2015年2月5日

 人質とテロの問題が結末を迎え、いろんな議論がやられている。大事なことだから、多様な意見が出され、議論されるといいと思う。

 ただ、その議論を聞いていると、武力の行使をめぐっては、いくつか整理が必要だと感じることがある。武力でテロはなくならないということと、テロに対して武力は使ってはならないということは、別のレベルの議論であることと関連している。

 武力でテロがなくならないというのは、おそらくすべての人が共通の認識として持っていることだと思う。アメリカのオバマさんをはじめ政府指導者も同じだ(安倍さんがどうかは分からないけど)。武力だけではなくならないので、若者が過激思想に染まらない対策などが必要だと、彼らも強調している。

 では、テロに対して武力は使ってはならないというのは、はたして正しいものだろうか。ここには、いくつも検討しなければならないことがある。

 まず、以前も書いたが、イスラム国が武力によってシリアとイラクのかなりの部分を奪ったわけだ。それをクルド人部隊などが武力で奪い返した地域もあるわけだが、それもダメだというのか。

 それ以前に、イスラム国が各地を武力で奪おうとするのに対して、武力で抵抗してはならないのかという問題もある。抵抗せずに服従しなさいということを、イラクやシリアの人に対して言えるのだろうか。

 武力を使うかどうかは、それぞれの国内問題だという立場もあるだろう。だけど、あれだけの規模でイスラム国による虐殺等がおこなわれるのを前にして、それを国内問題だというならば、ナチスによるユダヤ人虐殺を見逃したのと同じようなことになる。しかも、イスラム国の武装集団はあれだけの外国人部隊で構成されているのだから、そもそも出発点から国内問題なのかという疑問もある。

 国連安保理の決定を経ずに、有志連合がやっていることが問題だという指摘もある。ただ、今回の経緯を見ると、そう簡単ではないように思える。

 イラク戦争のときは、各国の反対を押し切って、アメリカなどが武力行使に踏み切った。しかし今回、ロシアや中国も、事実上は容認した格好である。それぞれの国内に「テロ勢力」を抱えているので、有志連合による武力で対処することが慣例化する方が、自分にとって都合がいいという判断もあるのだろう。

 そういうことがあるし、イスラム国は中東の独裁政権(国連加盟国政府)にとって共通の脅威だから、安保理の決定が容易にされる可能性もある。その場合、あの地域は、イラクによる個別的自衛権の発動としての戦争、有志連合による集団的自衛権の発動としての戦争、国連安保理の決定による軍事的措置と、国連憲章で認められている武力の行使が混在する地域となる。

 そうなると、昨年末までのアフガニスタンと同じだ。そこでは、集団的自衛権を発動していたNATOが、国連決定にもとづく部隊(ISAF)を率いたわけである。有志連合だから悪く、国連だから良いなどという関係は、すでに存在しなくなっている。

 有志連合は主にイラクにいるイスラム国を空爆しているわけだが、その背景にあるのは、これもまた大量虐殺のシリア・アサド政権を支持できないということだ。空爆をすればアサド政権が喜び、空爆しなければイスラム国が喜ぶという、悪魔的な関係である。

 結局、武力を行使がいいことか悪いことかというレベルの議論では、何も解決することはないだろう。そのあたりを、自衛隊を活かす会のシンポジウム(2月14日午後1時45分〜、東京・日比谷図書文化館大ホール)で議論したい。

2015年2月4日

 もう15年前になります。1999年の夏から秋にかけて、何回か沖縄に来ました。

 2000年夏にサミット(先進国首脳会議)が沖縄で開かれることに決まっていたんですね。小渕首相のときでしたが、普天間基地の移設と称して、名護に巨大な基地を建設する計画が本格的に動き出していて、その方向へ世論を持っていこうとする意図が政府にはあったと思います。

 一方、沖縄県民は、サミットで各国首脳が集まる機会を捉え、沖縄の実情を世界に訴えようとしていました。私は当時、共産党本部の政策委員会というところで安保外交問題を担当していたのですが、世界にアピールする文書をつくろうということになり、沖縄を訪問して勉強し、その文書を起案することを命じられたわけです。

