2015年10月14日

 沖縄の翁長知事が名護市における新米軍基地建設の手続きに法的な瑕疵があったとして承認を取り消した。この問題は新たな局面に入る。

 本日の朝日新聞が、その際の翁長知事の記者会見の模様を解説している。特徴的なのは、翁長さんが「「法的」「政治的」という言葉を繰り返した」とされることだ。たとえば、…

 「法律的な意味でも、政治的な意味でも、県民や国民にご理解いただけるよう沖縄の主張をしていきたい」

 この二つの言葉を翁長さんが使った意味を、朝日は次のように解説する。

 「この日、承認取り消しで一歩進めた「法的」戦略の道のりは険しい。翁長氏は会見で「政府を相手にするわけだから、そう簡単じゃない」と語った」

 そうなのだ。翁長さんががんばっても、沖縄の承認取り消しを政府機関が停止することができるし、そうなると法廷闘争になるけれど、その見通しは簡単ではない。たとえ沖縄が法廷で勝つことができても、そうなれば国会で多数を占める与党は、法律を改正して、「法的」には問題のない体制をつくってくるだろう。

 大事なことは、翁長さんがそのことをよく理解した上で、闘いに臨んでいることだ。だから「政治的」な闘いを強調していることだ。広く深く、全局を見渡して考え、決断している人だと感じる。

 その翁長さん、「県民や国民のご理解いただけるよう」と強調している。「国民」は何を理解し、何をすべきだろうか。

 沖縄に行って支援することも否定しないけれど、いちばん大切なことは、自分の住んでいるところで沖縄の主張への支持を大勢にすることだと思う。大勢にして、来年夏の参議院選挙では、自公を過半数割れに追い込み、安倍政権が「法的」に何でもできるという態勢をくずすことだ。

 そのためにも、昨年の沖縄の総選挙で、4つの選挙区とも自公候補を打ち破った経験に学ぶ必要がある。国民がやるべきことは、自分の住むところで、沖縄の選挙を再現するためにがんばることだ。

 この経験をリアルにつづったルポルタージュ、『沖縄が日本を倒す日──保革共闘誕生物語』(仮)は、来年1月には出版できそう。こういう局面が訪れることを想定し、いろいろ準備してきたことがあるけれど、それらが実を結ぶよう、今後も努力していきたい。

2015年10月13日

 一昨日、ゴー宣道場に出てきました。小林よしのりさんをはじめ改憲派が5人もいるなかで、完全アウェーでしたけどね。

 休憩を挟んで後半になり、私は、新安保法制発動の焦点となってくる南スーダンや南シナ海の現状はどうなっているかを示しつつ、南スーダンでは自衛隊の部隊を撤退させ、非武装の軍事監視要員として幹部自衛官を送ること、自衛隊と中国海軍それぞれがジブチ等に基地を置き、スーダン沖の海賊から船を守るために活動している経験をふまえ、南シナ海でも共同の警戒監視を行うことを提唱しました。そうやってアメリカとは異なるやり方でやってうまくいくことを国民が一つずつ体験すれば、日米安保に依存せずともやっていけるという合意が生まれていき、やがては安保の廃棄につながっていくし、武力を行使しないという点で憲法九条でやっていけるという合意も生まれることを強調したのです。

 それを聞いていた小林さん、突如としてニートのお話をされました。子どもが引きこもっているとして、少しずつ外の暮らしを体験させつつ、独り立ちができるようになったら手放すというようなやり方はとらない。自分ならすぐに外に放り出すのだとおっしゃりました。それが思想家としてのつとめだとも強調されました。私の名前は出さなかったけれど(完全アウェーだから配慮して下さったんでしょうね)、私の接近方法への批判だったのでしょうね。

 なぜ、そこだけ書いたかというと、それが一昨日の議論を象徴していたからです。この議論を聞いていた人が、あとで私に言いました。これまで改憲派と護憲派の議論って、護憲派が理想を主張し、お花畑だといわれても屈せずにやってきた。改憲派は、リアルな情勢論を示して、武力の必要性を説いてきた。だけど、この議論では、松竹さんがリアリズムを強調し、小林さんが理想を強調していて、逆転したみたいだった、と。

