2015年1月30日

 こういうタイトルの記事が、昨日の「赤旗」に出ていました。イラク北部のクルド人地区を拠点に活動している玉本英子さん(映像ジャーナリスト)へのインタビューです。

 最近、イスラム国についての解説記事とか解説本とかが目に付きます。そこで、政治的な背景とか成り立ちはよく分かるのですが、今回の記事は、タイトル通り「非道」にしぼって書かれたもので、大変リアルなものでした。

 主に、イスラム国が支配下においた「ヤジディ教徒」に対する迫害の実態です。ヤジディ教って、イスラム国の最近の動きのなかで有名になりましたが、ゾロアスター教とかキリスト教、イスラム教の流れをくむ少数派宗教のことで、現在、イラク北西部を中心に約30万人が住んでいるそうです。イスラム国はこれを「邪教」として迫害していまて、抹殺するような勢いだそうです。

 男と女を引き離し、女だけ学校の校舎に連行。そこで独身者と既婚者に分けられ、独身者は全員どこかに連れて行かれたそうです。イスラム国にとっては戦利品である異教徒を姓奴隷にすることは当然なのだとか。残された子連れの女性は、性行為を拒否したため、子どもが連れ去られ、返された時は衰弱していて、死亡したとか。男性も、一度に数十人が銃殺された例もあるとか。

 先日、イスラム国に支配されたコバニ地区を、クルド人部隊が武力で奪還したことを書きました。そのコバニでは、イスラム国が使っていたコカインや注射器が押収されるそうで、そうやって殺戮をくり返すために薬物に頼っているのではないかと、玉本さんは聞いてきたそうです。

 これ以上は書きませんけど、われわれが相手にしているイスラム国、後藤さんを拘束しているイスラム国って、こういう連中なんです。

 テロって、何回も書きますが、政治的、宗教的等々の主張を掲げておこなわれるところに、重要な特徴があります。だから、その政治的主張によって、それなりの人々を惹きつけてきたわけです。実際、戦後すぐのテロって、無差別な殺傷は許されないにしても、パレスチナの人々を解放するというような、すごく純粋な目的が感じられたと思います。政治目的の達成が主要な側面だったので、ということは殺傷してしまったら効果がなくなるので、人質にとってもできるだけ殺さないという要素もあったと思います。

 だけど、あのロッカビー事件以降くらいからでしょうか、政治的主張という要素がかなり後退して、ただの無差別殺傷という性格が強まったと感じます。政治的主張を達成するというより、かなり単純な(しかし大規模な)犯罪という本質をもつに至ったのではないでしょうか。

 そういうことをやる集団を相手にしているんです。日本人が対象になったのは安倍さんがイスラエルに行ったせいだとか、安倍さんの演説内容のせいだとかいう人もいますけど(日本人が拉致されたのはイスラエル行きのずっと前)、こっちがこうしたら、あっちは必ずこうするんだというような、常識が通じる相手なのでしょうか。そういう集団の思考と行動を熟知している人々の判断を尊重しなければならないのではないでしょうか。

 明日から土日で、記事を書かなくてよくて、通常の週末と違って安心です。次の記事は2月1日(月)で、沖縄からです。
 

2015年1月29日

 こういう時は落ち着かないですよね。人質問題は、ただ祈るばかりです。政府、とくに現地対策本部の方々には、相手のどんなメッセージも見逃すことのないよう、雑音を排して、体調も気力も万全の状態でがんばってほしいと思います。

 私も雑音とならないよう、別の話題です。それも短く、本のことだけ。

 先日、福島の放射能の問題で、ふたつのアプローチがあると書きました。そのうちのひとつ、科学的アプローチの方ですが、『放射線被爆の理科・社会 4年目の「福島の真実」』という本です。

チラシ放射線被爆入稿用

 書店に並んでまだ一カ月ですが、主にツイッターなどで話題になっていて、継続的に売れています。増刷になるかもという局面に入ってきました。入手しにくくなってきますので、お早めにどうぞ。

 そしてもうひとつが、最近いろいろ書いた本です。『福島のおコメは安全ですが、食べてくれなくて結構です。』

 こっちは、書店に並ぶのは、2月末日頃です。まだ注文はできません。表紙とチラシが出来てきたんですが、いかがでしょうか?

