2014年8月26日

 2回続けて書いたけど、結局、何がいいたいのか。自分でも回答なしに書いてきたのだけれど、少し見えてきたかな。

 要するに、慰安婦問題の解決というけれど、何をもって解決だというのかだ。それを根本のところから考えなければならない。

 まず、日本政府に何かをやらせるのを目標とするならば、その政府というのは、他でもない安倍政権だということを前提にしなければならない。河野談話を継承すると口では言っているけれど、誰もそんなことを信じていない。その安倍政権に何らかのことをさせねばならない。

 いや、安倍政権を倒して、正しい歴史認識をもった政権をつくるのが目標だというならそれでもいい。しかし、そういう立場は現実の世界ではほとんど誰からも相手にされないだろうし、そういう人だって、慰安婦が生きているあと数年の間にそんなことが可能になるとは思わないだろう。実際、いまでは奴隷制を肯定する人がいないように、慰安婦の問題だって、数世紀あとには歴史のなかの出来事としても肯定的に見る人はいなくなるだろう。そういう将来を目標にするならいいが、それではいけないのではないか。

 ひとつの回答は、安倍さんの歴史認識そのものを批判するのが目的だということだ。安倍さんが慰安婦問題で心から謝罪して賠償に踏み切ることなど考えられない。それでも、安倍さんの認識の問題点を糾弾し続けるのが、市民運動の役割だというものだ。

 これも、慰安婦が生きているうちに何らかの解決を求めるという点では、遠い立場にあるといえよう。しかも、実際に問題は解決しないわけだから、日本と韓国の現状のような対立関係も続くことになる。実際、この問題にかかわっている人を見ると、一部ではあるが、慰安婦問題を解決するというより、日韓の対立を先鋭化させ、長引かせることを目的としているのではないかと、そんな疑いをいだかせるような人もいる。やはり、ただ批判というのではなく、何らかの「解決」を求めることが必要だと思う。

 目標の性格を変えるというやり方もある。たとえば、日本の原爆被爆者の運動が参考になる。アメリカに原爆を投下され、何十万という方がなくなり、生き残った方々も辛酸をきわめた人生を生きることになった。ところが、サンフランシスコ条約によって、すべての請求権問題は解決済みとされた。日韓条約で韓国の請求権が解決したとされたのと同じである。

 原爆被爆者は、アメリカに対する怒り、恨みはあっただろうが(いまもあるだろうが)、アメリカに賠償を求めることはしなかった。賠償を放棄した日本政府に国家補償を求める運動を起こす。そして、もっと大事なことだが、運動の目標に「核兵器の廃絶」をおいた。そういう崇高な目標をかかげることで団結し、希望をもつことができた。

 慰安婦についても、ああいう姓奴隷を二度と生みださないということを目標にすることも可能である。その点でいえば、1998年の国際刑事裁判所規程で、それが裁かれる対象の罪となったことは、じつは慰安婦を含む人々の叫びの結果なのである。だけど、そういうことは、原爆被爆者が核廃絶を明確に目標としたのと同じような形では、残念ながら慰安婦の目標にはなってこなかったように思う。いまからそういう目標の転換は可能なのだろうか。

 でも、それだけではダメなんだろうな。やはり、安倍さんに何をさせるかが、ことの焦点のように思える。