2015年2月9日

 昨日の読売新聞によると、安倍内閣の支持率が5ポイントも上がって、なんと58%に達したそうだ。人質事件への対応を「適切だった」と思う人が55%で、「そう思わない」の32%を上回り、「人質事件への対応が評価されたことが、内閣支持率を押し上げたとみられる」とされている。

 安倍さんの反対勢力のなかでは、人質事件への対応はむちゃ評判が良くないが、国民世論全体ではそうではないということだ。反対勢力のなかには、安倍さんの2億ドル発言が身代金要求を生みだしたって言う人がいるけれども、身代金要求自体は、その発言のずっと前、昨年から後藤さんの家族に伝わっていたという報道もあるし、なんでも安倍さんが悪いという論理にはまるように事実を配置していっても、国民は付いてこないということだろう。

 その同じ日の読売新聞に、アメリカ総局長の飯塚恵子さんが、安倍さんの昨年7月のキャンベラでの演説(議会演説)について書いている。日本国内ではそうでもないが、欧米やアジアでは注目されているそうだ。

 何かというと、冒頭から、こう述べたそうなのだ。「第2次大戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省と共に始めた日本人は、平和をひたぶるに、ただひたぶるに願って、今日まで歩んできました」

 「ひたぶる」って、もっぱらそのことに集中して、という意味だよね。そして、「痛切な反省」のあと、父や祖父の時代に、ココダがありサンダカンがあったと続けたそうである。

 ココダとは日本軍と米・豪連合軍の激戦地。サンダカンはいいうまでもなく日本軍が捕虜収容所を置き、数千人の捕虜を酷使して死亡させた場所である。

 日本の首相がオーストラリアでこの2つの地名に言及したのは、史上初めてのことらしい。オーストラリアのメディアでは「すごい演説だ」と話題になったとのこと。

 飯塚さんによると、これがアジアや欧米で話題になっているのは、村山談話に変わる新しい談話が、この演説と関連するものになるとみなされているからだとのこと。へえ、そうなんだと思った。

 我々は、安倍さんが新しい談話を出すとか、村山談話の文言にはこだわらないと言うのを聞くと、きっと中身を後退させるんだろうなと思ってしまう。実際、そうなる可能性が高いとは思う。

 だけど、この演説が示すように、安倍さん、何を言えば日本が侵略した相手国が感激するのか、よく分かってはいる。そして、実際にそれを口にすることもできる。やればできる、のである。
 
 だから、70年目の談話も、よくよく注意して対応することが必要かもしれない。本当は、村山談話を超えるような内容にしてほしいと望み、行動するのが筋なんだよね。それなのに、そういう要求を安倍さんに伝えることもせず、実際に安倍さんからは何も示されていない時点で、安倍談話はこんなひどいものになるなんてことを言っても、国民多数は付いて来れないでしょうね。

 安倍さん、議会演説を、こう締めくくったそうだ。「私たちは、皆さんの寛容と、過去の歴史を決して忘れません」

 5月から「シリーズ 安倍政権を撃つ」の刊行を開始します。そのなかで、『「村山・河野談話」をめぐる40章』を私が書くつもりですが、真剣に書かねばなりません。