2015年11月13日

 前回の最後に、命令と良心が両立しない場合、命令に従わなくていいという研修がされていることを紹介しました。驚く方もいたようですが、その原点は、ドイツの軍人法にあります。

 日本の自衛隊法は、「隊員は、その職務の遂行に当たっては、上官の職務上の命令に従わなければならない」(57条)と規定していますが、命令に従いたくない場合のことは書いていません。一方、ドイツの軍人法は、「兵士は上官に従わなければならない。最大限の力で、命令を完全に良心的に、かつ遅滞なく実行しなければならない」としつつ、「命令によって犯罪が行われるであろう場合には、兵士は命令に従ってはならない」という有名な規定(「抗命権」)をもち、さらに、「人間の尊厳」を犯す命令には従わなくてよいとされているとのことです。ナチス時代の教訓をふまえているわけですね。

 そういう考え方が、研修にも反映されているということでしょう。しかし、にもかかわらず、派兵された先で問題は起きます。必ず起きるから研修すると言った方がいいかもしれない。この本では、次のような事例が紹介されています。

 2007年3月、ドイツがアフガニスタンに偵察機を追加派遣した際、国外活動の後方支援を担当していた中佐が任務を拒否し、軍当局との間で争いになったたそうです。中佐が拒否した理由は以下のようなもの。

 「ドイツ軍はあくまでアフガニスタン国民のために復興を助けるために派遣されているのであって、決してブッシュ大統領による戦争に荷担しているわけではない。にもかかわらず、偵察機を派遣すれば、それによって得られる情報は米軍による攻撃にも用いられることになる。いくら命令でも、ブッシュ大統領による「十字軍」を手助けする命令には従えない」

 これと同じ事例かどうか確定できませんが、命令に逆らって降格処分にあった兵士がいたそうです。しかし、その兵士が裁判に訴えて勝利し、もとの地位を回復したそうです。

 一方、命令に従ったが故に、それが民間人の殺害につながり、裁判にかけられる事例もあります。2008年8月、アフガン北部の検問所で、ドイツ軍の兵士が、民間人の乗った車に発砲し、女性一人と子ども二人を殺害しました。警告発砲でも停止しなかったため車体を撃ち抜いたのだそうで、この兵士はドイツに戻され、刑事裁判の被告人となりました(その結果は、この本では不明)。

 さらに、2009年9月4日、アフガン北部のクンドゥス州でタンクローリー車が武装勢力に襲撃され、強奪された際のことです。過去、タンクローリー車が自爆テロに使われた事例もあり、ドイツ軍司令官クライン大佐は、これを攻撃するよう要請し、NATO軍が攻撃機で破壊しました。ところが、そのタンクローリー車が盗まれたのは、燃料不足の住民に燃料を分け与える目的であって、NATO軍が攻撃したときに周辺に住民がいて、爆発により約30人が死亡したそうです。これが大スキャンダルとなり、クライン大佐の責任が問われることになります。

 これら裁判の際、兵士の側に立って活動するのが、兵士の労働組合にあたる「連邦軍協会」(兵士の8割ほどが加入)で、弁護費用を払ったり、世論を喚起したりするそうです。労働条件改善のためには、制服を着てデモをすることも認められているとか(政治活動を制服でするのは不可)。クンドゥス州の誤爆事件について、「協会」の会長が、以下のように発言しているのが印象的でした。

 「タンクローリー車を武器として使わせることで、多大な犠牲者が出る可能性を放置するのか、それとも、それを防ぐために空爆を要請するのか。その判断のどちらが当たっているのかということだ。瞬間の判断の可否を誰があげつらうことができるのか」
 「民間人を犠牲にした責任の存在そのものを否定しているのではない。その責任は明白だ。だが、それを兵士に求めることが不当だと主張しているのだ。なぜならば、兵士がそのような権限の判断に迫られる場に置かれているのは、兵士を「戦場」に送り出した政治家の決断によるものであるからだ」「責任は政治家が負うべきものであった」

 兵士ではなく、派兵を決めた政治に責任を求めるって、いまの日本でも議論されねばならないことです。上中下で終わりのはずですが、まだ自分の評価が書けていません。それを次回に。(続)

2015年11月12日

 ドイツは、日本と同様、90年代になって海外派兵がされるようになりました。最初の本格的なものは、これも日本と同様、カンボジアへの衛生部隊の派遣だったようです。

 ただ、似ているのはそれだけで、本質的にはかなり異なったものです。ドイツの場合、冷戦が終わったこと、民族紛争などで兵士を派遣するようになったことを、軍の任務のありようが変わったと捉えました。

