2017年6月15日

 共謀罪の結末については、あきれかえるしかない。ただ、日テレのニュースで、ある自民党のベテラン議員が語った言葉として、次のことは印象に残った。

 「(東京都議会選挙もにらみ)加計学園の問題を1日でも長く追及されるよりも、採決で批判される方がダメージが少ないと判断したのだろう」

 まあ、議院内閣制というのは、アメリカなどと異なり、国会での多数を基礎に行政権力ができるわけで、そもそも権力は集中しやすいのである。与党がぶれないかぎり、どんなに国民の多くが反対しても、行政府がとおそうと思う法案は可決される。

 そこに躊躇が生まれるとしたら、可決することによって、次の選挙で多数派ではなくなるところまで追い詰められた時だけだ。安倍さんは、共謀罪を強行しても、国民の支持はつなぎ止められると判断したということだ。しかし、加計学園問題を追及されると、その支持基盤は揺らぐと感じているということだ。

 ここは、今後、安倍政権への対抗を考える上で、大事なポイントだと思う。森友にせよ加計にせよ、法律に反してカネが動いたというようなことではないから、安倍さんが逮捕されたりするような性格の問題ではない。官邸の最高責任者の意向が証明される内部文書が出てきても、誰であれ自分の意向を表明することは自由であって、政権が倒れるような問題にはならないだろう。

 しかし、この一連の問題を通じて、少なくない国民は、森友や加計に代表される政治の在り方というのがどこかおかしいとは感じていると思う。加計はとくに官僚まで安倍政治をおかしいと感じていることが、腹をくくった覚悟とともに伝わってきて、国民にもわかりやすくなっている。

 そこを野党がどう捉えて、どう攻めていくか次第では、別の政権が必要だと国民に思わせるものを提示できる可能性があるのではないか。個別の政策的な対案ではなく、あれこれの暴露的なものでもなく、政権のありように関する選択肢の提示である。

 森友や加計に代表される安倍政治とは何か。「絶対権力者にみんな右へ倣へ」の政権である。「決められない政治」が問題になってきて、「決める政治」が生まれているわけだが、それが行き着くところまでやってきて、絶対権力者だけが決める政治が生まれている。そして、政治家も官僚も「右へ倣へ」なのである。昔、「みんな右へならえでいいのでしょうか」というスローガンがあったけれど、そんな感じだ。そこにおかしさを感じているのではないだろうか。

 それに対抗軸を提示できるとしたら、やはり「多様性」ということになるだろう。しかし、多様性だけだとバラバラということで、いまの民進党のなかのことを言っているようで評判が悪いし、野党との政策的バラバラ感も強い。だから、対抗する政権の在り方としては、「多様性を統合する政権」みたいな感じがいいのではないかと感じる。バラバラ感は強調しなくても伝わっているので、「統合」である。

 まあ、そのためには、本当に野党協議を加速してもらって、政権の対抗イメージでも政策でも、まとまったものを出してもらわないとダメなんだけどね。期待しておきます。