2015年2月3日

 沖縄に来ています。もちろん、県知事選挙やそれに続いた総選挙での保革共闘がどうやって成立し、どんな力を発揮したのかの取材です。

 何と言ったらいいか、このブログ記事のタイトルそのものでした。まさに文字通りというか、何というか。

 米軍基地の重圧に全県民が苦しめられているとはいえ、保革が共闘するなんてことは、少し前までは考えられなかったことです。今回も、仲井真さんと翁長さんに保守が分裂するという動きのなかで、革新の側には、従来の革新共闘で臨むという動機が強まることもあり得ました。だって、これまでと違って保守が分裂するわけですから、革新が漁夫の利を得る可能性があったわけです。

 実際にそういう動きもあったとか。だって、安保廃棄を掲げない(もちろん自衛隊廃止でもない)共闘って、これまでの革新では考えられなかったわけですから。

 そこをなぜ突破できたのかが、今回考えている本の最大の焦点です。そういう動きを本土でもつくりだすのは可能なのか、どうやったら可能になるのかが、安倍政権を追い詰めたいと願うすべての人々が手にしたいものでしょうから。

 まず政治的な背景でいえば、みなさんがおっしゃるのは、今回の選挙で負けたら、もう普天間問題で勝つことはできないという判断だったと思われます。だから何としても勝たねばならないという覚悟が、保守の側にも革新の側にもあったということでしょう。逆に言えば、本土での一点共闘が政権共闘に発展しないのは、どうしても勝たねばならないところまで追い詰められているわけではないということかもしれません。

 同時に、それだけではなかった。革新が保守と組み決断をするのも、保守が革新と手を組む決断をするのも、それが一点共闘の運動面での共闘だったか簡単ですが、政権共闘ではそう簡単ではないわけです。そこを切り開いたのは、やはり人間の役割だと思います。

 保守の側にとってみれば、共産党と組むのは、悪魔と手を組むのと同じだという考えの人だって多かったでしょう。実際、保守の議員のなかには、総選挙で一区の赤嶺さんを応援しない人もいたわけです。しかも、この路線を進めば、自民党を除名されることへの覚悟も必要でした。実際に除名されましたし。

 革新の側も同様です。安保廃棄を掲げない政権共闘って、原則から外れまくりですから(私は原則の範囲内だと思いますけど)。激しい論争と葛藤があったようです。翁長さんを応援するために動いた人のなかには、厳しい批判を受けて、つるしあげのように感じて、除名を覚悟した人もいたようです。

 だけど、先ほど書いたように、今回で負ければ終わりだ、今回で勝たねばという覚悟が、そういう不安を押しのけた。除名はされても仕方がないと思わせて、いろんな人をがんばらせたということでしょう。

 そこをリアルに描いた本ができるかどうかが、この本が成功することの条件です。というか、本土でもそういう共闘が可能になることの条件でもあると思います。

 だけど、そこをリアルに描けるのかですよね。関係者がそういう内幕を話してくれるか、それこそ話せば処分されるということだってあるでしょうから。

 まあ、誠実に取材してもらうしかありません。書き手とは、今からお会いします。