 ドイツはまず、軍の編成そのものも変えました。対ソ連戦を想定した49万の兵士は25万へ、5000両の戦車は10分の1へとなりましたが、それだけではありません。陸海空の三軍に加え、国外活動の統合指揮にあたる「戦力基盤軍」、その救護活動にあたる「救援業務軍」を設置し、五軍体制になったそうです。三軍の内部についても、いつでも部隊を急派できるよう、緊急度に応じて「介入戦力」や「安定化戦力」などを指定し、待機させるようにしました。

 さらに大事なことは、新しい任務を果たすうえでは、兵士のありようも変えないとダメだと捉えたことです。海外に派遣される兵士の研修を担当する「内面指導センター」というのがあるそうですが、そこの教官の以下のような発言が本で紹介されています。
 
 「軍隊が国家と国家が対決する伝統的な戦争に備えた冷戦以前であれば、戦場における敵は明確でした。兵士は指揮官が「撃て」と言えば撃ち、「退却せよ」と言えば退却するというように、下された命令に従うだけで良かったのです。ですが、冷戦が崩壊した後、戦争の形はすっかり変わりました。もはや国家の正規軍同士がぶつかり合う戦いは影を潜め、代わって民族紛争や武装ゲリラやテロリストなどによる攻撃が主流になってきたのです。もはや戦場では、誰が敵なのか、それを見分けることは極めて困難となっています」

 上官の命令で撃つという従来の手法が通用しない。つまり、上官の命令はあるわけですが、実際には兵士が自分で判断しなければならない局面が生まれているということです。内面指導センターでは、海外に派遣される兵士は、1週間の研修を受けるそうです。そこでは、派遣されることの政治的正当性とか、派遣先国での行動および武器使用に関する法的根拠とか、武装ゲリラに拉致されたときの対処が説明されるそうですが、まず冒頭では、海外で死者が出ていることに言及しつつ、「遺書を書く」ことを勧めるそうです。危険な任務だということを隠さないわけですが、同時に、この教官によると次のような狙いもあるそうです。

 「自分の死を思うことで、自分が今やっていること、やろうとしていることに対して、「なぜ」という疑問が湧いてくる。兵士で言えば、自分に対して下された命令、任務になぜ従うべきなのか、あるいはそうでないのか。このことを、深く、真剣に問えるようになるのです」

 命令に従うべきかどうかの判断。それについて、次のような記述があり、考えさせられました。

 「講義室のスクリーンにふたつの円が映し出された。そのひとつには『任務』、もうひとつには「良心」と書かれている。教官が解説を始めた。
 『軍が君たちに命じる任務、そして、君たちが心の内に抱く良心。このふたつが重ならない時、君たちは命令に従う必要はない』(続)

2015年11月11日

 昨日は分刻みでやることがあって、まったく書けませんでした。なんだか、自分の人生で、いちばん忙しい時代を迎えているようです。

 さて、自衛官が戦闘任務を帯びて戦場に行く時代になりました。その人権をどう守るかが問われています。逆に言えば、その覚悟とシステムをつくることなしに、そういう任務を与えてはいけないということでもあります。

 ということで、「自衛隊を活かす会」は、軍法会議のある国、ない国の経験から学ぼうとしていますが、とりあえずそれがないドイツではどうなっているのかを、ドイツ連邦軍の方をお呼びして研究することを決めました。ただ、日本と異なる考え方、制度を持っている国のことをその場で聞いても、使われる言葉の持つ概念が違うわけですから、理解するのが困難でしょう。

 そこで、少しでも理解に近づくため、事前研究会をすることにしました。東京新聞・中日新聞の記者で、ドイツ特派員経験のある三浦耕喜さんという方がいて、ドイツの取り組みを描いた『兵士を守る──自衛隊にオンブズマンを』という本を書いておられるのです。その話をお伺いします。申し訳ありませんが、非公開ですけど。

 日本では、海外に派遣された自衛官の自殺のことが問題になっていますよね。ところでドイツでは、一般人の自殺自体が日本より低いのですが(自殺を諫めるキリスト教の影響があると言う人もいます)、その一般人と比べても兵士の自殺は少ないそうです。

 日本における自衛官の自殺の問題は以前から問題になっていて、防衛庁が2003年から、「人事関係施策等検討会議」という名前で、自殺を含む不祥事防止が議論されてきたそうです。その4回目の会議で、ある出席者が、こう発言したそうです(防衛省のホームページに公開のもの)。