 そうかも知れませんね。だけど一方で、私はやはり理想があるからいちおうは護憲派なのだし、小林さんも安倍政権のもとで改憲されるということは危険だというリアリズムはあるわけです。国民を守るために自衛隊が必要だということで一致しているなら、共通する部分は見いだせるのではないかというのが、私の感想でした。

 さて、ゴー宣道場50回記念企画でしたが、これを本にするつもりです。改憲派と護憲派の議論って、これから本格的に必要になってくるわけで、その先陣を切るものにしたいと考えます。かもがわ出版が小林さんの本を出すって、抵抗を感じる人もいるでしょうけれど、これまでも防衛省幹部の本とか出す度に「かもがわ出版は変節した」といわれてきましたし、私は慣れているんですよ。それに、改憲派と護憲派の対話を本にしようとすると、どうしたって別の考え方の人を登場させないとできないわけですから、読者にとって気にくわない人の本でも出すのは当然だということで、ご了解下さいね。

2015年10月9日

 こういうタイトルの記事、何回も書きました。

 昨日は朝から昼過ぎまで京都で会議。その会議にでながら、午前中に二つの本を入稿することが決まっていたので、膝の上でパソコンを売って印刷所に入稿。

 その出力結果を、いま東京で受け取って見たんだけど、二つとも重大な誤りを発見。やっぱりこんな仕事の仕方していたらだめだよね。反省。

 その他、明日にかけて、「評伝・宮本顕治」を書いてもらいたい著者と会ったり、デザイナーと会ったり、何万円分かの歴史の本を買ったり、私に原稿を依頼してくる人と会ったり。東京にいるときは、二~三日でいろんなことをしようとするので、とっても慌ただしいです。昨日はブログ書く時間は皆無でした。

 仕事は明日まで。明後日(日曜日)は、またまた小林よしのりさんに招かれ、「ゴー宣道場」に参加してきます。テーマは、「憲法九条で平和は守れるか」。

 いやあ、私以外、みんな改憲派なんですよね。そういう事情もあるので、小林さんからは「仲間を連れてきていい」といわれたんですが、潔く一人で登壇することにしました。完敗するかも。

 まあ、おそらくですけど、しっかりとした軍事戦略を持たねばならないという点では、共通するものがあるはずで。だから、その当たりで議論をかみ合わせることができればと思っています。

 これ、上手くいけば本にしたいんです。という点では、この日も仕事ですね。

 

2015年10月7日

 戦争法を廃止する政権とか、あるいは発動を阻止する力関係ということを考えた場合、柔軟な対応が不可欠である。ある提案をして、「この方式しかない」として仲間を集めるだけでなく、別の方式を批判するようになると、そういう考えをもつ人が「敵」に見えてきて、とても協力関係を希望しているようには見えなくなってくる。

 たとえば、志位さんから申し出を受けた民主党の岡田さんが、引き続き協議することを約束しつつ、「基本政策が異なるのに政権をともにするのは難しい」と発言したことが報道されている。それに対する批判もネット上では見られるが、「基本政策が異なるのに政権をともにするのは難しい」というのは、これまでずっと共産党がいってきたことであって、常識的な考え方なのである。

 もちろん、戦争法の成立はこれまでとは違う段階だという捉え方も可能だし、私もそれを否定するものではない。しかし、基本政策が似通ったものが連立するという考え方に慣れきった世界では、新しい決断をするのは簡単ではないのも現実だ。

 昨日書いたように、二本立ての政権構想、つまり基本政策での連合政権と、当面の一致する課題でのよりましな政権というものが政界において不断に追及され、日常的なものになっていれば、政党の間の関係というのは、現在とは異なっていただろう。理想としての連合政権と、現実としてのよりましな政権の両方を追い求める、政党間のドライな離合集散の関係があっただろう。だけど、そういう関係は、現在のところ存在しない。

 もう17年前になるが、共産党の不破委員長(当時)が、「日本共産党の政権論について」というインタビュー記事に登場した。これは、安保廃棄を掲げるのが共産党だけになり、野党といっても基本政策の異なる政党だけになる一方、自民党の過半数割れが現実になり得る状況が生まれたもとで、それにどう対応するかを提起したものだった。