 その文書は最終的に、翌年2月16日、「沖縄の米軍基地問題を世界に訴えます」というタイトルでまとめられました。サブタイトルが、「沖縄サミットを前に各国政府と世界のマスコミへの日本共産党の報告と訴え」。ネットで見られるので、関心のある方はご覧ください。世界への訴えですから、当然、英文も作成され、これもネットで見ることができます。

 なぜこんな昔話を書くかというと、今回の沖縄訪問で、この文書が役に立っていると感謝されたからなんです。何の役に立つのかというと、安保条約への態度を留保した保革共闘になんです。

 この訴えの最後の最後に、以下のような文章があります。

 「日本共産党は、日米安保条約をなくして、基地のない平和な日本をつくることを展望しています。しかし同時に、沖縄県民の苦痛は、安保条約の終了以前にも、緊急に解決しなければなりません。世界各国のみなさんにも、沖縄の現状と要求について、ご理解いただきたいと考えます。」

 そうなんです。安保廃棄をめざすけれど、沖縄県民の苦痛はそれ以前にも解決しなければならないとされています。安保を容認する人を推薦できるのかということが議論になった際、共産党の公式文書のこの箇所を指摘し、安保条約の終了以前にも普天間基地問題は解決しないとだめなのだから、普天間問題を解決するために全力をあげる人なら、安保条約を容認していても推薦すべきだと強調する人もいたんですね。

 とってもうれしいです。同時に、この問題はもっと深めていないと、保革共闘が揺らぐことにもつながりかねません。

 現地の方の話を聞くと、国政選挙での保革共闘には、偶然的な要素もあったと思われます。県知事選挙で勝って、その影響力は甚大なものだったので、それを打ち消すためにも安倍さんには総選挙を敢行して勝利することが必要でした。

 それで直後の解散となったわけですが、もし解散までにあと一カ月ほど余計に時間があったら、安保をはじめ政策のどこをどう保留し、どこが一致するのかが議論されたら、いっしょにはやれないということになりかねなかった側面もあるそうです。時間がなかったから、お互いに違いを浮き立たせることなく納めることができた。その沖縄の共闘をしっかりとした政策で一致させるにも、「自衛隊を活かす会」が準備している政策提言は意味があると思います。

 沖縄本の著者は、すっごい人です。日本で最大の出版社のノンフィクション賞も受賞したことのある人ですから。乞うご期待です。

2015年2月3日

 沖縄に来ています。もちろん、県知事選挙やそれに続いた総選挙での保革共闘がどうやって成立し、どんな力を発揮したのかの取材です。

 何と言ったらいいか、このブログ記事のタイトルそのものでした。まさに文字通りというか、何というか。

 米軍基地の重圧に全県民が苦しめられているとはいえ、保革が共闘するなんてことは、少し前までは考えられなかったことです。今回も、仲井真さんと翁長さんに保守が分裂するという動きのなかで、革新の側には、従来の革新共闘で臨むという動機が強まることもあり得ました。だって、これまでと違って保守が分裂するわけですから、革新が漁夫の利を得る可能性があったわけです。

 実際にそういう動きもあったとか。だって、安保廃棄を掲げない(もちろん自衛隊廃止でもない)共闘って、これまでの革新では考えられなかったわけですから。

 そこをなぜ突破できたのかが、今回考えている本の最大の焦点です。そういう動きを本土でもつくりだすのは可能なのか、どうやったら可能になるのかが、安倍政権を追い詰めたいと願うすべての人々が手にしたいものでしょうから。

 まず政治的な背景でいえば、みなさんがおっしゃるのは、今回の選挙で負けたら、もう普天間問題で勝つことはできないという判断だったと思われます。だから何としても勝たねばならないという覚悟が、保守の側にも革新の側にもあったということでしょう。逆に言えば、本土での一点共闘が政権共闘に発展しないのは、どうしても勝たねばならないところまで追い詰められているわけではないということかもしれません。

 同時に、それだけではなかった。革新が保守と組み決断をするのも、保守が革新と手を組む決断をするのも、それが一点共闘の運動面での共闘だったか簡単ですが、政権共闘ではそう簡単ではないわけです。そこを切り開いたのは、やはり人間の役割だと思います。

