2016年11月30日

 昨夜、本日の裁判の焦点だとか、これまでの到達について、弁護団から記者相手のレクチャーがあって、たまにそれを聞いておかないと全貌が掴めなくなるので、そこから参加。本日の午前はゆっくりするつもりだったんです。

 ところが、昨夜のレクチャーに大学生が参加していて、生業訴訟をテーマに卒業論文を書くという。そして、そのために私の話も聞くことになっているということで、本日午前は2時間かけたインタビュー。その後、12時過ぎから裁判所前集会があり、1時過ぎから講演会があり(今回は泥憲和さんが講師)、終わったらすぐに福島駅→郡山駅→福島空港→伊丹空港ということで、ブログを書く時間も取れませんでした。飛行機の中で書いています。

 それにしても、生業訴訟って、学生が卒業論文の対象にしたいと考え、教授がそれを許可するというわけだから、意味のある訴訟だということを、少なくない人が感じ取っているんだね。私にとっても、純粋な学生から突っ込んだ質問をされて、自分の考えを整理するいい機会になりました。

 その学生から、二ヶ月に一度の裁判の度に私が色々な方を講師で連れてくるから、生業訴訟の広がりがあると言われているけど、何を考えてそうしているのかと尋ねられたんです。へえ、そうなんですか、という感じ。私は、やりたいことをやってきただけなんです。結果は広がったのかもしれないけれど。

 3.11が起きて、どうしても福島の人々の声を満載した本が作りたいと考えたら、そこに寄稿してくれた一人が相馬市のスーパー経営者でした。事故後半年経って浜通りを訪ねてお会いしたら、私のブログの愛読者だとわかったんです。その方が、現在、生業訴訟の原告団長で、弊社から訴訟関係の本をたくさん出すことになったのも、その関係。

 毎年、3.11には福島でイベントをすることを決意し、1年目は浜通りで伊勢崎賢治さんのジャズと蓮池透さんの講演をしたわけだけど、何のつながりもない中で、困ってしまいました。だけど、蓮池さんの本を出した時、この地の教職員9条の会から蓮池さんが呼ばれたことを思い出し、その関係者に実行委員会を作ってもらいました。

 その伊勢崎さんが2年目に福島高校で生徒たちに話す機会があって、この高校にジャズ研究部があるからいつか一緒にセッションをしたいと言っていたので、3年目の3.11ではそれを企画。そこであまちゃんの音楽の大友良英さんがジャズ研の部長だったことが分かり、できた伝で、生業訴訟の講演会にも来てもらえることになりました。

 これらはほんの一端ですけど、なんらかのことをやったら、それに結果がついてきて、どんどんつながりが広がっていくということを実感したんです。それに、弊社が普通に本を作りたいと声をかけても実現しないだろうと思われる方々が、国と東電の責任を追及する裁判で講演して欲しいと頼むから、意気に感じて引き受けてくれる。それを本にすることも了解してくれる。そういう意味では、私が広げたというのではなく、生業訴訟だから広がったということでもあるんです。

 この5年数ヶ月を振り返り、今後への意欲を新たにしました。いい卒業論文が書けるといいですね。

2016年11月29日

 本日から福島。ここ数日の東京出張の間、ほとんどを日米安保問題の議論に費やした。それを通じて、安保問題の認識の違いということを感じ、考え込んでしまった。

 本日午前にお会いしたのは、日米安保を根底から批判する立場の人である。今、そういう人たちの問題意識は、新安保法制を通じて、安保が決定的に危険な段階に到達し、かつ自衛隊もそれに組み込まれてしまったというものだ。

 確かに、対テロの問題を考えると、トランプ政権下のアメリカがさらに軍事力で制圧する路線を走り、日本を巻き込んでくる可能性はあるだろう。シリアとかアフガンとかで、何もしていないのは日本だけだろう、アメリカだけに任せるのかという圧力をかけて。新安保法制下の安倍政権がそれに屈していくことは目に見える。

