2014年8月22日

 安倍さんは、岸信介さんのこと、すごく意識しているよね。集団的自衛権の問題も、岸さんがやりとげた安保改定に匹敵することをしたいという、そんな信念から来ているように思う。だけど、岸さんを見習うというなら、もっと見習わないとダメなこともある。

 最近、いま書いている『超・嫌韓流』のために、新しい資料も読み込んでいるんだけど、かつて読んだ本なども再読している。その過程でいろいろな発見もある。やはり、当時読んでいた問題意識と、いまの問題意識とが異なるから、別の発見があるわけだ。そのひとつが岸さんのことだった。

 日本と韓国が基本条約を結んで国と国との関係を確立したのは、よく知られているように1965年(来年は50周年ということを意識して本を書いている)。そのための会談が開始されたのが51年だったから、じつに15年近くかかったわけだ。植民地支配をどう見るかとか、賠償はどうするかとか、意見が対立してかみ合わなかったのである。

 たとえば、いちばん有名なものとして、久保田発言というものがある。韓国側が植民地支配の時期の被害を賠償せよと迫ったのに対して、日本側主席代表の久保田外務省参与が、「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりしたし、大蔵省は、当時、多い年で2000万円も持出していた。これらを返せと主張して韓国側の政治的請求権を相殺しようということになるではないか」と応じたのである(53年)。

 この言い分、いま中国がチベット支配を合理化するのに使っているのと同じ論理だけど、これに韓国側が反発し、会談が決裂するのである。再開されるのに5年もかかった。

 当時の時代的雰囲気は、いまの眼でなかなか想像できないと思う。いまこんなことを言ったら、韓国どころか日本の左翼勢力も猛反発すること請け合いである。ところが当時は、たとえば社会党の勝間田清一なども、「がん固なことをいうものは孤立させる。何も韓国ばかりが相手ではないという外交的態度が必要だ」とのべている。朝日新聞も、「韓国側の態度には「ささたる言辞をことさらに曲げ会談全般を一方的に破壊した」ものとみられる節があるのは誠に遺憾」(53.10.22)としている。共産党の「アカハタ」も久保田発言をとくに報道していない。

 要するに、韓国の立場を積極的に支援する動きは、日本国内に見られなかった。いまの日韓関係は最悪だと思われているけれど、当時の方がもっとすごかったというわけだ。

 これを打開したのが57年に首相となった岸信介である。岸は、首相になった当日、韓国外務省高官と会い、「私は日本の過去の植民地支配の過ちを深く後悔し、早急な関係正常化がなされるように最大の努力を尽す覚悟なので、どうか李大統領に私のこのような意志を伝えてくれるよう望みます」とのべたのである。さらに、日本側にも韓国においてきた財産に対する請求権があるという「従来われわれがとっておった法律解釈に私は拘泥しない」と国会で明言し、実際、この年12月、久保田発言を撤回するとともに、日本側の請求権を放棄することを韓国側との共同発表で明確にした。会談が開始されて以降はじめての合意であった。

 さあ、安倍さん、あなたの出番です。日本側の世論がみんな韓国を批判していても、政治家というのは、隣国との友好のために決断すべきことはするのです。岸さんの思惑は、反共国家の団結を最優先するものだったでしょう。あなたの思惑も中国包囲網の完成というようなことかもしれませんが、それでもいいから過去の態度にとらわれず、慰安婦問題で何らかの決断をしたらどうですか。