2016年10月25日

 昨日の続きです。ここに全文が載っています。

3、東南アジアでは「対日協力者」に否定的なイメージがない理由

 その問題を考える上で、「対日協力者」という言葉を取り上げてみましょう。この言葉が、韓国や中国では、侵略者であり支配者である日本に加担した人を指すものとして、完璧に否定的な意味で使われていることは論を俟ちません。両国では、日本の侵略や植民地支配を批判するのに、何の証明も不要です。
 しかし、では、東南アジアはどうなのでしょうか。たとえば、ビルマ史に詳しい根本敬氏は、『抵抗と協力のはざま』(岩波書店)で次のように語っています。
 「英国の植民地だったビルマでは、宗主国の英国や戦時中の占領者である日本に対し協力した政治・行政エリートが、そのことのために戦後にマイナスのイメージを背負わされたり、非難されたり、否定すべき記憶として国家によって強調されたりするなどの事実は見られない」
 我々は、中国であれ東南アジアであれ、日本は侵略した国家だという認識をもっています。その認識は正しいのです。しかし、同じ侵略であっても、独立国家である中国に対する侵略と、それ以前に欧米の侵略を受けて植民地支配されていた東南アジアに対する侵略とでは、おのずから性格が違っています。
 ここでは詳しく書きませんが、東南アジアの人びとのなかには、欧米による植民地支配から抜け出すために、新たな支配者となった日本を利用するというような思惑もありました。実際にも、戦争が終わって再び支配者として戻ってきた欧米を打ち倒すため、日本によっていったんは欧米の支配から脱した事実を利用したのです。そのため、東南アジアの人びとのなかからも、日本の戦争がアジアの解放につながったという声が生まれることがあります。
 日本会議は、そういう東南アジアの声を利用して、日本の戦争を肯定する見方を広げようとします。それに対して、日本の侵略を重視する人たちは、そういう声があることを無視したり、否定したりするやり方をとってきたと思います。しかし、その声があることは事実ですから、無視したり、否定するやり方では、日本会議の影響力を削ぐことはできなかったのだと思います。

4、光と影を統一した歴史の見方を提示することが大事だ

 これは、ほんの一例です。他にも同じような事例がたくさん存在しています。
 それらを貫くものは何か。単純化することになりますが、日本会議は、日本の歴史のなかの「光」の部分を取り上げ、それが日本の歴史の全体像であるかのように描いてきました。一方、それを批判する人びとは、「影」の部分を日本近現代史の本質であるかのように主張してきました。こうした構図のなかでは、国民世論というのは、聞いていて気持ちのよい「光」の強調のほうに傾くことになってしまったのだと感じます。
 日本の近現代史が、ただ影ばかりの歴史だったかというと、それは事実に反します。欧米がアジア全体を植民地にしようと企んでいたなかで、日本が独立を守り抜いたという一点だけでも、誇るべきことだと思います。ただ、その光も、みずからが朝鮮半島を支配することになったという影と密接不可分だということなのです。
 いま求められるのは、光と影を統一させる方法論だと感じます。著名な歴史学者である吉田裕氏も、次のように指摘しています(「戦争責任論の現在」岩波講座『アジア・太平洋戦争』第一巻所収)。
 「戦後歴史学は、戦争責任問題の解明という点では確かに大きな研究成果をあげた。しかし、国際的契機に触発される形で研究テーマを戦争責任問題に移行させることによって、それまでに積みあげられてきた重要な論点の継承を怠ったこと、戦争責任問題、特に戦争犯罪研究に没入することによって、方法論的な問い直しを棚上げにしたことなど、戦争責任問題への向き合い方自体の内に、重要な問題点がはらまれていたことも事実である。戦争責任問題を歴史学の課題としていっそう深めてゆくためには、この問題の解明を中心的に担ってきた戦後歴史学そのもののあり方が、今あらためて、批判的に考察されなければならないのだと思う」
 冒頭に紹介した『「日本会議」史観の乗り越え方』は、こうした指摘に学びながら、素人なりの問題提起としてまとめたものです。多くの方からご批判をいただければ幸いです。(了)