2016年6月30日

 京都から東京へ、そして福島へということで、だいぶ疲れました。疲れを倍増させるような重大事件も起きたし。

 気分転換に、EUの話題でも。イギリスの離脱などをめぐって、いろいろ考えさせられることがあります。

 私には現在のEUをめぐる事態が、立憲主義と民主主義の対立のように見えるんですよ。そこに日本と共通する問題、考えなければならない問題があるのではないかと思うんです。

 民主主義というのは、まさにイギリスをはじめとして、国民の側から噴出している声です。これ以上難民を受け入れたくない、東欧から安い労働力が入ってくるから仕事が奪われている、自分たちの税金で貧しい国を助けるなんてイヤだ、そんな声です。

 まだ余裕があったときは、理性をもって、「大丈夫だよ、それが欧州の伝統が生み出したものだから」と言えていた。難民にしても、それを生み出した歴史的根源が自分たちにあることは心の奥底では理解しているので、自分を納得させられた。

 でも、自分たち自身の暮らし向きが低下するとか、テロの恐怖が目の前で展開するとか、そういう事態を前にして、建前はもういいやという風になっている。そんな感じがするんです。

 立憲主義というのは、言葉は悪いけど、その「建前」。歴史上、たくさんの戦争をくり返し、それこそ「人殺し」をしてきたなかで、反省もあっていろんな理念も生み出してきた。侵略戦争はしないとか、人を人種その他で差別しないとか、迫害された人は受け入れるとか、所得は再分配が必要だとか、その他その他。

 その立憲主義を、国民から信託されたわけでもないEU官僚が担っていて、国民の声=民主主義と対立している。現状はそんな構造ですよね。

 報道を見ていて、これじゃあイギリスは離脱するよなと感じたのは、残留派を理性派、離脱派を感情派と区分けする見方が多かったからです。これって、離脱を求める国民の側には理性がないと言っているようなものですからね。そんなことを言われたら、離脱派は怒って、ますます離脱へと向かうでしょう。

 日本でも、立憲主義が無前提に正しいものだとして、証明不要のものだとするような考え方もあります。だけど、自衛隊を存続させるのが立憲主義に反するのかどうなのかだって、ほとんど議論もされておらず、立憲主義を叫ぶ人のなかでも一致は見られないと思います。立憲主義はその程度のものなんです。

 それなのに、安倍さんのことを立憲主義も理解できない無能みたいに批判する人も少なくないけど、それって安倍さんを支持する多数の国民を無能呼ばわりすることですよね。そんな訴えで多数派になれるんでしょうか。

 気分転換のつもりだったのに、転換しませんね。残念。

2016年6月28日

 昨日の続き。二度とこんな問題が起きないよう、もう少し論じておく。

 共産党が新安保法制反対で野党共闘路線に踏み切り、成立後もそれを基礎にして、法制廃止の国民連合政府構想を提唱した。その直後、日本防衛のために安保と自衛隊を使うのだと打ち出した。これは、野党共闘で連合政府をつくるうえで不可欠のことであって、香川で共産党候補を野党共同で推すにあたり、安保廃棄、自衛隊の段階的解消という共産の方針を持ち込まないと文書で約束したことも含め、その英断は賞賛されるべきものだ。この英断がなければ、32の1人区で野党統一候補が実現するなど、あり得なかっただろう。

 問題は、当面は自衛隊を解消しないという方針が、どういう根拠で打ちだされているのかということだ。解消という方針をもっていながら、それを現在は打ち出さないということの意味を、どう根拠づけているのかだ。そこが見えない(議論されていない)ため、人によって、現在の方針の受け止めが違っていて、藤野発言のようなことになるのだと思う。

 この問題をめぐっては、二つの立場があるのだろう。もちろん、そのあいだには、いろいろなバリエーションがあるだろうけれど。

 一つは、日本防衛というか日本国民の命を助けるために、いまは自衛隊が必要だという立場だ。将来は自衛隊が不要になる時代が来ることは確信しているが、いまはまだそこまでにはなっていないという立場。

