2016年10月11日

 昨日は、神戸市北区の九条の会が主催する講演会に参加。講演される憲法学者の木村草太さんのお話はまだ聴いたことがなかったのでね。500ある椅子が満席で、やはりテレビに出ている人は強いよねと感じた次第。

 お話は、かつての九条の会だったら、おそらく拒否反応が強かったものだ。反乱が起きていたかもしれない。それが素直に受け入れられていたから、九条の会も変わったというか、闘いは人を鍛えるというか、そんな感想を持った。

 だって、冒頭から、「戦争法というネーミングは間違いだった」ということから始まる。国連憲章で戦争はしていけないことになっていて、新安保法制もその枠内にあるわけだから、これを戦争法と呼んでしまったことによって、賛成派から「反対派は国際法のことを何も分かっていない」と批判される口実を与えたということだった。

 まあこれは、国際法上の戦争ということであって、常識的には日本がするのは戦争だから、常識から見たら「戦争法」もおかしくないとも言われていた。しかし、それだったら、62年前に出来た自衛隊法も「戦争法」であって、この新安保法制だけが戦争法でないことは、反対派がよく自覚しておくべきことだと諫めておられた。

 そういう面はあるよね。1999年に成立した周辺事態法のときも「戦争法」と名前を付けて反対運動を展開したから、賛成派から見ると「何回も戦争法が出来たけど、戦争は起こりませんでしたね。何故なんですか」と問われかねない。

 安保条約についても、いろいろなトピックがあると、「新段階を迎えた」と規定することが多いけど、いったい何段階あるんだろうということになってしまう。本質規定って、大事なことだ。

 木村さんの次のお話は、自衛隊はなぜ合憲かというお話。9条だけを見ていたら、誰も自衛隊を合憲だとみなせないことは明確で、これまでの自民党政府も同じだし、安倍政権だって変わりないことを強調された。

 それならなぜ自衛隊を合憲だと言えるかということで、木村さんが強調するのが憲法13条。自民党政府も安倍政権も、合憲の根拠はここだと指摘された。

 「13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

 国民には生命等追求の権利があるのに、侵略されたらその権利が奪われることになる。国家が、国民の権利が奪われることを黙って見過ごすことはできないわけで、9条と矛盾しても、権利を守るために必要最小限度の実力組織が必要になるという論理である。

 これは、13条という明文を持ってきて説明するかどうかは別にして、一貫した日本政府の論理ではある。過去、宮沢俊義氏などの憲法学者も、生命等の権利を擁護するため、侵略された際には「臨時の戦力」を持つのは合憲だと主張してきた。

 「臨時」に戦力を持つというのは、政策として合理性がないから(侵略に抗する軍隊を短時日でつくることは不可能)、あまり真剣味を持って議論されてはこなかった。だけど、「臨時」というと侵略される直前だというニュアンスがあるのでそう受けとめられがちだけど、その臨時の期間をもっと伸ばすという考え方もあるよね。生命等の権利のために必要である間は、あらかじめ戦力を持つ(必要でなくなったら廃止する)というような。

 戦力を持たないという9条の規定は、日本が侵略をした直後の情勢のなかで、それをくり返さないために構想された。戦後70年以上が経って、日本が侵略をしないという実績をつくりだしたわけで、それが今後も継続すると日本の人もアジアの人も思えるようになるなら、そういう考え方も、もっと精力的に議論されるべきだと感じる。

 9条の論議は、自衛隊合憲論も、加憲論も、新9条論も、もっと豊かに議論されるようであってほしい。その可能性を感じさせた昨日の講演会だった。

 なお、木村さんは、以上のようなこと自体を説きに来たわけでなく、そういう考えを踏まえても、新安保法制は間違っているよねと強調するのが講演の主題であった。念のため。