2018年1月9日

 長い間お休みしました。仕事始めは5日でしたし、6日は『泥憲和全集』の打合せで姫路に行ったりして、仕事はしていたんですけど、中途半端に記事を書いても何だかなあと思って、ブログはお休みしていました。今年もよろしくお願いします。

 仕事始めの日に会社で何か挨拶しろと言われ、「今年は勝負の年ですね。お互いに支え合って進みましょう」と述べました。憲法自体というより、その議論を通じて戦後はじめて、地に足のついた安全保障の議論ができるかどうか。その勝負の年だと思います。今年もそのテーマでたくさん書いていきます。

 さて、論じるべきことはたくさんありますね。本日は朝鮮半島の南北会談の話題にしましょうか。

 昨年末にも書いたことですが、北朝鮮が対話に乗り出してくることは、「核・ミサイルの完成」を声明した時に予想されていました。完成もしてないのに「完成」と言い張るわけですから、完成がほど遠いことを宣言したようなものです。あと少しで完成するなら、こんなことは言いませんよ。

 それでも、「完成」と称したのは、1つは内向けのもので、誇りをかき立てて結束を固めるということでしょう。よくある手口です。
 
もう1つは、「完成」に時間がかかるなら、現状で外向けには核保有国と宣言し、それを認めさせることです。核保有国と宣言しているのに、外交の場で核放棄を求められても認めないという実績が積み重なると、それだけで現状の容認ということにつながっていくわけで、それをねらっているんでしょうね。

 それでも対話がされるのは良いことです。韓国は外交力を試されます。

 まあ、今回の南北会談は、議題が平昌オリンピックに収斂されるようで、核の現状を容認させるためのフェイントはないかもしれません。それならそんなに難しくならない可能性もあります。

 心配なのは、韓国が北朝鮮の核・ミサイル問題を本音でどう思っているかです。北朝鮮のミサイルが、アメリカ本土を脅かすにはほど遠いけれど、日本と韓国にとってそうでないことは共通なんです。

 だけど、北朝鮮が本気でミサイル実験を開始した10年以上前、『軍事研究』で軍事評論家の石川厳さん(元朝日新聞論説委員)が書いていましたが、韓国国民のなかには「南北が統一したらミサイル技術が韓国のものになるのでうれしい」と考える人もいるそうです。その辺りは、ただミサイルの標的としか自分を考えられない日本国民とは、かなり違っています。

 そして、韓国をそういう気持ちにさせないためには、日本政府は核兵器を絶対悪だと位置づけ世論を形成しないとダメなのに、核抑止力に頼る日本にはそれができない。困ったことですが、それが現実です。

 今後、対話が加速していけば、どんな対話なら意味があり、どんな対話は核・ミサイルの固定化につながるのかが、するどく問われていくでしょう。誰もが試されるような気がします。明日から東京です。来週も東京ですが。