2018年1月30日

 さて、共産党の政権論を包括的に論じたものとしては、不破哲三「日本共産党の政権論について」(『しんぶん赤旗』1998年8月25日)以上のものはあるまい。部外者が論じたものは多いが、当事者のものに限っては、ということである。

 これは、部外者からは、「綱領路線の否定」みたいに言われることがあるが、そんなことはない。綱領の内容と、それまでの綱領の実践をふまえたもので、少なくとも98年の時点のものとしては、たいへん説得力のあるものとなっている。

 共産党がめざす政権の基本は、昔もいまも「民主連合政府」である。なおこれは、旧綱領であれ現綱領であれ、掲げる基本政策としては「日米安保条約廃棄」など変わりがないように見えるが、共産党言葉で言う「権力の性格付け」では、かなり異なっている。旧綱領では、民主連合政府は社会党中心だったからでもあるだろうが、それを「革命の政府」とは呼ばなかった。現綱領では、民主連合政府は「革命の政府」である(ちなみに、本稿とは無関係なので論じないが、革命が行われるのはこの段階だけで、社会主義になるのを「革命」とは呼ばないのが現綱領の立場である。)。

 しかし、いずれにせよ、掲げる基本政策はあまり変わらないので、本稿の論述には影響しない。日米安保廃棄を日本の独立と平和を達成するための基本的な課題と位置づけるのが、共産党の一貫した立場だということである。将来の理想としてそれを掲げるのではなく、あくまで少しでも日本を平和にしようと思えば、絶対に欠かせないという位置づけである。いわば日米安保は絶対悪であって、ここを曖昧にして政権をめざさないのが基本であった。だから以前、他党から「憲法九条擁護の一致点で国政選挙で候補者を」との要請があっても、「基本政策での一致がないとダメ」として断り続けてきたわけである。

 とはいえ、安保条約廃棄以外の政権は考えないということになると、現状においては、ずっと将来にわたって政権入りは現実のこととして考えないというのと、ほぼ同義語になってしまう。かつて社会党が存在していた時だって、国会で安保廃棄は多数を占めたことはないのであって、それだけでは政権入りは非現実的なものであった。

 しかし、共産党の綱領は、もともとそれでよしとするものではなかった。また、共産党の実践もそうではなかった。

 冒頭に紹介した不破さんの論考は、そこを解き明かしたものである。しかし、現在とは政治事情が異なる20年も前のことであり、かつ20年間の実践もあって、新たな課題も浮上していると感じる。そこで、次回以降、この論考と現在、という問題を論じていく。(続)