2017年5月2日

 南スーダンでの駆けつけ警護に続き、新安保法制発動の第2弾となったのは「米艦防護」だった。どちらも、余りにも日本的だと言わざるを得ない。

 「安全保障関連法制の肝は米艦防護だ」と政府関係者が言っているそうだ。その通りだろう。アメリカの艦船が攻撃なりに専念すれば、その分、防護が弱くなる。自衛隊に守ってほしいというのはアメリカ側のかねてからの要求だったし、もう何十年もの間、そのための訓練も実施してきて、自衛隊には能力があるわけだ。残すは法律で担保することだけだったので、発動は時間の問題だったと言える。

 ただ、「肝」であるはずの任務なのに、防衛省からは公表されていない。密かに実施されたわけだ。しかも、北朝鮮対応のために日本海に向かう米艦を防護するのに、任務を実施したのは太平洋側。

 「肝」だったら、こんな大事な任務だと言って、自衛官に誇りをもたせるべきだろう。そういう実際の任務遂行のことは脇に置き、国民を少しずつ慣らしていこうというのは、日本的であるゆえんである。

 もともと、任務の中身そのものが日本的ではある。攻撃するのは米艦で、日本はそれを守る役。それ自体が日本的だけれど、それ以上に、日本を守ってくれているから米艦防護をするのだと言いつつ、じゃあアメリカが攻撃するとして、その判断に日本が関与できるかどうか定かではない。日本がまず先制攻撃を受け、それにアメリカが反撃する場合だけでなく、アメリカが先制攻撃するとしても、日本は判断に関わらないのではないか。ただアメリカを守るだけ。「日本防衛」の話なのに。

 南スーダンも日本的だった。現地で住民が求めているのは自分を守ってほしいということで、それほど危機的な状況にあって、そこに日本はどう関わるのか大事だったのに、政府はその議論を回避し続けた。「危なくない」と言い続けることのほうが優先されたわけだ。

 自衛隊は帰国するけれど、じゃあどう総括するのかの議論も、このままではされそうにない。だってこれまでと同様「危なくない」任務をしてきたということになっているのだから。

 野党も、日本防衛のあり方の根本を議論しようとしない。防衛問題を本音で議論できる日って、日本に訪れることはあるんだろうか。