2018年3月19日

 週末の土曜日、また東京に出張してきた。自衛隊の陸将、海将、空将で昨年退官したばかりの方々のお話が聞けるというので。

 直接には、加憲の対象とされる自衛隊の方々に、それをどう感じているかを語ってもらう本をつくっていて、それに海自の方が不足しているのでお願いするのが主目的。でも、いろいろな角度のお話を聞けて、勉強になった。

 自衛隊とは何かについて、日本の左翼はあるパターン化した認識をもっている。例えば「対米従属の軍隊」というものがある。

 それは本質的には正しい。例えば、米軍にリンクされたデータなしには、自衛隊は任務を遂行することができないわけだから。

 しかし、それが本質的に正しいといっても、防衛の現場でそれがすべて貫かれるわけではない。「すべての歴史は階級闘争の歴史」という本質をすべてに当てはめようとすると、自分と考えが違う人びとがみんな階級敵に見えるようなものになっていくのと同じで、有害なことになる。

 例えば、米陸軍との共同演習「ヤマサクラ」というのがあるが、一昨年、九州を中心に開かれたこの演習を指揮した陸自の方のお話があった。お話の中心は、やってくる米兵が使い物にならなくて、どうやって鍛え直したかというものである。最近の米兵は、アフガンやイラクで市街戦ばかり経験しているので、「敵地」で戦うのが身についているが、日米共同演習は日本有事であって、敵地ではなく日本国内が戦場になることを想定している。ところが米兵は「敵地」でやるみたいにして、何でも壊そうとするらしい(演習だから実際に壊さないのだが)。村にとって不可欠な水源などは壊せないし、鎮守様だってそうだ。そういうことを教え、自衛隊の指揮下でちゃんとやれるようにするのに、大変骨を折ったというような話だった。

 陸上自衛隊だからという条件もあると思うけどね。だけど、そういう実態を無視して、「対米従属の軍隊」という本質規定をすべてに当てはめようとすると、すべての演習が米軍指揮下で、米軍を守るためのもので、アメリカがねらう侵略を助けるのが目的だということになってしまい、現実からどんどん遊離していくことになる。自戒しなければならない。

 憲法についても見解を伺えた。最近まで現役だったので、政治的発言はしたくないと表明したが、司会者に「もう退官したでしょ」と促されて、少しだけ。ある人は、「2項は諸悪の根源」とばっさり。別の人は、「自衛官としてはどうやったら国民が守れるかを基準にして考えてほしい」と、直接には言及せず。もう一人は、「憲法があったから任務遂行に不都合があったことはない」と明言しておられた。

 これからも、いろいろなお話を聞きたいと思う。憲法に明記される人が発言しないで、誰が発言するのかということだからね。それを抜きにして加憲論議はできないでしょ。

2018年3月16日

 この間、ずっと忙しいけれど、本日は特別に忙しかったです。いくつもの仕事を同時並行で進行させました。

 一番大きかったのは原稿書き。3月31日に日比谷図書文化館の大ホールで開かれる公開討論「安倍加憲論への対抗軸を探る」では、4人の出演者(伊藤真、伊勢崎賢治、山尾志桜里、私)が自分の対抗軸を文書にして提出します。それをもとに討論するわけですが、その締め切りでした。これは最終的には本に収録されますが、当日の出席者には資料としてお配りします。A5判で32頁くらいになるでしょうか。資料代1000円をいただくのですから、これくらいは当然ですね。

 その公開討論ですが、すでに予約が200名を超えています。定員を超えているのですが、当日になって欠席する人もいることを想定し、220名になった時点で締め切ります。安倍さんが追い詰められて改憲論議が後退している感じもありますが、多少とも安倍さんが盛り返すとすると、改憲問題をどう利用するかと考えるはずなので、25日の自民党大会の直後に開かれる公開討論は、きっと大事な場になるはずです。興味のある方は早めに申し込まないと、すぐに締め切りになりますからね。よろしく。

 それに加えて、『泥憲和全集』の準備にも着手。8月以降の出版ですが、憲法記念日に「予約販売開始!」のチラシをつくって配布しないと、枕のような厚さ(800頁)と価格(5000円)の本を売るのは簡単ではありませんからね。

 予約販売に応じた方には特典があります。お名前を本のなかに入れます。消費税分はサービスで、本ができた時点で送料無料でお送りします。

 チラシのことを考えたら、表紙のデザインくらいはやって、チラシに載せるべきだと考えました。それでデザイナーに連絡をとりました。その場合、本のタイトルは最終的に確定しなければならないし、帯に載せる文章もつくらねばならないし、著名な方に「私と泥さん」というコラムを書いてもらうのはまだあとにしても、チラシにお名前は載せたいので、そうすると了解を得なければならないし。ということで、この本のことでもバタバタしました。

