2016年5月19日

 6月8日、上のタイトルで議論の場が設けられることは紹介した。伊勢﨑賢治さん、井上達夫さん、長谷川三千子さん、そして私の4人の議論だ。

 この企画の狙いについては、主催者が書いている。「憲法9条の「議論」を阻むものは何か 〜「6・8公開熟議」を企画したわけ〜」

 また、資金力のない主催者なので、ここで支援を呼びかけている。19日お昼現在、目標の34%程度だって。私からもご協力をお願いしたい。

 そこを見ていただければ出てくるのだが、この熟議に向けて、4人がメッセージを出した。私の分は、ここでも掲載しておくので、どちらかでご覧くださるとうれしい。

(以下、メッセージ)
 私が生きてきた狭い世界の話だし、もう賞味期限切れの昔の話でもある。だが、私のスタンスを理解していただくため、あえて書いておく。

 大学を卒業し(学生運動を続けるという目的だけのため社会学部を卒業したあと経済学部に学士入学までした)、1980年代、いわゆる共産党の青年組織である民青同盟の国際部長として活動していた頃のことだ。当時、すでに社会党と共産党の関係は壊れていて、共闘など問題外のことだった。しかし、青年運動の分野だけは、それ以前の遺産があって、国際関係の一部で共闘が存在していたのである。総評青年部とか社会主義青年同盟(向坂派)の代表と、時として会議をもって議論することがあった。

 とはいっても、親にあたる政党がケンカをしているわけだから、子どもが無事にいるのは簡単ではない。その親からは、「オマエが議論している相手は分裂を企んでいるのだから油断するな」という「指導」があったりもする。顔をつきあわせても、前提に不信感があるものだから、声を張り上げて批判をしあう場面が少なくなかった。

 ある時のことだ。不信感を前提にするのではなく、一度、相手も一緒にやることを望んでいるという見地で議論してみようと思う場面があった。具体的なことは忘れたけれど、相手の誠実さを感じたできごとがあったのだと思う。

 そうしたら、話が通じはじめた。それまで何か月かけても合意できなかった文書に、わずか数日で合意できたのだ。それ以来、少なくとも議論に応じている相手に対して、最初から不信感で接することはやめようと思った。

 今回のシンポジウムで議論する4人は、憲法観が大きく異なっている。同じだったら、わざわざ集まって3時間も議論する必要がない。異なっているからこそ議論が求められるわけである。

 けれども、憲法観は異なっていても、安全保障のことを真剣に考えるという点では、おそらく共通するものがあるのではないだろうか。その真剣さが憲法観への違いを生み出しているのだと感じる。そういう真剣さに共感できる方の発言というのは、学ぶところもあるし、真剣に聞きたいと思うし、敬意をもって議論できると考える。当日が楽しみである。(メッセージ終わり)