 もう一つ。日本防衛のために、いまでも自衛隊は不要で、憲法九条にもとづく平和外交で十分だと考えているが、そういう考え方が国民(他の野党)の理解することにならないので、理解が進むまでは自衛隊をなくすとは言えないという立場。

 この二つの立場は、現在は自衛隊が不要だと言わないという点では共通しているが、根本的には相容れない。いま現在(将来は別にして)、国民の命のために自衛隊が必要だと考えるのか、不要だと考えるのかでは、まったく違うからだ。

 この問題が、まったく議論されていない(議論されているのかもしれないけれど、外には見えない)。そのため、後者に近い立場の人は、本当は防衛予算は不要だと考えているために、防衛予算自体を否定的なものとして描きたがっていて、その本音が藤野発言のようになっていく。
 
 根本的に違うため、議論しはじめると、分裂の様相を呈するのかな。だから議論できないという現実が横たわっているのだろう。

 でもでもでも。

 参議院選挙は、政権をめざす選挙でないため、この問題が議論されなくても(投票まで時間もないし)、乗り越えられる可能性はある。だけど、本当に政権をめざす総選挙までに、この問題が真剣に議論されないと、政権獲得なんて問題外ということになってしまうのではないだろうか。

 政権より理念、というなら、それでも構わないんだ。けれど、理念重視ということだと、野党共闘は成立せず、安倍政権が継続するということになるので、難しいわけである。

 

2016年6月27日

 共産党の藤野政策委員長の発言、大問題になっていますね。当然でしょう。

 こういう発言が出てくる背景には根深いものがあって、自分の個人的な体験からも、想像できるところがあります。その場で撤回して帰ってきたらどうなるか、藤野さんも想像できたんでしょうね。

 いずれにせよ、昨年の国民連合政府の提唱以来、いろいろ共産党が努力してきたものは、これでかなりの程度、元の木阿弥みたいになりますよね。民進党などとの共闘を進める上で、最大の障害は安保・自衛隊問題であって、国民連合政府の提唱直後、日本防衛のためには安保も自衛隊も使うんだと共産党が明言したことによって、ようやく野党共闘が実を結んだわけですが、その明言のウラで、実は自衛隊のことを心のなかではどう思っていたのか、藤野発言で問題になってくるわけですからね。撤回したから収まるという性格の問題ではないでしょう。

 共産党がこの逆風を10分の1でも乗り切れるとしたら、共産党関係者が藤野発言を怒っているということが、国民にリアルに伝わるときだけでしょう。理解してもらえますかね。

 藤野発言について、おそらく「よく言ってくれた」という共産党関係者も少しいるでしょう。そういう人は仕方ないんです。

 でも、「これでは国民から見捨てられるよ」とびっくりした関係者のほうが多いと思うんです。希望的観測かもしれませんが。

 問題は、そういう関係者が、妙に大人になって、「撤回したんだからいいよ」と黙ってしまうと、国民の多数は「ああ、藤野発言が本音なんだな」と感じてしまいませんかということなんです。だって、藤野発言を自分の周りの共産党関係者は批判しないんだ、そう受け取るわけですから。

 だから、この事態を打開しようと思えば、共産党関係者は、藤野発言を許さないという気持ちを、有権者に分かるように大声で発信しないとダメだと思います。共産党を愛するなら、そうすべきだと思います。

 まあ、この問題は、藤野さん個人の問題ではないんです。そういう発言が生まれる根源の問題があって、そこを克服しないと、同じようなことがくり返される可能性があります。それは、あまりにも大きな問題なので、このブログの続きにはふさわしくないかな。

