2018年1月31日

 不破さんの論考のなかには、共産党がめざす2つの政府(民主連合政府と、それ以外の連合政府)の関係が整理されている。以下である。

 「わが党は、民主連合政府という目標を一貫して追求しているが、この政権ができる条件が成熟するまで政権問題にはふれないで、ただ待っているという消極的な立場ではない、その局面の状況に応じて、選挙管理内閣とか暫定政権――これは「よりまし政府」ともよんできましたが――など、政局を民主的に打開する政権構想をも積極的に追求する」

 これは私の体験とも合致する。私がまだ学生だった76年4月、ロッキード事件が世の中を揺るがし、自民党がそれを小選挙区制導入で乗り切ろうとした局面で、総選挙の最中だったと記憶するが、共産党は、小選挙区制粉砕、ロッキード疑獄の徹底究明、当面の国民生活擁護という3つの緊急課題で「よりまし政権」を打ち出した。

 それだけではない。89年参院選の時にも、共産党は、消費税廃止、企業献金禁止、コメの自由化阻止の3つの緊急課題で暫定連合政府の樹立を提唱した。新安保法制(戦争法)成立直後から、それを廃止するための国民連合政府を打ち出す基盤は、何十年もの実践のなかで生み出されていたわけである。

 しかし、不破さんがこの論考を出した98年と現在とでは、かなり事情が異なっている。いや、当時から事情が変化する萌芽は見えていて、不破さんはそこを先駆的に提起しようとしているのだが、事態が予想を超えて進んでしまったように思える。その変化の中心は、安保条約と日本の安全保障をめぐる変化である。

 76年4月の提起の時点では、日米安保廃棄を掲げる政党として巨大な社会党が存在しており、民主連合政府で安保廃棄を掲げるのは、いわば常識のようなものであった。だから、宮本さんが安保廃棄を一致点にしない政権構想を打ち出した時、かなり異論があったようだ。そのせいか宮本さんは、この政権構想の発表時、民主連合政府構想と、それを一致点にしない緊急課題での政府構想と、その「二本立て」の政府構想なのだという説明をしていたように記憶する。

 89年の時も、社会党はまだ、日米安保廃棄を掲げていた。したがって、「二本立て」というような言葉は使われなかったが、考え方は同じようなものだったと思われる。

 そして、だからこそ、緊急課題での政権は「暫定政権」「よりまし政権」だ、という言い方が通用していたのである。緊急課題を実現したら解散・総選挙を実施し、その次には、安保廃棄を含む課題を実現する民主連合政府に向かうのだというのが、共産党の構想の前提にあった考え方なのである。

 けれども、不破さんの論考が出された98年の段階というのは、社会党が村山内閣を誕生させ、日米安保を容認していた。だから、不破さんの論考にも、共産党以外に安保廃棄を主張する政党が存在しないこと、しがたって「民主連合政府をいまの問題として日程にのぼせうる条件はできない」ことが率直に述べられている。そして、共産党を強くすることによって、日米安保の廃棄を主張する政党が他にも誕生するような変化を生み出すのだとされているのである。

 それから約20年が経過した。民主連合政府に接近する条件はどうなったか。20年前にも「条件はできない」と明言されていたのだが、その条件はさらに遠のいているというのが、率直な現状であろう。

 これはつまり、当面の政府を「暫定的なもの」などとは言えなくなっているということである。そういうなかで国民連合政府が提起されているわけで、だから新しく考えるべきことが山積しているわけなのだ。(続)