 保守の側にとってみれば、共産党と組むのは、悪魔と手を組むのと同じだという考えの人だって多かったでしょう。実際、保守の議員のなかには、総選挙で一区の赤嶺さんを応援しない人もいたわけです。しかも、この路線を進めば、自民党を除名されることへの覚悟も必要でした。実際に除名されましたし。

 革新の側も同様です。安保廃棄を掲げない政権共闘って、原則から外れまくりですから(私は原則の範囲内だと思いますけど)。激しい論争と葛藤があったようです。翁長さんを応援するために動いた人のなかには、厳しい批判を受けて、つるしあげのように感じて、除名を覚悟した人もいたようです。

 だけど、先ほど書いたように、今回で負ければ終わりだ、今回で勝たねばという覚悟が、そういう不安を押しのけた。除名はされても仕方がないと思わせて、いろんな人をがんばらせたということでしょう。

 そこをリアルに描いた本ができるかどうかが、この本が成功することの条件です。というか、本土でもそういう共闘が可能になることの条件でもあると思います。

 だけど、そこをリアルに描けるのかですよね。関係者がそういう内幕を話してくれるか、それこそ話せば処分されるということだってあるでしょうから。

 まあ、誠実に取材してもらうしかありません。書き手とは、今からお会いします。

2015年2月2日

 沖縄からです。今回の結末は、いろんな感情を呼び起こさせますね。悲しいということもあるし、やりきれないということもあるし、強い憤りも感じます。冷静に受けとめられる人はいないはずです。

 そういう点で、安倍首相の声明が「強い怒り」、「断固非難」、「絶対に許さない」という言葉に満ちあふれていたのは当然だと思います。そこがないと、共感が得られないでしょうから。

 でも、それに続いて、「その罪を償わせる」と言った部分は、少し違和感がありました。それが私だけのものではなかったので、この部分にいろいろな問い合わせがあり、ここは国際法にもとづいて対処していく意味だと、政府筋が解説したということになっています。

 違和感があったのは、やはりこの部分が「報復」的な口調で語られていたからだと思います。安倍さんの脳裏に浮かんでいたのは、有志連合の自覚的な一員としての日本、イスラム国を空爆する日本というイメージだったのかもしれません(それに続く部分で日本がやるべきことは人道支援となっていたにしても)。

 欧米によってここまで追い込まれたことへの報復としてのテロ、それに対して「その罪を償わせる」ための報復。それがまた呼び起こすテロ。そういう文脈で安倍さんの声明を受けとめた人も少なくなかったと思います。

 今後のことについては、いろいろと考えるべきことがあるでしょう。自衛隊を活かす会の第5回シンポジウムは、日本防衛を主題にして開かれるものですが、そこでお話になる冨澤暉さん(元陸上自衛隊幕僚長)から昨日届いたレジメを見ても、「国際テロ」が日本にとっても重大な脅威と捉えられ、対策が述べられるようです。会としても、主催者あいさつ(今回は伊勢崎賢治さん)等々で、この問題に言及する予定です。

 私としては、日本がやるべきことは、テロ集団の資金源を断つことや人道支援を強化することなどこれまでと同じであったにしても、有志連合との関係の捉え方が、大事なことのひとつだと感じます。何日か前に書きましたが、日経新聞などは、日本はすでに有志連合の一員だという捉え方をしています。有志連合って、もともと戦闘行動(今回でいえば空爆)に参加する国々の連合であって、かたちからすれば日本は一員ではないのでしょうけれど、日本の後方支援とか人道支援というのは、実体的には有志連合の支援となっているので、多くの人の捉え方はそうなっているわけです。武力行使部分は欧米にまかせて、日本は周辺でやろうねという感じでしょうか。

 そういう行動をする国と有志連合に参加する国との区別はしない。それが、後藤さん殺害後のイスラム国の声明の意味なのでしょう。

 だけど、テロリストを追い詰め、民衆から孤立化させていくことは、日本はもっと積極的にしなければなりません。そのためには、民衆の報復感情を少なくしなければならないわけで、格差とか貧困とかを減らしていく人道支援も、もっともっとやっていかなければなりません。

 そういう日本の行動が有志連合と同じだと受けとめられないためには、明確なかたちで有志連合の行動を批判するということも求められるのかもしれません。そのことも含め、いろんな模索が必要な時代なのでしょう。是非、自衛隊を活かす会のシンポジウムにご参加ください。