、憲法九条を守る』という心ですよ」
ここは少し解説が必要でしょう。
箕輪登(故人)さんというのは、自民党の代議士だった方です。タカ派の国防族と言われており、自衛隊員が多くいる札幌、小樽を地盤としていていました。
その箕輪さんが、小泉首相が自衛隊をイラクに派兵すると発表した時、大いに怒り狂います。自衛隊の任務は専守防衛であって、国防のためには命も賭すことを誓約しているが、海外に出て命を落とすような任務を与えるのは憲法違反だと感じたわけです。それで札幌の弁護士会にやってきて、相談して、そういう訴訟をするに至ります。全国で闘われ、名古屋高裁で航空自衛隊の一部を活動が違憲だと判断されたのはご承知の通りです。
その箕輪さんと防衛省の高官だった方が弊社から本を出します。そのタイトルが『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』というものでした。
内藤さんは、箕輪さんの本のタイトルをとっさに思い出したわけですが、自衛隊違憲論の中核にあるものとして、さすがに「自衛隊を愛す」とまでは言えなかった。だけど、「自衛隊員を愛す」と言い切ったということです。
だからつまり、45年前、自衛官を志した人と、自衛隊を違憲だと主張して裁判をした人と、両極にいるようで、実は心が通い合う部分もあったと思うのです。内藤さんは自衛隊が嫌いだから違憲論で闘っていたわけではない。自衛隊員を愛していたから、その自衛隊がアメリカの侵略に協力するようなことで命を失うことには反対していたし、そういう自衛隊は憲法違反だと主張していたわけです。
昨日の高槻でも、そのお話はしました。「自衛隊員を愛す」「自衛隊を活かす」という観点での9条護憲論を初めて聞いたということで、それなりに感じるところがあったと思います。2か月間、がんばらなくちゃ。
2018年4月20日
明日から6月下旬まで、上記のようなテーマを扱うイベントが連続的に開かれます。明日のイベントは、主催が兵庫県弁護士九条の会。会場はJR神戸駅あるいは地下鉄大倉山駅で降りてすぐのアステップ神戸です。午後2時から。
自衛隊のことが憲法に明記される「加憲」が浮上して、その「自衛隊」をどう考えるかが焦点になっているわけです。ところがこれまでの護憲派は、自衛隊の外にいる人が、自衛隊を批判するという文脈で論じたものしか見ていません。自衛隊を批判してもいいのですが、当事者である自衛官、とくに自衛隊を代表できるような幹部自衛官からは何も聞かないで、自分の自衛隊論を構築してきたわけです。
さすがに現在、それではダメだと考える護憲派が生まれてきて、この時期のイベントにつながったわけです。私が「自衛隊を活かす会」の事務局長として呼ばれるものもあれば、幹部自衛官の話を聞きたいからとして私が仲介したものもあります。さて、どんなものになっていくのでしょうか。
明日は幹部自衛官のお話。元陸将、東北方面総監を務めた方です。自衛隊がはじめてPKOで海外に出たのはカンボジアでしたが、その最初の部隊の隊長も務められました。
1973年に防衛大学校に入学した方です。73年と言えば「あっ!」と思う方もいるかもしれません。そう、長沼訴訟の第一審判決で自衛隊が違憲とされた年です。この方にとっては、自分がこれから一生を捧げようと決意した仕事を「違憲」とされたわけで、その衝撃の気持ちは忘れられないでしょう。この判決を受け、同期には退学した親友もおられるそうです。
一方、明日参加される弁護士の方々の多くは、73年当時、護憲派の弁護士を目指していたか、なりたてのホヤホヤだったでしょう。自衛隊違憲判決に心を躍らせ、違憲の自衛隊を解散に追い込む決意を固めたのではないでしょうか。
その両極に立っていた人々が、それから45年を経た明日、同じ会場で相まみえるのですから、歴史的だと思います。さて、どんなお話を伺えて、どんな議論になるのでしょうか。
