2014年8月15日

三、「専守防衛」の政策をつくっていく

 安倍政権とは異なる専守防衛の政策を示していくことについては、多くの政党が模索してきました。民主党についていえば、政権末期は自民党と同じく抑止力信仰に逆戻りしましたが、普天間基地の県外移設や対等な対米関係など、自民党とは異なる道筋を提起しかけた経験があります。日本共産党について見ても、いまから一四年前、侵略や大規模災害の際の自衛隊活用という方針を党の大会で先駆的に打ち出しました。

 一方これまで、専守防衛といえば安保依存と一体となった自民党の政策であったため、護憲派が専守防衛を深めればどんな政策になるのかについて、突っ込んだ探究はされてきませんでした。いまそこに変化が訪れようとしています。

 この六月七日、「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」(略称、「自衛隊を活かす会」)が結成されました。柳澤協二さんを代表として安全保障専門家の三人が呼びかけたものです(私はその事務局の仕事をしています)。柳澤さんは、防衛官僚を四〇年間務めた方で、最後は、安全保障担当の内閣官房副長官補(事務次官待遇)として、小泉、安倍(第一次)、福田、麻生と四代の自民党首相に仕えた方です。退職後、さまざまな体験をへて、昨年一一月、九条の会の全国交流集会に参加し、憲法九条が生みだした日本の平和ブランドを守ろう、集団的自衛権に反対しようと呼びかけました。

 「自衛隊を活かす会」は、もちろん自衛隊を否定する立場には立ちません。しかし同時に、集団的自衛権や国防軍路線にも賛成せず、現行憲法の枠内で防衛政策を提言することをめざしています。そのために、防衛の現場で仕事をし、悩んでいる自衛隊の幹部の方々とも協力しあっています。

 一〇月はじめまでに自衛隊の国際貢献の問題を考える三回のシンポジウムを開催し、年末から来年にかけてのシンポジウムでは、日本防衛を主題にして検討することになります。これらのシンポジウムには、幹事長や政審会長が出席する政党もあり、国会議員秘書や政審職員まで含めると、主要な政党は参加しています。

 政策面での共闘というのは、主導するのは政党であって、市民の側にできることは限られています。その政党を見渡すと、安倍政権の打倒で一致することがあるとしても(それさえそう簡単ではありません)、それに替わる政権づくりで協力し合える感じはありません。そこは政党間の努力に期待するしかないでしょう。

 しかし、私たち国民の側が、「こういう政策で一致すべきだ。その政策をもって集団的自衛権で突っ走る安倍政権を打倒すべきだ」と提示していくことは可能です。野党の協力が実現しない場合も、その政策を採用する政党が増えるならば、積極的な意味があるでしょう。一点共闘が政治を変える闘に発展するかどうかは、私たちの準備と覚悟にかかっています。

2014年8月14日

二、自民党の変化の意味と「専守防衛」問題

 最近、一点共闘という言葉が聞かれるようになってきました。立場の違いは大きいけれど、大事な一点でだけは、これまで考えられなかったような方々と共闘できるようになっているということが、この言葉には込められているように思います。

 集団的自衛権に即していえば、かつて自民党の幹部だった方々が、集団的自衛権反対の旗をかかげ、護憲派と手を組むようになっています。考えるべき問題は、この一点共闘から、政治を変える共闘が生まれるのかどうかということです。その可能性はあるのか、あるとしたら、どういう努力をすれば可能性を現実のものにできるのかということです。

 この答は、ある意味で簡単です。政治の場面での共闘というのは、政策での一致があって初めて現実のものとなります。政策の一致があれば一点共闘は政治を変える共闘になるというのが、この問題の正解でしょう。

 答は簡単ですが、簡単でないのは、それを現実のものとすることです。集団的自衛権についていえば、一点共闘においては、その行使に反対するというだけの一致でいいのですが、政策で共闘する場合は、それに代わる対案が求められ、少なくとも安全保障政策の大枠での一致が必要となるでしょう。かつての自民党幹部から共産党までが、安全保障政策で一致するなどということがあり得るのでしょうか。