三浦広志の愉快な闘い-カバー2

チラシ福島三浦ライト

 なお、3.11には間に合いませんが、安斎育郎先生の本も出ます。安斎先生、毎月福島に通って、放射線量を測定しつつ、できるだけ安全な暮らし方のあれこれを提案されてきましたが、その集大成になるような本です。乞うご期待。

 ということで、本日はこれで終わり。

2015年1月28日

 共産党の池内さおり衆議院議員が、イスラム国による湯川さんを殺害について、安倍首相が「言語道断」と発言したのに対して、「ゴンゴドーダンは安倍首相」(イスラム国ではなくて!)とつぶやいた件。志位さんが「適切でない」と発言し、池内さんがツイートを削除したことをめぐって、いろんな意見がある。

 私は、発言の中身についていうと、圧倒的に志位さんに軍配をあげる。それにとどまらず、問題が表面化して以降の共産党の態度を支持する。安倍さんが人命優先で対応すると表明しているのだから、その立場で全力をあげなさいというのが、政党としてとるべき態度だと思う。

 人質のいのちをめぐる交渉って、何がおこなわれているのか、さっぱりおもてに出てこないところに特徴がある。そうでないと、いのちは守れないのだから、当然である(もちろん、ぜんぜん真剣に交渉していない場合だってあるだろうが)。

 たとえば、問題が発生して以降、「中東問題の権威」を自認する人のなかには、「現地対策本部をヨルダンに置いたのは間違いだ。イスラム国と交渉するならトルコだ」と堂々と発言する人もいた。だけど、ことがここに至ってみると、ヨルダンに置いていて良かったことがわかる。もしかして、最後はヨルダンの問題になるということについて、おもてには出せないけれど情報があったのかもしれない。

 そういうことも含め、情報を外に出さないことが大事な問題なのである。それなのに、政府の対応に影響力を行使する権限をもつ国会議員が、ちゃんとした情報もないまま政府の対応を変えさせようとするわけだから、あり得ないことだと思う。

 影響力のないネット世論なら、何を言っても私は気にならない(せいぜい、ああまた左翼の凋落が加速すると思う程度)。だけど、だいぶ前に国会での質問を通じて行政の対応をゆがめさせたことで野党の国会議員が逮捕されたことがあったと記憶するけれど、国会議員は権力の一部でもあるのだ(国会は憲法41条で国家権力の最高機関と規定されているのだから当然だ)。それにふさわしい自覚が必要だと思う。

 まあ、でも、国会議員って、「全国民を代表する」(43条)人でもある。政党人でもあるが、国民に直接責任を負う立場にある。その国民に向かって発言したことには責任が生じる。発言した中身に責任を貫こうとしたら、自分の発言した立場が政党全体のものとなるよう努力すればいいと思う。政党の組織原則からして、その過程は、結論が出るまでは外には見えないだろうけどね。国民に向けた発言には、それだけの責任が伴うことを、是非、自覚してほしい。

2015年1月27日

 人質問題をめぐる議論では、安倍さんの対処がイスラム国を刺激したかどうかなんてのは、きわめて細かい問題だと感じる。そもそも、イスラム国とどう戦うのか、それ以前に、イスラム国は戦う相手なのかどうかということが、日本の世論レベルではあまり共通の認識になっていない(政府レベルでは明確だけど)。そこがはっきりしない限り、人質問題の対応をめぐる議論も、揺れてしまうのではないだろうか。

 たとえばいま、目の前に毎日新聞の夕刊がやってきた。その一面左肩には、シリア北部にいるクルド人部隊が、イスラム国が占拠していたコバニという地域を軍事制圧し、イスラム国を撃退したと報道されている。

 これをどう見るのか。その一点だけでも、ちゃんとした回答をもっていないと、イスラム国との今後の戦いで見解を持てないだろう。

 私は、もともとクルド人が住んでいた地域だから、この結果は当然だと思う。これからも、こうやってイスラム国の支配地域が元通りになるなら、それは支持すべきだと思う。この軍事衝突において、どっちつかず(よく言えば中立)の立場はとるべきではないと考える。

 だが、もしかしたら、奪い返すにしても、軍事力を使ってはダメだ、支持できないという人がいるかもしれない。最近の護憲派のなかには、ベトナムがアメリカの侵略に武力で抵抗したことについてだって、憲法9条をもつ日本が支援したのはよくなかったという人までいるくらいだから。ましてや、有志連合の空爆という支援を受けながらの奪還だから、論外だという人もいるかもしれない。

