2016年5月16日

 こういうタイトルの本を知り合いの編集者に「読め!」といわれ、贈呈までしてもらったので読んだ。著者は松本創さんといって、神戸新聞記者を経て、現在はフリーライターである。

 なぜ「読め!」といわれたのか、その理由は、本日からの東京出張で聞くことになるのかもしれない。サブタイトルに「大阪都構想とメディアの迷走」とある。それに示されるように、橋下徹をつくったメディアの責任をとことん追及したのが、本書の真骨頂といえよう。

 その全体をまとめるようなことはしないが、私にとって印象的だったのは、この本に出てくる朝日論説委員の稲垣えみ子さん(当時)の言葉だ。2013年5月3日、神戸で朝日新聞労組がこの問題を主題にしてシンポジウムを開いたそうだが、そこで稲垣さんが語っている内容。別の雑誌にも同じ内容の論考を寄せているそうで、著者の松本さんがそれを整理した文章があるので、それを引用する。タイトルは、「『世の中が見えていたのは橋下氏』朝日新聞大阪社会部デスクの嘆き」。

 「橋下のことを紙面で取り上げると、「朝日は橋下の宣伝機関か」という声と「なぜ橋下さんの足を引っ張るのか」という声、両極端な苦情が読者から多数届く。従来の「お上」対「庶民」の図式に当てはまらない橋下の報道に苦慮していたある日、府立高校の国歌斉唱条例でアンケートを取った。予想に反して賛成が圧倒的多数だった。リベラル・護憲を看板に良心的な世論をリードしてきたつもりが、振り返れば誰もいなかった。朝日的リベラルを世の9割がウソっぽいと感じている。世の中が見えていたのは橋下の方だった。従来のリベラル層をも既得権益と見なして攻撃してくる橋下に負けないよう、新聞の発想も「グレート・リセット」が必要ではないか──」

 そうだと思うんです。リベラルって、世の中が見えていないところがある。国歌の斉唱を命じる条例だって、賛成が多数になるのは当たり前である。戦後すぐなら、こだわりをもった人がそれなりにいたのは事実だろう。しかし、そういう層はほとんど亡くなっていているし、サッカーとかで国歌を歌うのはあまりにも当然のことになっている。国旗・国歌法が圧倒的多数の賛成で成立してから、ずいぶん時間も立っている。そもそも当事者である教職員の労働組合だって、組合員に対して「国歌を斉唱するな」なんて方針を提起していないだろう(どうなんですか?)。

 それでも強制に反対することはあっていい。だけど、その場合はあくまで、ごく少数の権利を擁護していて、世論のなかでは孤立するという自覚が必要なんだと思う。しかもその場合も、国歌を斉唱すべきだという立場への敬意というか尊重というか、それがにじみ出なければならないと感じる。国歌斉唱は悪で斉唱しない人が善という立場で接近すると、国民多数を敵にまわすのである。

 護憲改憲問題もそうだ。改憲は悪で、改憲を願う人は戦争をしたい人なんて考えていると、多くの人を敵にまわすことになる。いませっかく、安倍さんが何をするか分からない不安があって、改憲派の人が安倍政権のもとでの改憲にちゅうちょしはじめているのに、改憲派をばっさりと切り捨てるやり方は、味方になる人を失うことになる。

 ただし、稲垣さんが提唱するように、新聞が「グレート・リセット」できるかというと、ちょっと懐疑的。最近の某新聞を見ると、一層そう感じる。メディアが情けないから世論がダメというのでは、いつまで経っても変わらない。メディアが情けなくても前進するにはどうするかという問題意識を持ちつづけたい。