 この点ではまず、集団的自衛権行使容認にいたった自民党の変化をどう見るかが大事です。過去数十年にわたる自民党の防衛政策を特徴づけてきたのは、もっぱら自国防衛を意味する「専守防衛」という考え方と、アジア全域にアメリカの影響力及ぼす「日米安保依存」という考え方とが、渾然一体となっていたことです。アジア諸国との関係でいえば、戦前のようにアジアの盟主となる願望をもった人々もいれば、それはもっぱらアメリカにまかせるという人々もいました。

 戦後数十年続けてきた憲法解釈を変更したということは、自民党自身が自覚しているかどうかは別にして、この防衛政策の基本が変わったということを意味します。「専守防衛」は後景に追いやられ、アメリカとともに「アジアの盟主」になろうという考え方が主流になったということです。その結果、「専守防衛」を基本にしたいと考えてきた自民党の人々のなかで、安倍政権に離反する動きが出ているわけです。沖縄県知事選挙にあらわれた「オール沖縄」の動きも、こういう変化を背景にしています。

 これまで、「専守防衛」といえば、護憲派から見れば、いわゆる解釈改憲の立場でした。また、侵略的な日米安保と一体のものであったため、言葉の本当の意味で「専守防衛」とは言えないものでした。しかし、安倍首相が改憲と集団的自衛権の立場で突きすすんだ結果、「専守防衛」が積極的な意味をもつ可能性が生まれています。護憲派が「専守防衛」派と同じ政策で手を結ぶことができるなら、安倍政権にとって代わる選択肢を提示することができるのではないでしょうか。

 政府が三年に一度大規模な世論調査をしていますが、自衛隊の縮小を求める声は二〇年前の二〇%から次第に減って六・八%となる一方、現状維持を求める人々は一貫して六割を超えています(図1)。そして、国民が自衛隊に求める役割は、圧倒的に災害救助と侵略の防止なのです(図2)。集団的自衛権を行使するのではなく、自衛隊の任務は侵略の防止と災害救援であるべきだというのが、国民大半の気持ちだということです。また、NHKの四年前の世論調査を見ると、非武装で安全保障を考える人は一二%と少数ですが、一方で安保条約に依存して日本を守ると考える人も一九%と少数であって、国民の大半は、アジア諸国との平和的な関係を重視する人々でした。

 つまり、国民多数も「専守防衛」派だということです。国民大多数の声に依拠すれば、一点共闘が政治を変える共闘に発展する可能性はあるのです。

2014年8月13日

 ある雑誌にこのタイトルで原稿を依頼されている。締めきりまではまだ時間があるので、とりあえず試案的なものをブログに公表。いろんな方の意見をふまえ完成させたい。

 安倍内閣は七月一日、国民の圧倒的多数の反対を押し切って、集団的自衛権の行使を合憲とする閣議決定を強行しました。多くの方が、この暴挙に怒り、その行使を許さない決意を固め、闘っておられることでしょう。いうまでもなく私もそのうちの一人です。では、この問題の展望はどこにあるのでしょうか。

一、今後の展望をどういう見地で考察すべきか

 大切なことのひとつは、よく知られているように、閣議決定はされたものの、このままでは集団的自衛権を行使することはできないことです。政府は、来年の通常国会に関連法案を提出するとしており、その成立が不可欠の要件となっています。