主催者から私には、「お呼びする自衛官は護憲派でも改憲派でもいいから」ということだったので、人選はスムーズに進みました。いま、いろんな自衛官の方々のお話を伺っている最中ですが、たとえ安倍さんの加憲案を評価する人であっても、「心からうれしい」と感じている人はいないのが現状だと思います。そうした自衛官の複雑な気持ちを理解した上で護憲派が護憲論を再構築できるなら、かなり説得力ある議論が展開できるのかもしれませんね。
明後日は、私が、私の住まいのある高槻市で、ある九条の会に呼ばれておりまして、お話しします。来週、そのご報告をします。
2018年4月19日
東京でお昼過ぎまで仕事をして、ようやく戻ってきました。いまさら新しい記事を書く余裕がないので、某紙に寄稿したものをそのままアップします。
──────────
「破棄した」とされていたイラクに派遣された自衛隊の日報に「戦闘」の文字が記されていたことが報ぜられた。南スーダンPKOに派遣された自衛隊の日報と同じである。自衛隊が派遣されているのは「非戦闘地域」だという政府の弁明が、もろくも崩れ去ったのだ。
この問題は、巷間言われているように、もちろんシビリアンコントロールの問題でもある。日報があるなら出せという稲田防衛大臣(当時)の指示が無視されていたわけだからそれは間違いない。しかし、問題はもっと大きいように思う。
思い起こされるのは、実際には「戦争」を開始しながら、政府も軍も「戦争ではない」と言い張った過去の事例である。戦争を「事変」だと言いくるめた満州事変、支那事変のことだ。
満州事変などの場合、「戦争」と言ってしまうと中立法が適用されることになり、アメリカが中立を宣言すると原油が輸入できなくなるという懸念などがそうさせた。戦争であることは自覚していたが、より効果的に戦争しようとする思惑が働いたわけである。
イラクや南スーダンも構図は同じである。政府は現地がPKO法の規定では自衛隊を派遣できない戦闘地域であることは重々承知していたのだ。しかし、戦闘地域と認めてしまえば、法律の規定上も国民世論上も自衛隊は派遣できない。現地の実態よりも政治的思惑を優先させ、戦争に参加するためのハードルを下げたのである。
現地の自衛隊は、法律の規定からして、「戦闘地域」の用語を使ってはいけないと自覚していたはずだ。それなのになぜ日報にこの用語が出て来るかといえば、無責任に派遣を決定する政府とは異なり、実際に任務を遂行しようと思えば、実情をリアルにつかんでおくことが不可欠だからだ。「非戦闘地域」という建前で任務を遂行していては、自分の身さえ危うくなるからである。
本来なら、自衛隊にとって日報はオモテに出したい性格のものではないだろうか。そんな危険な中で任務を遂行していることを国民に知ってもらうことは、自分たちの誇りにつながるからだ。政府から与えられた任務は遂行しなければならないという使命感と、同時に自分のいのちは守り抜きたいという当然の気持ちと、その両方を貫こうとすれば、現場の実情を隠そうという気持ちにはならないはずだ。
けれども他方で、その真実をオモテに出してしまっては、事実上、「戦闘地域ではない」と説明している政府を批判することになる。「政治的活動に関与せず」(服務の宣誓)が義務となっている自衛官にそれはできない。だから自衛隊は、自分の命にかかわることでも、政府にとって都合の悪いことは隠そうとするのである。
これはシビリアンコントロールの問題ではない。自衛隊をコントロールするべきシビリアン(政府)が間違っている問題である。自衛隊を海外に派遣するために政府がウソをつくから生じる問題なのだ。自衛隊員の命よりも安倍政権の延命が大事だということから生まれているのである。この構図は、刑事訴追されても安倍政権を守ろうとする財務省・国税庁の佐川氏問題と同じであるが、その結果が自衛隊員の命と、日本の戦争への関与にかかわることだけに、より重大である。
「戦争ではない」とする建前から、自衛官が武器を使用して民間人を殺傷しても、国の責任は免れ、現行法では自衛官個々の責任になる。「戦争ではない」ので自衛官は捕虜にもなれない。こうして政府がウソで自衛官を追い詰めていたら、それこそいつか来た道の再来となり、本当にシビリアンコントロールの問題になってくるかもしれないのではないか。