 空爆で支援されながら奪い返すって、あの9.11後のアフガンでのタリバン打倒の戦争を思い起こさせる。アメリカとイギリスの空爆を受けながら、軍閥が地上戦を戦ってタリバンを追いだした。あるいは有志連合ということだと、イラク戦争も想起させる。

 だけど、このふたつの戦争が、ひどい政権ではあっても、ひとつの正統政権を倒す戦争だったのに対し、イスラム国との戦争は、そういうものではない。イスラム国がシリアとイラクの正統政権(ひどい政権だが)を脅かしているので、それを有志連合が牽制しているのである(シリアは微妙だけど)。

 有志連合の軍事作戦を支持するかどうかは微妙な問題をはらむ。けれども、イスラム国に追われた人たちが、自分たちの土地を取り戻すため軍事力を使うことまでを、おかしいとは言えないだろう。

 この軍事衝突において中立の立場をとらないということは、程度の差はあれ、反ISISの立場だということだ。そういう立場を明確にしていれば、2億ドルの名目がどうあれ、日本は反ISISなのであって、ISISによるテロの対象なのだ(反ISISでなくてもテロの対象となる場合があることが、無差別殺傷というテロの特徴だけど)。

 私は、それでも反ISISの立場は明確にすべきだと思う。日本が実際にやるべきことは、軍事力の行使であってはならないけれど。

 有志連合の問題も、じつは難しいよね。日経の本日夕刊(電子版)なんか、「イスラム国に対抗する有志連合の一員である日本を巻き込み」として、日本がすでに有志連合の一員であるという認識だ。

 そこにもこの問題のむずかしさが表れている。結論の出にくい問題だけど、これからも考えて、書いていきたい。

2015年1月26日

 三浦さんのすごいところは、「敵」を内側につくらないことで徹底しているところだ。3.11直後、福島の農民は、事故を起こした東電福島支社の前で抗議集会をやろうとしていた。しかし、その支社には、親戚や友人も働いているし、何より、炉心を何とかしないとダメだということで必死の作業をやっている。どうするかが問われていた。

 それなら、東電本社前で集会をやろうと提案したのが三浦さんである。福島から牛を連れて行ってやった集会のことは、当時、全国ニュースで流れたので、覚えておられる方も多いだろう。

 「福島のおコメは安全ですが、食べてくれなくて結構です」という考え方も、そこに通じている。脱原発運動の内部で、福島に住めるかどうか、福島のコメが食べられるかどうかで分裂すると、東電や政府の「思うつぼ」だというのが三浦さんの立場である。
 
 「食べてほしい」と言って、相手が押しつけられていると感じたら、国民のなかに亀裂が生まれてしまう。悪いのは国と東電なのに、それでは運動が強まらない。

 全袋検査をやった結果、国の基準値を超えるものがひとつもなかったということで(99.8%は検出限界以下)、国や東電は、安全が科学的に確かめられているから、売れなくても自分たちの責任ではないとして、賠償をしない方向に動くかもしれない。そのとき、買ってくれない消費者を批判するのではなく、そういう消費者の心を生みだしたことも含め、国と東電の責任を追及し、賠償を求めるのが三浦さんの立場だ。

 この闘いは長引く。コメを買ってもらえるようになるまでも長いだろうし、いまは荒れ放題の20キロ圏で農業を再開するとなると、想像もつかないほどの時間がかかるだろう。

 だから、その闘いでギブアップしないためにも、楽しい闘いが不可欠だ。三浦さんは交渉のとき、相手の役人の年齢をまず聞くそうだ。名前くらいはすぐに言う役人も、年齢はプライベートだということで、なかなか答えない。でも三浦さんは、10分かかっても20分かかっても、それを聞き出す。そして、ようやく50歳だと聞き出すと、「そこまで人生経験があるなら、僕たちの置かれた状態を理解できるよね」と迫っていく。組織との交渉ではなく、人と人との交渉に持ち込めば勝てるというのが、三浦さんの信念だ。そうやって、役人や東電社員が成長し、将来の日本を背負う人材になってほしいというのだから、壮大な展望である。

 この本で、そういう三浦さんの姿を伝えたい。それは福島原発問題の将来にもつながってくると思うから。(了)