 マルクス関係の仕事もいくつか。そうそう、3月27日、28日と、京都の妙心寺というお寺で、「内田樹先生&石川康宏先生特別対談と交流の夕べ マルクスで読み解く今日の世界と日本」というツアー企画があります。27日の午後、28日の午前、マルクスを主題にお二人に語り合ってもらうんですが、参加者には『若者よ、マルクスを読もうⅠ』の中国語版をプレゼントできることになりました。ちょっとしたお土産になるでしょ。京都は知事選挙の最中なので、あまり大声では言えないのですが、参加ご希望の方は、旅行社のこのサイトに行ってみてください。

 明日は東京に行って、幹部自衛官だった方と新たな出会いがあります。ホント、忙しいです。

2018年3月15日

 5月にトランプと金正恩の首脳会談が実施されることになった。歓迎ムードがある一方、懸念も強い。結果次第で日本に与える影響が大きいので、政府は真剣な準備が必要だし、国民も心の準備が必要だと感じる。

 昨年、米本土に到達する能力のあるICBM発射実験があり、金正恩が「核事業の完成」を宣言した時、このブログで対話の可能性が生まれたことを指摘した。実際に完成しているかどうかは別にして、力を背景にした交渉という、現在の国際政治の力学ではふつうのことが可能になったわけだ。

 首脳会談は私も歓迎するけれど、不安もある。首脳同士の会談というのは、それが最後の決め手であるだけに、失敗すればあとがないからだ。外相会談なら決裂しても首脳が乗り出すという選択肢があるけれど、首脳会談にはそれがない。

 しかも、国務省の頭越しに首脳会談が決まり、何の準備もされていない。ティラーソン氏がそのことを指摘し、本格的に準備をしようとしたら、今回の解任劇である。他にも外交的解決を主張してきた国務省関係者が辞め、新国務長官は金正恩の排除を示唆したとされる人物だ。

 そして会談に臨むのがトランプ氏。13日に投開票のあったペンシルバニアの下院補欠選挙で、大統領選挙では圧勝した地域なのに共和党が敗れ、政権内から異論を取り除いたトランプ氏はますますご機嫌取りの政策へと進んでいくと見るのが常識だ。支持率の低迷に苦しんでいたブッシュ大統領が、イラク戦争に踏み切って大幅に支持率を上げた過去を思い出すのは私だけではなかろう。

 それやこれやで、首脳会談がやられるからただただ歓迎だというのでは、何の説得力もない。この局面で日本外交に求められているのは何だろうか。

 一つは、首脳会談が決裂したとしても、二回目、三回目があるという論理づくりだろう。会談の中身で評価できる部分があるなら、それを生み出したトランプの努力を讃えて次につなげるということもあろう。圧力によって会談までこぎ着けたのだから、成果が出るまでにはさらなる圧力が必要だという論理でもいい。とにかく対話と圧力を継続するという論理である。

 もう一つは、首脳会談が部分的に成功したとして、その成果を日本が分担するかどうかの準備である。94年の米朝枠組み合意では、日本は相談もされないで軽水炉の建設費用を分担させられた。それが可能だったのは、当時はまだ小泉氏の訪朝以前であって、拉致問題の位置づけが現在とは異なっていたからである。

 しかし現在、拉致問題が何の動きもないのに、核問題が少し動いたからといって、日本が責任を担うという選択肢があるのか。日本の世論が分裂しかねない問題だから、真剣に検討しなければならない(しなければならないのは政府だけではないけれど)。

 しかも、非核化が口約束にとどまるとか、ICBMは開発しないがテポドンは現状維持にとどまるような場合、日本がどうするのかという問題もある。最大級の難しさだ。

 だからこそ、米朝枠組み合意は六か国協議に精通した外交専門家の関与が不可欠なのに、トランプさんが行き当たりばったりの会談に臨もうとしているみたいで、不安だけが増幅する。

2018年3月14日

 今年になって、いくつかの市民団体から、「幹部自衛官を呼んでお話を伺いたい」という依頼を受けるようになりました。憲法九条に自衛隊が加憲されるというのに、その自衛隊について抽象的にしか知らないことを自覚し、慌てているという要素もあると思います。

 まあ、そういう自覚が生まれているだけでもいいことですので、できるだけご紹介するようにしております。しかし、率直に言って、最低限守ってほしいルールみたいなものはあります。

 ここ数年、泥さんなどが活躍したので、「自衛官がかつての態度を変えて、護憲の仲間になった」みたいに思っている人がいます。しかし、泥さんのお話をちゃんと聞けば分かるように、泥さんは護憲派ですが、自衛隊は日本の国防にとって不可欠な存在だと考えており、積極的な自衛隊合憲論者でもありました。泥さん自身の考えは、自衛官の時代からずっと一貫していたのです。

 ましてやいま呼ばれているのは幹部自衛官です。日本の防衛のためには生命を賭すこともいとわないという立場で、現場の自衛官を訓練し、指揮してきた人びとです。自衛隊の使命を深く自覚している人ばかりです。そこはずっと変わっていないし、誇りも持ちつづけています。

