2015年8月14日

 安倍さんの記者会見を見ながら思ったのは、河野談話のことだった。慰安婦問題での河野談話の対決構図が再燃するのではという危惧だった。

 このブログで何回も書いたことだが、河野談話が出た時、読売や産経も含め、いわゆる右派系は容認する立場をとった。だが、朝日や赤旗はきびしく批判した。

 ところが、それから20年がたち、右派的な世論が日本を覆い尽くすようになると、左派は河野談話を高く持ち上げるようになった。安倍談話をめぐっても、同じようなことが起きるのではなかろうか。 

 いま、『安倍談話の裏表』と題する本を書いている。なぜそういうタイトルにしたかというと、安倍談話では、本音(裏)が隠され、建前(表)重視のものになると考えたからだ。建前を批判するとなると説得力が弱まるので、本音についても詳しく書き、なぜ本音と乖離する談話が出たのかを分析しないと、本として注目されないと思ったのだ。実際の談話を見ると、全体として、そのねらいは当たっていたと感じる。

 もちろん、その建前について、いろいろ批判することは可能だろう。「自分の言葉で侵略と言っていない」とか、その他その他。しかし、間違ったことをあまり言っているわけではない談話について、基本的なスタンスが批判ということになると、ついていけない人が多く出るだろう。20年前の左派による河野談話批判は、自民党が出すものだから批判すべきだという思いこみが生みだしたものだったが、今回、安倍さんの言うことだから批判するのだということになってしまいかねない。

 私は、今回の安倍談話は、20年前の河野談話と同様、侵略や植民地支配を正当化してはいけないという国民の批判が生みだしたという要素が大きいと感じる。右派だってそれを無視できないほど、その批判は大きかったわけだ。

 だから、いま大事なのは、侵略も植民地支配も責任を認めない世論動向があるなかで、安倍さんだってそれを認めているということをテコに、その世論動向を変えていくことだと考える。河野談話と同様、安倍談話は、その役に立つ。
 
 ひとつだけ、安倍談話には本質的に重大な問題があると思っている。それは本のなかで詳しく書きます。8月31日に印刷が完了するかな。