 本日は、昼間に九条の会で講演して、夜は伊勢崎賢治さんのジャズを聴きに行って、気持ちよく寝ようとしていたんですが、寝不足になりそうです。

2016年6月24日

 来週の水曜日までです。今度の出張は忙しいです。

 まず、お会いする著者がお二人。お一人は工藤晃さん。言わずと知れた経済学者で、共産党の経済政策委員長を務めた方ですが、「遺書のつもりで書いている」と依頼された本があり、真剣に準備中。もうお一人は、東電に30年近く務めた方。どんな話になるかな。

 二か月に一度開いている東京事務所の会議もある。今回、通常の議題以外に、児童書の勉強をしたいということで、超大手の出版社で児童書を担当した元取締役の方に来ていただいて、お話を伺う。普通なら、こんな小さな出版社で政治の本を手がけている私と結びつくはずがないんだけど、フェイスブックで友だち申請をしていただいたのをきっかけに知り合った方で、ネット時代はいろいろあるんだなあと感じます。

 さらに、これも二か月に一度のペースで参加している福島の「生業訴訟」にも出かけます。そろそろ結審が見えてきていて、どんな判決が下されるんでしょうね。最後までいっしょに闘うという姿勢で臨みたいと思います。

 今回は、予定していた講演者が、沖縄4区選出の衆議院議員の仲里さんだったんですが、激戦となっている参議院選挙の選対責任者になったということで、8月に延期になりました。この忙しいときに、新しい人に頼むわけにもいかず、私が講演することになります。「出版の経験から見た野党共闘の意義と課題」です。

 それ以外、東京でも講演します。その他、「自衛隊を生かす会」によるドイツ調査の打合せなども。

 では、行ってきます。

2016年6月23日

 産経新聞デジタルiRONNAの常連執筆者みたいになってきました。こんな特集があるということでお誘いを受け、先ほど4000字ほどのものを投稿しました。月内には掲載される(OKなら)ということなので、中身はそれを読んでください。

 というか、OKにならない場合もありますよね。だって、民進党の消滅を論じてはいますが、消滅するのは「民共」共闘が成功しないときで、生き残るのは成功したときだといいうのが寄稿の趣旨ですから、真逆ですものね。載らなければ、このブログに掲載することにします。

 本当にそう思っているんです。民主党が政権の座から引きずり下ろされたのは、経済でも安全保障でも、自民党と変わらなかったからですよね。「やっぱり抑止力が大事」というのが、普天間基地問題で鳩山さんが変節したときの文句でした。

 戦後の日本って、アメリカの核抑止力に頼るというのが、究極の防衛政策でした。だから日本自身は、とくに防衛戦略みたいなものは持たなかったわけです。「専守防衛」といったって、抑止の一部を構成するものであって、実態は「専守防衛」からかけ離れていたのです。

 当時、野党が政権をとっても外交と安全保障の基本政策は変えるべきではないという考え方があり、共産党はそれに異を唱えていました。だけど、やはりソ連ってひどい国だったから、西側の価値観を信じる人たちの多くが、アメリカに頼るという思考に行き着いたのは、ある意味で自然だったと思います。

 だけど、冷戦が終わって、そこが変わっているわけです。テロの時代には抑止力は信頼できないということで、キッシンジャーやシュルツが主張し、オバマさんも何事かを考えた。

 そういう時代に、この日本では、相も変わらず「抑止力」が一番大事ということになっている。冷戦時代と同じように、抑止力が不磨の大典みたいになっている。

 その思考に民進党が立つ限り、老舗の自民党のほうがいいということになって、民進党の存在意義は出てきません。民進党には新しい出会いが必要なんです。抑止力の思考にとどまらない出会いがね。

 それが共産党との出会いだと思います。もちろん、両党が安全保障を議論しはじめると、すごいバトルになるでしょうね。だけど、何回もの決裂を生むような議論をやってこそ、戦後の日本に、はじめて日本独自の防衛戦略が誕生するかもしれません。

 まあ、詳しくは、投稿掲載の可否が決まってからね。