 さらに言えば、戦争を回避したいという気持ちを、もっとも強く持っている人たちだとも言えるでしょう。だって、戦争になって死ぬのは自分たちなのですから。

 自衛官を前にして、市民運動の人が持論を表明するのは構いません。「F35は憲法違反だ」とか、「ミサイル防衛はアメリカのためのものだ」とか。

 でも、日本のために尽くすという使命感を持っていることへの敬意を払ってほしいとは思います。アメリカと在日米軍に自衛隊が関わるのも、それが日本防衛に必要だという気持ちからのものだとは知ってほしい。それを間違いだと考えるのはいいですが、自衛官の論理をよく分かっていないと、国民を前にして説得力のある宣伝もできないわけで、よく理解するために話を聞くというのが基本であってほしい。自分とは意見が異なると表明するのはいいけれど、日本を危険にさらすために何十年も自衛隊に所属してきたみたいな物言いは避けてほしいと思います。

 また、幹部自衛官のなかには、九条のままでいいという人もいます。しかし、だからといって、それを護憲運動に利用しようというのは止めてほしい。護憲の場合も、みんな苦しいんです。市民運動の人から「違憲だ」と批判され続けた記憶も消えていません。また、仲間のなかには憲法に自衛隊が位置づけられることを喜ぶ人が多くて、ただでさえ肩身の狭い思いをしている人もいます。

 それなのに、「この幹部自衛官も護憲なのだから、君たちも護憲派に加われ」みたいな使い方をされたら、二度とそういう場には出てこないでしょう。そういう人が護憲という立場を表明するだけで大変なのだということを自覚し、静かに聞いてほしいなと思います。
 

2018年3月13日

 麻生さんのことは、そんなに嫌いじゃありません。いや、もちろん、「謝罪する」と言いながら頭を下げないところとか、人の上に立つことが当然という育ち方をしてきたわけで、「私とは違うよな」と感じることだらけではあります。

 しかし、「金持ち、ケンカせず」という言葉にあるように、下のものには余裕で接するというところがあって、その余裕の部分は楽しんで見ていられるところがあったと思います。上から目線なので、それでも嫌いだという人は多いでしょうが。

 官僚との関係も、これまでそれが有効に働いていたと思います。「良きに計らえ」方式と言えばいいんでしょうか、官僚にまかせるわけです。

 昔、「大事な問題なので官僚に答弁させる」と述べた労働大臣がいましたが、基本、それと同じで官僚を信頼する。というか、自分で国政にかかわる政策をつくる能力はないので、任せるしかないわけですけどね。まあ、その労働大臣と比べれば、中身を消化して自分で答弁する力はあるんだでしょう。官僚が間違うこともあるんでしょうが、そこは鷹揚にかばったりして、さらに官僚との関係を密にしてきたように思えます。

 それで今回のことです。麻生さんはどこで失敗したのか。

 一つは、もう財務省は、以前の大蔵省時代とは異なって、あまり優秀ではなくなっているのに気づかなかったことでしょうね。優秀というのは、単に頭がいいというだけでなく、それなりに国家、国民のために尽くすという姿勢を持っているということです。それが衰えている。

 もちろん、どの時代でも、官僚には(民間人だってそうだし、私もそうですが)「保身」を考える要素はあるでしょう。特定の人びとの利益のために多少は融通を利かせるという姿は、私も国会で秘書をしていましたから、時々は目にしてきました。でも、それらは微妙だけれど裁量の範囲内だと思わせるもので、国会で大問題にするわけにはいかないものも多かったのです。

 それなのに、現在の財務官僚は、特定政権の利益のために国益を侵害し、法律違反までするのですからね。その変化を麻生さんは見抜けなかった。いや、そうでない官僚もいっぱいいるから、こうやって改ざんが日の目を見たことも言っておかねばなりません。ただ、政治主導が現在の政治の合い言葉になっているし、現在は野党を含むすべての政党が政治主導でやっていくことをうたっているので、官僚はどんどんその方向に向かっているのかもしれませんが。

 もう一つは、官僚に信頼を寄せている自分の姿を明確にすることでその官僚の信頼を得るという、従来型のやり方をとったことです。一つ目と裏腹の関係にあることですけれどね。

 麻生さん、佐川さんのことを「極めて有能」とかばい続けました。それで官僚の信頼を得ることになると、従来型の思考に陥っていたわけです。

 しかし、財務官僚にとって見れば、目の前で決裁文書の改ざんが進行しているのに、それに手を染める官僚を「極めて有能」と持ち上げてきたことになるわけです。つまり、麻生さんは「(改ざんを)知らなかった」と言っていますが、事実上はずっと、改ざんを叱咤激励してきたようなものなのです。

 それなのに、「責任は考えていない」はあり得ないでしょう。壮大な勘違いをしてきただけだとしても、責任は免れません。

 その上、結局、官僚を守ることもできなかったどころか、官僚だけに責任を押しつけようとしているわけです。官僚との蜜月が終わり、麻生さんの影響力は地に落ちることになるでしょう。