2017年3月1日

 日米安保のもとでも日本の独立と平和のために努力するという立場をとるというのは、それが可能だという立場をとることだ。安保のもとで独立と平和は訪れないという従来の立場と矛盾するのだ。それをどう乗り越えるのか。

 矛盾したものを抱え込むのは、自民党だったら日常茶飯事だが、野党にはあまり経験がない。だから乗り越えるのは簡単ではない。

 だって、共産党は「赤旗」などで、2月23日から開始されたシリーズのように、「安保条約の本質は侵略だ。このもとで平和と独立はあり得ない」というキャンペーンを張るのである。ところが一方、共産党の閣僚は、「安保のもとでも平和と独立に向かうのは可能だ」という立場をとるのである。

 一般論として考えているうちは、なんとかなると思えるかもしれない。しかし、具体的なことを考えると、目の前が暗くなる。

 例えば、民進党は核抑止力に依存する立場である。共産党はそれを否定する立場である。そこは曖昧にしておいて、「核廃絶に努力する」というような政策で一致させることで乗り越えようというのが、現在、考えられていることのようだ。

 選挙は、それで大丈夫かもしれない。だけど、じゃあ政権についたとして、国会の予算委員会をどう乗り切ることができるのか。

 民進党の首相は「核抑止力は当然だ」という立場をとるだろう。そこで共産党の閣僚はどうするのか。従わざるを得ないだろうね、閣内不一致では政権が持たないのだから。

 じゃあ、そうなったとして、共産党や革新懇や原水協は、その政権にどういう立場をとるのか。当然、そんな政権はおかしいという立場をとることになる。

 そうしたら共産党は政権から離脱するのか。まだ戦争法廃止ができていない状況で(徹底審議を要求されるだろうから、それを求めてきた野党政権としては、半年程度の審議はせざるを得ないだろう)、そんなことになれば、戦争法廃止が実現しないまま、解散・総選挙ということになる。

 こんなことを書くと、「そんな先のことまで、いま心配しているのはあなただけ」と言われちゃうんだけど、私が心配性なだけなんだろうか。でも、そこをちゃんと乗り越えられないと、社会党の二の舞になるんじゃないかと思うのだ。

 私は、社会党が安保と自衛隊を容認したこと自体、否定的には見ていない。問題は、ではそのもとでどんな防衛政策が可能かを、まったく議論していなかったというか、議論が必要だとも思っていなかったことだ。

 そこを克服するためには、安全保障政策こそ徹底的に議論する必要があると思う。安保の廃棄をめぐる問題とか、自衛隊は違憲だけどもすぐにはなくさないとか、そんな抽象的な理念ではなく、安保のもとでもここまではできるはずだという具体的な政策を議論する必要がある。国民の多くが「そうだ」と感じて、もし妨害されてその政策が滞るなら「安保廃棄もやむなし」と認識を変えるに値するような、そんな具体的な政策である。

 もし政権をとる決意が本物だということならばだけれどね。本日から東京。(了)