 これは常識のように思えますが、大事なことです。二〇〇一年の九・一一に際し、NATO諸国が集団的自衛権を発動し、アメリカのアフガン戦争に参戦しましたが、だからといってどの国も新たな立法措置はとりませんでした。そもそも、世界のどの国も、集団的自衛権を発動するための法律などもっていません。一方の日本は、アフガン戦争でインド洋上で給油をするためにも、その後、イラク戦争後に陸上自衛隊をサマーワに送るためにも、その度ごとに立法措置をとってきました。政府はその理由として、他国は国際法上許される武力行使に制限がないが、日本は憲法九条で集団的自衛権の行使を禁止しているため、自衛隊の行動が集団的自衛権の行使にならないよう、歯止めをかける必要があるのだとしてきました。今回、集団的自衛権を行使できると閣議決定し、NATO諸国並みになったはずなのに、それでも立法措置が必要なのは、国民世論を欺くための「限定容認」とはいえ、建前としては「限定」だからです。法律というものは建前の世界を無視できないのです。

 その点では、閣議決定の如何にかかわらず、憲法九条はまだまだ規範としての力をもっているのです。九条の力が生みだした猶予期間を活用し、集団的自衛権の本質についてより説得的に論じ、反対の世論をさらに強めて成立を阻止するというのが、この問題の基本的な展望でしょう。手綱を緩めず、引き続き全力で闘わなければなりません。

 しかし同時に、いくら全力をあげるといっても、これまでの延長線上の取り組みをやる程度では、新たな展望はうまれません。いま私たちの目の前で進んでいるのは、安倍内閣が、衆参での圧倒的多数を背景にして、いくら反対世論が強まろうと、それを無視して次々と悪法を成立させているという事態です。過去の経験からすると、内閣のひとつやふたつがつぶれた上でようやく成立するような大きな悪法が、安倍内閣のもとではいとも簡単に通過していくのです。

 もちろん、それに対する世論の反発は小さなものではありません。安倍内閣の支持率は確実に落ち込んでいます。しかし、安倍首相は、それに動揺することなく突き進んでいるように見えます。

 おそらく安倍首相は、いくら自分に対する批判が高まったとしても、総選挙に打って出れば、引き続き自民党と公明党が多数を占められると確信してきたのです。民主党は国民の批判をくらって政権から転落したわけですが、その原因さえ自分たちで解明できておらず、低迷を続けています。維新その他の保守政党は、安倍政権を支える与党入りをめざす枠のなかで、いろいろ右往左往しているだけです。共産党や社民党は、いくつかの課題で国民的な共闘をつくりだす上で大事な役割を果たしていますが、いま選挙があったとして、安倍政権に変わる政権を誕生させる方針をもっているわけではありません。自民党政権を脅かす勢力がいないのです。

 とはいえ、その安倍さんの余裕が少しぐらついたのが、七月一三日の滋賀県知事選挙の結果でした。野党がバラバラのままなら、いくら支持率が落ち込んでも定数一の選挙で負けることはないと高を括っていたのに、そうならなかったのです。その結果、秋の臨時国会にかけるとされていた集団的自衛権関連法案の一部は、すべて来年の通常国会に先送りされました。安倍さんは、関連法案が秋の争点となり、統一地方選挙で大敗北することになれば、残りの関連法案(こちらが集団的自衛権行使の本命です)の成立も展望できないと考えたのです。

 そうであるならば、私たちがやるべきことは、一一月の沖縄県知事選挙を皮切りにして、来年の統一地方選挙で自公勢力を敗北させることを当面の目標におくことです。統一地方選挙の勝利の上に、通常国会を迎えるのです。そして、「この法案を強行したら、来年の参議院選挙(あるいはダブル選挙)で自公政権は終焉を迎えるぞ、閣議決定を撤回する政権が生まれるぞ」と迫っていくのです。それこそが、関連法案を阻止する上で、決定的な力となるでしょう。

 でも、野党がバラバラな状況は続いています。それで、どうやって自民党を敗北させることができるのでしょうか。あるいは、自民党が敗北するなら、どの野党が勝利してもいいのでしょうか。(続)

2014年8月12日

 たくさんの論点を深くとりあげるのが方針である。だから、頁数も値段も、それなりのものになる。

 あとひとつだけ昨日議論になったことを紹介すると、この問題の遺伝的影響ということもある。8月9日の長崎における記念式典でのあいさつのことも問題になっているし、福島の女子高生が「子どもを産めるのか」と心配していると報道されている問題もあるし。

