2017年3月2日

 次に出そうと思っている本の原稿を書き始めました。いまのところのタイトルが上記です。いまのところの章構成は以下です。

一、戦争と平和は対義語か──政策論は楽しい
二、自衛隊は合憲か違憲か──法律論は楽しい
三、護憲派とはどういう人か──運動論は楽しい
四、矛盾に満ちた共産党の防衛政策を楽しむ

 なぜこんな変わったタイトルの本を出そうと思ったのか。最初のきっかけは、護憲運動に悲壮感が漂っているのを危惧したからです。少なくとも私の周りでは、そういう護憲派が増加しているように思えるのです。

 各地の「九条の会」などの護憲団体に招かれ、講演することがあります。講演会のあと、主催者と懇談する機会も多いのですが、その際、護憲運動の先行きについて心配している方々が多いことを感じます。ちょっとアルコールが入って、本音の議論ができるようになってくると、以下のようなお話しを伺うことが少なくないのです。

 「九条の会を創設して一〇年以上経つが、国会では改憲勢力が増えるばかりだ。一方、護憲勢力の側は、もともと退職した高齢者が中心だったのに、その同じメンバーが一〇年の齢を重ねている。このままでは、国民投票という大事な時に寝たきりになってしまい、抵抗できないかもしれない」

 ちょっとデフォルメしていますが、こんな感じでしょう。実際、命がけで護憲運動をやっているような人も多いのに、国会で護憲勢力(本書で書いていくように、誰を護憲派と定義するのかも難しくて楽しいんですが)がどんどん減っているのですから、こういう嘆きの声が聞かれるのも当然でしょう。運動の高齢化という問題についていえば、国会前でシールズが新安保法制をめぐって活躍した時期であっても、護憲を掲げた集会は高齢者が目立っていましたから、いまだ克服できていないのが現状です。

 でも、それだけだったら、本を書こうとまでは思わなかったかもしれません。やはり書こうと決意したのは、ある方から、護憲の全国組織の役員が集まった場での話をお聞きしたからです。そこに参加した憲法学者が、その場にいない別の憲法学者を批判したというお話でした。(続)
 

2017年3月1日

 日米安保のもとでも日本の独立と平和のために努力するという立場をとるというのは、それが可能だという立場をとることだ。安保のもとで独立と平和は訪れないという従来の立場と矛盾するのだ。それをどう乗り越えるのか。

 矛盾したものを抱え込むのは、自民党だったら日常茶飯事だが、野党にはあまり経験がない。だから乗り越えるのは簡単ではない。

 だって、共産党は「赤旗」などで、2月23日から開始されたシリーズのように、「安保条約の本質は侵略だ。このもとで平和と独立はあり得ない」というキャンペーンを張るのである。ところが一方、共産党の閣僚は、「安保のもとでも平和と独立に向かうのは可能だ」という立場をとるのである。

 一般論として考えているうちは、なんとかなると思えるかもしれない。しかし、具体的なことを考えると、目の前が暗くなる。

 例えば、民進党は核抑止力に依存する立場である。共産党はそれを否定する立場である。そこは曖昧にしておいて、「核廃絶に努力する」というような政策で一致させることで乗り越えようというのが、現在、考えられていることのようだ。

 選挙は、それで大丈夫かもしれない。だけど、じゃあ政権についたとして、国会の予算委員会をどう乗り切ることができるのか。

 民進党の首相は「核抑止力は当然だ」という立場をとるだろう。そこで共産党の閣僚はどうするのか。従わざるを得ないだろうね、閣内不一致では政権が持たないのだから。

 じゃあ、そうなったとして、共産党や革新懇や原水協は、その政権にどういう立場をとるのか。当然、そんな政権はおかしいという立場をとることになる。

 そうしたら共産党は政権から離脱するのか。まだ戦争法廃止ができていない状況で(徹底審議を要求されるだろうから、それを求めてきた野党政権としては、半年程度の審議はせざるを得ないだろう)、そんなことになれば、戦争法廃止が実現しないまま、解散・総選挙ということになる。

 こんなことを書くと、「そんな先のことまで、いま心配しているのはあなただけ」と言われちゃうんだけど、私が心配性なだけなんだろうか。でも、そこをちゃんと乗り越えられないと、社会党の二の舞になるんじゃないかと思うのだ。

 私は、社会党が安保と自衛隊を容認したこと自体、否定的には見ていない。問題は、ではそのもとでどんな防衛政策が可能かを、まったく議論していなかったというか、議論が必要だとも思っていなかったことだ。

 そこを克服するためには、安全保障政策こそ徹底的に議論する必要があると思う。安保の廃棄をめぐる問題とか、自衛隊は違憲だけどもすぐにはなくさないとか、そんな抽象的な理念ではなく、安保のもとでもここまではできるはずだという具体的な政策を議論する必要がある。国民の多くが「そうだ」と感じて、もし妨害されてその政策が滞るなら「安保廃棄もやむなし」と認識を変えるに値するような、そんな具体的な政策である。

 もし政権をとる決意が本物だということならばだけれどね。本日から東京。(了)