 「自殺の原因を究明することも大事ですが、精強な自衛隊をつくるためには、質の確保が重要であり、自殺は自然淘汰として対処する発想も必要と思われます」

 すごいですねえ。まさか、こんな発言を基礎にして自殺問題での対処方針を決めていると思いたくはありませんが、方針を決める一員にそういう人もいるということです。

 一方のドイツ。明日から紹介していきますが、兵士を人権を守るのだという観点のもとに、いろいろな制度があるそうです。この本に出てくる人が次のように言っていることが、ドイツの制度を象徴しているように思えました。

 「結局、ひとりの兵士を守ることが、軍全体を誤らせないようにすることにつながるのです」(続)

2015年11月9日

 いやあ、すごい勢いでした。「自衛隊を活かす会」が12月22日(火)の午後6時から行う企画の募集のことです。募集を開始したのが11月4日(水)でしたが、7日(土)の夜には締め切りました(忘年会は1日で締め切り)。

 国会閉会中のため、いつも使っている議員会館は夜の時間帯の制約があり(7時終了)、会場が狭くなった影響もあります。それにしても、4日間で100名もの方が申し込んで来られるのだから、すごいです。キャンセルが出た場合のみ、キャンセル待ちの方(すでに10名近く)に順次ご連絡することにしていますので、どうしても参加したいとご希望の方は、お早めに申込みをしてくださいね。

 新安保法制が国会で採決され、世論がどう動くかが焦点となっています。少しずつ反対世論が薄れていくのかどうなのか。でも、少なくとも今回の申込数を見る限り、かつてないほどのスピードでした。新しい参加者も多く、自衛隊を活かす会のことが以前よりも認識され、期待が高まっているように思えます。

 というか、法律が成立し、自衛隊の派遣を現実のものとして捉える気持ちが国民のなかに生まれたので、危険をリアルなものとして捉えるようになってきたかもしれません。中国の行動にリアルな危険はないと言い切る人もいますが、それが説得力をもつなら、護憲勢力はこんなに苦労はしませんよね。自衛隊を派遣しないとすれば、どうやったら中国の行動を抑えることができるのか、何らかの対案を示さなければならないでしょう。外交でやれるというなら、その根拠まで示すことが不可欠です。

 そういえば、ドイツから軍事裁判制度に詳しい方をお呼びする件も、進展がありました。来年1月30日の南スーダン問題での札幌企画に続き、何らかの企画をやりたいと考えています。すごくお金のかかることなので、参加費もそれなりのものになるでしょうけれど、日本でははじめて語られることを聞けるんですから、かなり貴重な体験になると思いますよ。お楽しみに。

2015年11月6日

 自衛隊を活かす会が、来年、「戦場における自衛官の法的地位」の問題で研究会を行うことは、すでにお知らせしています。そのなかの一つとして軍法会議のないドイツの制度と運用を研究するため、ドイツから専門家を呼ぼうとしていることもね。

 でも、この問題、ほとんど日本で関心のある方がおられず、先が見えなかったんです。そこに協力してくださると表れたのが、京都女子大のある先生でした。その先生のおかげで、ドイツ連邦軍中尉だった方で、適任の方がいることがわかって、まだ連絡はとれていないのですが、少し先が見えてきました。ありがとうございます。

 それで昨日、京都女子大に行って、打合せをしてきました。そうしたら、ドイツの軍事裁判のことではないけれど、ドイツ兵の法的地位について取材し、本を出している新聞記者がいると教えられました。

 予想ですが、ドイツの方に来ていただいて話を伺っても、あまりに日本と制度や概念が違って、理解に達するのに困難があるように思います。ある程度、共通の理解があって、ようやく言葉が通じるというような感じかな。

 ということで、その新聞記者の方をお呼びし、事前に、小さな規模の研究会をしようということになっています。仕事が早いのだけが私の取り柄なもので。

 その打ち合わせを終えたあと、せっかく京都女子大まで来ているのなら、ここに足を伸ばしたいというところがあったんです。豊国廟といって、豊臣秀吉のお墓ですね。以前、グーグルマップで見て、京女に仕事で行ったときは必ず訪ねると決めていたんです。

 地図で見ても階段がたくさんありそうなので、一応、覚悟はしていました。ところがいつまでも階段が続いて、ようやく350段ほどで着いたと思ったら、そこからまた階段が。結局、520段以上ありました。あの金比羅山が1368段といいますが、それは最初からそれだけの規模の覚悟があって登るわけですから、ちょっと寄ってみようという程度の覚悟だった私には、それなりにきつかったです。久しぶりに膝が悲鳴をあげていました。

 まあ、何としてもドイツにたどり着かねばならないわけですから、この程度で音をあげるわけにはいきません。でも、少し近づいてきたかなあ。