 これは、広島・長崎の被爆者をずっと苦しめてきた問題でもある。被爆者が結婚し、子どもを産み、その子どもがガンになったりすると、親は苦悩するわけである。被爆者である自分が結婚し、子どもを産んで良かったのかと。

 ただ一方、この問題ではたくさんの被爆者がいて、何十年にもわたる調査結果も出ている。そして、被爆者の子どもと、被爆者でない子どもとを比べて、ガンにかかる確率は変わらないのだというたしかな結果がある。
 その結果は、被爆者に希望を与えるものではある。だが、そうはいっても自分の子どもが病気になれば、被爆したせいではないかと思い悩むのが、人の親の常なのだ。

 だから、日本の原水爆禁止運動は、あるいは被爆者援護の運動は、「被ばくすることによる遺伝的影響がある」とは言ってこなかった。苦悩している親に追い打ちをかけるようなものだからだ。運動が生みだした知恵というか、被害者によりそう優しさというか、そういうものだったと思う。

 それを4年目を迎える福島にどう生かしていくのか、あるいは生かしていくべきではないのか。そういうことも、この本の重要課題である。被爆した方とそうでない方のあいだで子どもがガンになる確率は変わらないという事実だけを客観的に伝えるのか、それとも価値判断を加え、リスクは無視していいのだと伝えるのか、逆に出産を不安に思う気持ちを強めることになっても、リスクはあると強調するのか、そういう問題である。どういう伝え方が、不安を抱えている高校生にとって適切なのかという問題である。

 今回の本の筆者たちは、全員が、3.11の以前から長らく原発反対運動や原水禁運動、被爆者援護の運動に献身してきた人たちである。3.11を受けて突然めざめた人ではない。そういうところも、この本の信頼性を高める要素となるだろう。

 11月頃に発売。とりわけ福島に住む200万人の人々に買ってほしいと思っている。

2014年8月11日

 先週は中国、九州を回ったわけだが、今週は東京。今朝は午前10時から日本大学歯学部で、本の編集会議である。

 何の本かというと、この記事のタイトルにあるもの。といっても、その編集会議で決まったばかりなんだけどね。著者は、児玉一八、清水修二、野口邦和の3氏。

 急に決まった本である。サブタイトルからも推測できるように、「美味しんぼ」騒動が直接の動機だ。放射線被曝の影響をどうみるかについては、4年目を迎えるいまになっても、ホットなテーマであり続けているということが、「美味しんぼ」問題を通じてはっきりしたということで、関係者が「やはり出さねば」と決意し、この本をつくることになった。

 「理科・社会」とあるのは、この問題をよくあらわしている。放射線被曝は、どの程度の被曝によってどんな影響があるのかということでいえば、まさに「理科」の問題である。しかし、その影響の程度をどう評価するかということになると、価値判断が入り込んでくるので、「社会」の問題にもなってくる。両方の角度から論じないとダメな問題なのである。

 この会議で教えてもらったが、航空機の客室乗務員がガンになる率の調査というものがある。よく知られているように、航空機って、低線量被曝が継続する場所だから、ちゃんと調査しているんだね。

 その結果をみると、一部に(ほんの一部に)例外があるとはいえ、客室乗務員のガンになる率は、一般人より低いのである。低線量被曝しているのだから、ガンにかかりやすいのに、実際はそうなっていない。

 なぜそうなるのかといえば、ガンになるには別の要因の方が多いからである。仕事に意欲をもってやっているとか、休暇を思いっきりうまく使っているとか、労働時間が適正であるとか、そういう要素があると、低線量被曝の多い客室乗務員がガンになりにくいわけだ。

 その調査結果についてのグラフは、この本に載せることになる。そういうことを、いろいろな角度で立証していくというのが、この本の目的になる。