2014年5月1日

 『集団的自衛権に関する「安保法制懇」報告 50の論点』のプレゼントの件ですが、昨日で締め切りました。「激戦?」を勝ち抜いて当選された10名の方には、住所をお尋ねするメールを差し上げました。いまメールが届いていないと落選ということです。夏には『13歳からの領土問題』のプレゼントを実施しますので、懲りずに応募してください。

 さて、昨日の『超・嫌韓流』のことです。そういうことを考えるにいたった私の原点というものがあります。

 私は、1994年からしばらくの間、共産党中央委員会の政策委員会というところに勤めていました。担当は外交や安全保障です。生まれて初めてそういう分野の仕事をすることになったのですが、着任してみると、その分野の直接の担当は私ひとりでした。まあ、ゆっくり勉強しながら仕事を覚えていこうと思ったのですが、低空飛行する米軍機の墜落事故とか、沖縄の少女暴行事件とか、次から次へと起きる問題で、大変な日々が続くことになります。

 その私が最初に起案を命じられたのが戦後補償問題に関する共産党の見解でした。戦後50年を翌年に控え、原爆被害者への国家補償とか、その3年ほど前に裁判が開始された従軍慰安婦問題をはじめ、戦後補償をどうするかが焦点になっていたのです。

 最終的に、94年9月6日、「侵略戦争の反省のうえにたち、戦後補償問題のすみやかな解決を」という提言が発表されました。最初の仕事ですから、思い出深いです。

 当時、共産党の議長は宮本顕治さんです。これを起案するにあたって、宮本さんからふたつの指示がありました。もちろん、私が直接指示を受けたのではなく、政策委員長(聽濤さんといいました)からの間接的なものです。

 ひとつは、補償する基準、補償しない基準を明確にせよというものです。当時、いろいろな補償要求が出されていて、日本の犯した誤りが大きいだけに、すべての要求に応えようとすると、すごい金額になることが予想されていました。宮本さんは、共産党が政権をとったときのことを考えれば、これらすべてに応えようとするとあまりにも膨大な予算が必要となり、国民全体の暮らしと福祉を圧迫しかねないので、バランスをとった考え方が必要だというのでした。

 もうひとつは、これは慰安婦問題にかかわることですが、国家間条約が基本だという線を外さないようにというものでした。いまでも議論されることですが、韓国とのこの種の問題は、1965年の日韓条約その他で解決済みであると明記されています。条約で解決したと明記されているのに、いや解決していないというのなら、条約を結ぶ意味がないということになりかねません。市民団体がそういう要求をするのは当然としても、政権をとったら条約に責任をもつことになる共産党が、それではいけないというものでした。

 発表された提言は、そういう趣旨をふまえたものです。大まかにいえば、補償問題では、人道的な犯罪の被害は補償するが、経済的な被害は補償しないという基準を立てました。従軍慰安婦問題では、国家間の条約で決着するのが原則としつつ、慰安婦問題をその例外とする考え方はどうしたら可能かという点を探ったものでした。

 市民運動には、それぞれ明確な目標があって、それを100%追及します。当然のことです。しかし、それらすべてを100%実現することが、国民全体の利益の見地から見ると難しい場合があります。あるいは、国家間外交の原則からずれる場合もあります。

 市民運動はそれでいいけれど、政権を担うことを展望し、国民全体のことを考える政党は、それではいけない。これが宮本さんの教えだったわけです。

 私など、着任したばかりで張り切っていて、市民運動の要求に応えるのが政党だと思い込んでいました。実際、要求のすべてを支持しないと、つながりのある市民団体から批判されることもあるわけですから、何でも支持するのが楽だということになりがちなんです。だけど、それではダメだということを突きつけられて、かなり衝撃を受けたんです。

 でも、考えてみると、出版の仕事も似ていますよね。市民運動というか、ある種の世界のなかで通用する本だってつくります。しかし、売れる本をつくろうとすれば、他の世界にも通用する論理の本でないと、難しいですから。

 だから、20年前の教えは、いまでも大切にしているんです。私の考え方の原点のひとつですが、ご理解いただけましたか。