2015年2月4日

 もう15年前になります。1999年の夏から秋にかけて、何回か沖縄に来ました。

 2000年夏にサミット(先進国首脳会議)が沖縄で開かれることに決まっていたんですね。小渕首相のときでしたが、普天間基地の移設と称して、名護に巨大な基地を建設する計画が本格的に動き出していて、その方向へ世論を持っていこうとする意図が政府にはあったと思います。

 一方、沖縄県民は、サミットで各国首脳が集まる機会を捉え、沖縄の実情を世界に訴えようとしていました。私は当時、共産党本部の政策委員会というところで安保外交問題を担当していたのですが、世界にアピールする文書をつくろうということになり、沖縄を訪問して勉強し、その文書を起案することを命じられたわけです。

 その文書は最終的に、翌年2月16日、「沖縄の米軍基地問題を世界に訴えます」というタイトルでまとめられました。サブタイトルが、「沖縄サミットを前に各国政府と世界のマスコミへの日本共産党の報告と訴え」。ネットで見られるので、関心のある方はご覧ください。世界への訴えですから、当然、英文も作成され、これもネットで見ることができます。

 なぜこんな昔話を書くかというと、今回の沖縄訪問で、この文書が役に立っていると感謝されたからなんです。何の役に立つのかというと、安保条約への態度を留保した保革共闘になんです。

 この訴えの最後の最後に、以下のような文章があります。

 「日本共産党は、日米安保条約をなくして、基地のない平和な日本をつくることを展望しています。しかし同時に、沖縄県民の苦痛は、安保条約の終了以前にも、緊急に解決しなければなりません。世界各国のみなさんにも、沖縄の現状と要求について、ご理解いただきたいと考えます。」

 そうなんです。安保廃棄をめざすけれど、沖縄県民の苦痛はそれ以前にも解決しなければならないとされています。安保を容認する人を推薦できるのかということが議論になった際、共産党の公式文書のこの箇所を指摘し、安保条約の終了以前にも普天間基地問題は解決しないとだめなのだから、普天間問題を解決するために全力をあげる人なら、安保条約を容認していても推薦すべきだと強調する人もいたんですね。

 とってもうれしいです。同時に、この問題はもっと深めていないと、保革共闘が揺らぐことにもつながりかねません。

 現地の方の話を聞くと、国政選挙での保革共闘には、偶然的な要素もあったと思われます。県知事選挙で勝って、その影響力は甚大なものだったので、それを打ち消すためにも安倍さんには総選挙を敢行して勝利することが必要でした。

 それで直後の解散となったわけですが、もし解散までにあと一カ月ほど余計に時間があったら、安保をはじめ政策のどこをどう保留し、どこが一致するのかが議論されたら、いっしょにはやれないということになりかねなかった側面もあるそうです。時間がなかったから、お互いに違いを浮き立たせることなく納めることができた。その沖縄の共闘をしっかりとした政策で一致させるにも、「自衛隊を活かす会」が準備している政策提言は意味があると思います。

 沖縄本の著者は、すっごい人です。日本で最大の出版社のノンフィクション賞も受賞したことのある人ですから。乞うご期待です。