2014年5月29日

 弊社のメルマガに寄稿しました。以下、全文。弊社ホームページで立ち読みができます。

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 集団的自衛権の問題が、いま政治の一大焦点となっています。その局面で、『集団的自衛権の焦点 「限定容認」をめぐる50の論点』を出版します。編集長である私自身が書き下ろしました。

 この問題では昨年、平凡社新書から『集団的自衛権の深層』という本を出しました。そこで書きたいことは書き尽くしたと思っていたのですが、そこにとどまっていてはダメだと考え直したのです。

 ひとつは、かもがわ出版として、このテーマで本を出さないわけにはいかないということです。日本の護憲・平和勢力が、集団的自衛権に関する解釈改憲を許さない闘いに立ち上がっているとき、その一翼を占めてきた出版社が、この闘いを支えるための本を出せないとしたら、とても恥ずかしいことです。それが最初の動機でした。

 同時に、そうは言ってもいったい何が書けるだろうかと悩んでいたら、安倍首相が助け船を出してくれました。それが「限定容認」論です。

 安倍さん、記者会見で、アメリカの艦船で避難する母と子の絵を掲げて、情緒的な訴えをしていましたよね。この母子を助けるために集団的自衛権が必要なのだと。

 これは、長年この問題に取り組んできたものにとっては、驚くべき論理です。集団的自衛権とは、自国の存立にかかわるのではなく、あくまで他国の防衛に参加するかどうかだというのが常識ですから。

 実際、「限定容認」の方向で安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)をまとめようとしたけれど、集団的自衛権の行使を十数年にわたって求めてきた原則派の佐瀬昌盛さんなんかが、すごく抵抗したそうです。それもあって、安保法制懇報告は2段構えになり、それを受けて安倍さんが、その2段のうち「限定容認」の部分を採用するというかたちになったようなんです。

 ついでに言えば、佐瀬さんが十数年前に『集団的自衛権 論争のために』という本を出して、すごく刺激されました。これを正面から論破する本がなければならないと思って、猛勉強して半年後、『「集団的自衛権」批判』(新日本出版社)という本を書いたのです。佐瀬さんがいなければ、この問題をこれほど研究することはなかったでしょう。感謝です。

 それは措くとして、自民党の高村副総裁が「限定容認」論を打ち出して、効果があると思ったんでしょうね。それまで集団的自衛権に慎重だった自民党内の一部や公明党が、とたんに動揺したわけです。それで、「これだ」と思って、安倍さんらが推進してきた。実際、国民の命や日本の存立にかかわる問題だとなれば、世論も動揺するでしょう。当然のことです。

 しかし、私に言わせれば、そうやって国民受けをすることを言いだしたが故に、安倍さんは泥沼に入っていくかもしれません。矛盾するものを抱え込むからです。

 だって、日本の存立にかかわるなら、それは集団的自衛権の分野ではないのです。個別的自衛権で対処できる。つまり、憲法解釈を変えなくても、憲法を変えなくても大丈夫だということになるのです。

 同時に、集団的自衛権そのものの大切さを訴える機会をなくすことにもなります。集団的自衛権って、おどろおどろしいものだと考えている人も多いですが、武力攻撃(侵略)された国を助けるという行為ですから、建前上は、崇高な理念にもとづいているんです。困っている人がいて、その人を助けると、災いが自分にも降りかかってくるかもしれないけれど、それでも助けるというものです。

 このような訴えをしても国民には理解されないとして、「限定容認」論に傾いたというわけです。しかし、「限定容認」に力を入れることで、集団的自衛権の本質的な部分の議論がなおざりになるため、国民多数が本音のところで集団的自衛権を理解する機会を奪う結果になるでしょう。

 まあ、安倍さんにとっては、そんなことはどうでもいいのかもしれません。日本国民の命やアメリカ国民の命を真剣に考えて、この問題を提起しているわけでなく、戦後歴代の総理大臣が成し遂げなかったことを自分はしたのだという「誇り」に包まれたいだけでしょうから。

 今回の本では、政府自民党から出されるいろいろな事例はもちろん、背景にかかわる事項も含め、まさに全ての論点をとりあげています。安保法制懇報告の到達点にたって論じていますから、この問題でどういう立場をとるにせよ、欠かすことのできない本になっていると自負します。

 もちろん、安保法制懇の報告全文も収録。新聞各紙には報告の本文(4万字程度)しか載っていませんが、この本では1.2万字もある「注記」も含めて、まさに全文掲載です。