2015年8月17日

 第Ⅳ部は植民地支配にかかわる問題です。現在、日韓関係は史上最悪の状態に陥っていますから、安倍談話でこの問題がどうあつかわれるかに注目した人は少なくないでしょう。ところが、村山談話の三倍近い長さの談話でしたが、韓国に対する植民地支配に言及した部分は、ほとんどありませんでした。内容的にも、なかなか評価の簡単でない問題があります。

 まず冒頭に、列強による植民地支配への言及がありますが、それは日本が独立を守り抜いたことを誇る文脈で出てきます。日露戦争も、日本が朝鮮半島を植民地支配する契機となったことはふれられず、逆に、支配されていた「アジアやアフリカの人々を勇気づけ」た側面だけが強調されています(なお、この最後の引用部分は、間違いとまではいいませんが、せいぜい「勇気づけた場合もあった」程度のことでしょう)。その後、第一次大戦後の民族自決の動きが広がり、植民地化へのブレーキがかかったことが指摘されるので、あたかも日本が植民地支配を抑えるための役割をはたしたといっているようにも聞こえます。

 次に出てくるのは、「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」という文章ではじまる箇所です。ここで、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」とされるのです。日本は武力を背景に朝鮮半島を植民地支配したわけですから、この部分は、そういうことを二度とやってはならないと読むことも可能ですが、朝鮮半島のことが明示されていないことは気になります。

 より大きな問題を抱えていると思われるのは、それにつづく箇所です。談話は、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」として、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と述べています。こういう言い方をしていることにより、過去の内閣の反省とお詫びを受け継ぐというだけで、自分の言葉では述べていないという批判があります。

 私は、自分の言葉で述べていないといっても、それを「揺るぎなく」受け継ぐというなら、とりたてて問題にするつもりはありません。私が問題だと思うのは、この「反省とお詫び」が「先の大戦における行い」だけを対象にしていることです。村山談話で反省とお詫びの対象になったのは「植民地支配と侵略」でした。しかし、「先の大戦」ということになると、一般に第二次世界大戦とは、一九三九年のドイツによるポーランド侵攻ではじまり、日本の真珠湾攻撃で文字通り世界規模になったというのが定説ですから、反省とお詫びが一九一〇年にはじまる朝鮮半島植民地支配に向けられていると解釈するのは、相当な無理があるでしょう。韓国がこの談話を大問題にしていませんが、「先の大戦」の開始を一九一〇年だとみなしているのでしょうか。

 植民地支配をどう評価するかは難しい問題です。侵略が違法な行為であることについては、安倍談話が、戦争に踏みだした日本を「新しい国際秩序」への「挑戦者」だったと表現したように、戦前においても、程度の差はあれ共通の認識がありました(侵略の定義の問題はあるとしても)。けれども、一九一〇年当時の世界において植民地支配が合法であったことについては、現在も、欧米諸国の共通の認識になったままです。

 そういう現状のなかで、安倍首相は、日本だけが植民地支配を謝罪するという道を進みたくないのでしょう。それだけに、日本の植民地支配の何が、なぜ問題なのかということは、正確に分析されなければならないと思います。