2017年3月15日

 やはり伝統的左翼には、政権をとったつもりで政策を考える気風って、あまりないのではなかろうか。この連載記事への反応を見ると、そう思わざるを得ない。

 ミサイル防衛システム発動を否定する声が少なくない。私だって、それですべてのミサイルを撃ち落とせるなんて思っていない。北朝鮮が複数のミサイルを同時に打ちあげるのを見れば、ミサイル防衛網を突破するために必死なのだとも思う。

 だけど、この連載で問題にしているのは、実際にあれこれの経緯があって、ミサイルが日本に落ちてくるという想定の事態なのである。その際、政権にあって、たとえばみなさんが防衛大臣の任についていたとして、自衛隊がミサイル防衛システムの発動準備にかかったとき、「発動してはならない」という命令を出すのかということなのだ。たとえ不確実性があったとしてても、みなさんが防衛大臣なら、そういう命令を出すべきではないかということなのだ。目の前にあって、役に立つものは使うというのが、当たり前だと思うのだが、違うだろうか。出さないというなら、その根拠はどこにあるのだろうか。

 もちろん、目の前にあっても、使ってはならないものはあると思う。その最大のものがアメリカの核兵器だろう。

 現状は、米本土に届く北朝鮮のミサイルはないから、いざというときのアメリカは、軍事的合理性だけを基準として、気軽に軍事作戦を考える可能性がある。ミサイル基地と思われる箇所に核兵器を落としまくっても、アメリカが核の報復を受ける可能性はないのだから、そういう選択肢をとるのはあり得ることだ。

 しかし、北朝鮮にとっては、その間隙を縫って、日本に化学兵器を搭載したミサイルを落とすことは可能である。日本は、アメリカ本土と異なり、実際の戦場になるわけだから、真剣にこの問題に挑まなければならないのだ。もちろん、日本にミサイルが落とされるかどうか以前に、アメリカによる核兵器の使用を許すのかというそもそもの問題もある。

 この連載の想定は、北朝鮮が核を使用していない段階だから、アメリカによる核先制使用は許さないということでもある。しかし同時に、たとえ北朝鮮による核攻撃で戦端が開かれたとしても、アメリカによる核使用には私は反対である。

 96年の国際司法裁判所の勧告的意見では、核兵器の使用は一般的に違法とされ、国家の存亡が犯される自衛の極端な状況においてだけは、裁判所は判断をできないとした。自衛の極端な状況でも合法とは言い切れないということである。北朝鮮程度のといっては軽視しているように見えるかもしれないが、そんな国が核を使用しても、韓国や日本を滅ぼすようなことはできない。逆に、こちら側が通常兵器で対応しても、北朝鮮は存亡の危機に陥る。だから通常兵器で十分なのだ。

 ということは、少なくとも対北朝鮮対応を考えた場合、アメリカの核の傘は不要だということだ。核抑止力に頼らない防衛政策は可能だということだ。

 いま東京に向かう新幹線のなか。1週間の東京、福島出張である。それにしても森友学園が買った豊中の土地、1億数千万円で買えるなら、弊社に買わしてくれないかなあ。使い道があるんですけど。どなたか、その手段を知りませんか?(続)