2016年5月26日

 沖縄で事件が起きると、いつも地位協定の話になる。今回、日本の司法が及ばない公務中の犯罪ではなく、かつ日本側が容疑者の身柄を確保しているので、地位協定が捜査の妨げになることはないが、それでも地位協定の改定が焦点となるのは、この問題に悔しい思いを抱いてきた県民の気持ちが爆発するからなのだろう。

 私自身は、地位協定の文面を見直すのは大事だと思うが、それよりも見直しを提起することすらできない日本政府の姿勢の問題が決定的だと、常々感じている。協定の文面の問題ではない部分が大きいというか、現在の日米関係そのものをなんとかしないと、文面がどうあれ屈辱的な事態になるというか、そういう感じだ。

 たとえば、2004年に沖縄国際大学で米軍ヘリが墜落する重大事故が発生した。その際、事故直後からアメリカ軍が現場を封鎖し、日本の警察は機体が搬出されるまで現場に入れないという事態が続いた。

 これって、公務中の事故だから、裁判になるとしても裁判権はアメリカにある。しかし、日米地位協定をどう解釈しても、アメリカ側の管理権が及ぶのは米軍基地のなかだけであって、日本の大学の敷地を米軍が封鎖するなんて、あり得ないことだったのだ。それなのに、日本政府はこれを容認した。地位協定をたてにして闘うことをしなかった。

 なぜ米軍は日本でこんなに横暴に振る舞えるのかと、よく聞かれる。しかし、同じような米軍事故があっても、かつてはそういうことはなかった。

 たとえば、1968年6月、米軍機(ファントム)が九州大学に墜落する事件があった。その時は、米軍が大学に入って封鎖するなんてことはしなかった。というか、そんなことは問題にもならなかった。

 九州大学は、米軍が機体の撤去作業をすることを拒否。機体は5カ月も大学に留め置かれ、10月になってようやく日本の機動隊4000名が入って、反対する学生を排除しつつ、米軍基地までもっていくことになったのだ。

 つまり、日本の領土なのだから、そして米軍基地のなかでもないのだから、そういうやり方が普通だったのである。米軍が機体の封鎖や搬送に関わることなど、誰も考えなかったのだ。

 ところが、アメリカの言うことには反発しない日本政府、それを見越して横暴に振る舞う在日米軍という構図が長く続くことによって、次第に、日米地位協定さえも踏みにじられるような日米関係が出来上がってきた。それが慣習といえるほどになってきた。

 要するに、何十年も経っているのだから、少しは自主的になるでしょうというのが普通の感覚だが、それが通用しないのが日米関係。何十年も従属している状態が普通になっているので、どんどん従属関係が深まっているというのが、日米関係なのだ。

 どこからどうやったらそれを断ち切れるのか。かなりの力業が不可欠なのだと思う。