 このインタビューの大事なところは、最後の方で、「政策共闘の積み重ね」を強調していることである。基本政策が違うけれども、当面の大事な課題では一致することがあるのだけれど、なかなか政権をともにするような関係になりにくい。そこを打開するには、日常的な政策共闘が必要だと強調したものである。

 ところが、それ以来20年近く、そういう積み重ねはされてこなかった。今回が、いわばはじめてのことになるのだろう。

 だから、志位さんが岡田さんと会った後にいったように、「相手のあることですから」という謙虚さが必要なのだと思う。戦争法廃止を「国民連合政府」として決める場合もあるし、基本政策が似通ったもの同士の政権に閣外で協力して決める場合もあるし、政権がとれなくても参議院の多数で発動を阻止する(自衛隊派遣の国会承認をしない)場合もあるし、もしかしたらその他の可能性もあるかもしれない。

 結果が重要なのだから、それに至る選択肢はいろいろあっていいのだ。一つの考え方に凝り固まって他の考え方を否定するのは、そういう協力関係を進める立場にふさわしくないと思う。(続)

2015年10月6日

 共産党が戦争法を廃止するための「国民連合政府」を提唱していて、少し評判になっている。この問題を少し書いておきたい。というか、すでに書いたように、私は戦争法を廃止する政権や道筋について、複数の選択肢があると考えており、共産党の提案はその選択肢の一つとして十分に評価できるというのが、まず前提である。

 私がびっくりしたのは、今回の共産党の提案を受けて、「すごい大胆な方針転換だ」という受け止めが多かったことである。中央委員会で決められるようなことでない、大会で決めるべきだ、みたいな論調もあった。まあ、志位さん自身、「すごく踏み込んだ」みたいなことを言っているから、周りがそう感じるのも仕方ないのかもしれない。

 だけど、私にとっての共産党の政権論というのは、76年に体験したことがベースになっていて、その体験からすると不思議でも何でもなかった。どういう体験だったか。

 76年といえばロッキード事件である。私が大学に入って、政治的に覚醒した時期だけれど、はじめて自民党が追い詰められたという自覚を持てた事件だった。

 その76年の選挙を前にして、共産党の宮本委員長(当時)が、小選挙区制粉砕、ロッキード事件の徹底究明、当面の国民生活擁護という三つの緊急課題で「よりましな政権」をつくろうと提唱したのである。これにはびっくりした。おそらく、いま現在、共産党の「国民連合政府」提案にびっくりした人が感じたようなことを、このときに感じたのだと思う。

 だって、共産党の基本方針は「民主連合政府」だと思い込んでいた。その政府は、安保条約廃棄、大企業本位の経済政策の転換、議会制民主主義の擁護という課題にもとづく政府のはずだった。「70年代後半の遅くない時期に民主連合政府を」というスローガンがあって、ポスターなども張り出されていて、国政選挙で共産党は前進を続けていた時期だったので、そこに現実味があると思っていたのだ。

 ところが、76年の提案は、その安保条約の廃棄をめざさないというのである。いまだったら、安保廃棄を唱える政党は共産党しかいないので、安保廃棄を一致点にしないと言っても、「何をぼけたことを言っているのか」と一蹴されるだろうけれど、当時は、まだ社会党が多くの議席をもっていて、安保条約廃棄の方針を掲げていて、その点でも民主連合政府に現実味があったのだ。

 それなのに安保廃棄を一致点にしないということは、社会党とだけでなくもっと幅広い政権共闘をめざすということである。政権をとろうとすると、そういう柔軟性は不可欠だろうけれど、大学に入りたてで、安保条約に諸悪の根源があるのだと教え込まれていた身には、安保を容認する政党とも手をつなぐというその方針は驚愕と言えるものだった。

 その時、宮本さんが記者会見をして、それを聞いて納得した。宮本さんは、この方針について、「二本立て政権構想だ」と説明したのだ。安保廃棄の民主連合政府の方針を捨てたわけではなく、三つの課題での政府と民主連合政府の「二本立て」で政権を追及するというものであった。そして、そういう考え方は、共産党の基本文書である「綱領」に書いてあるし、実践もしてきたという説明だったのである。

 それ以来、共産党の政権問題への接近方法は、つねに「二本立て」であるべきだというのが、私の考え方になった。というか、それこそが政党だろうと思うようになったのである。(続)