 一方、日本周辺の問題を考えると、別のことが見えてくる。中国とか北朝鮮とかのことを考えると、アメリカが危険な道を進んで日本が巻き込まれると心配する人は、おそらくほとんど存在しない。どちらかといえば、北朝鮮が暴走した時とか、中国が拡張主義的にやってきた時、アメリカが何か助けてくれるだろうかという思いで見ている人が多いのだと思う。

 さらに、日米軍事一体化という視点で見ていると、そこにしか目がいかないけれども、日米安保の全体像は、そこからだけでは論じられない。トランプさんがアメリカの国益第一を貫く場合、中国との協調路線に踏み切る可能性は小さくない。ましてや尖閣問題でアメリカが中国と軍事的にことを構えることは想定できない。そういう場合、もはや日米関係を「同盟」と表現できるのかが怪しくなる。

 あるいは、日本が軍事的役割を増大させることについて、反対派はそれをアメリカ従属下の「一体化」として危険視するが、賛成派はそれを日本の自立につながると評価し、推し進める。日米同盟のもとでの日本の自立というのはありうることなのか、絶対にないのか。そのあたりの議論も十分ではない。

 日米安保をめぐる問題が現実に複雑化しているのに、旧来型の安保観に捕らわれている人が少なくない。かくいう私も、じゃあ、それら複雑な問題を説明しきれる日米安保論というのは、持ち合わせていない。ここをなんとかしないと、説得力あるものを提示できないんだろうなあ。ここ数ヶ月、その作業が続く。

2016年11月28日

 来年はロシア革命100年ということで、企画の売り込みもあるし、自分としても出したい本がある。ということで昨日、そのご相談だった。

 ここ数年、社会主義者の間でのトレンドは、マルクスは正しかったのにレーニンがそれを歪めたというものだ。レーニンが間違わなければマルクスは正しく理解され、いまも高い生命力を誇ったであろうというもの。

 しかし、それは逆だろうと思う。いま少しでもマルクスの名前が残っているのは、レーニンのおかげである。レーニンがロシア革命を成功させたから、マルクスの主張が現実の歴史の中で証明されたということになり、マルクスの名前が特別の存在として残ることになったわけだ。マルクスにできなかった革命ができたというだけでも、マルクスはレーニンを超えられない。

 もし、ロシア革命がなかったとしよう。もしかしたら、マルクスの主張は誰からも改変されることなく、マルクスの主張のままで正しく残ったかもしれない。だけど、それって、誰もマルクスに注目することもなく、解釈を加えるほどの魅力もない存在として生き続けたということに過ぎない。

 そう。ロシア革命がなければ、マルクスは、オーウェンやプルードンなどの同程度の、何十人もの思想家の一人として記憶されるだけだったろう。本当にその方が良かったのか。 

 革命とか変革を望まない立場なら、それでもよかろう。あるいは、革命とは正しい思想が残り、広がって達成されるものであって、権力を握ることは関係ないという立場なら、それでもよかろう。

 しかし、目の前にツアーの専制政治があって、苦しむ人々がいて、戦争が開始されていて、そこを打倒するチャンスがあったとして、まだ権力を握るほどにはロシアは到達していないという立場を取るのだろうか。そこから逃げたとしたら、革命家として許されないことだ。

 権力を行使する際に、たくさんの誤ちがあったことは事実だ。例えば市場経済をどう評価するかという問題もその一つ。当時の文献を読んでいると、社会主義で貨幣がなくなるのはあまりに当然と考えられていて、その単純さにびっくりするほどだ。

 しかし、社会主義と市場経済というのは、今でもなおマルクス主義者の間で論争がある問題で、マルクスをちゃんと読んでいれば間違わなかったという問題ではない。

 それに、レーニンだって、権力を取ってそこにまっすぐ進んだわけではない。当初の目論見とは異なり、余儀なく「戦時共産主義」を採用し、「共産主義ならこうだ」ということで、市場経済の否定に進んでいった。

 それをレーニンのせいにして、マルクスは正しかったのになどと言っても、何の意味もない。マルクスは正しかったという人は、例えばいま、自分が日本で権力を取ったとして、株価をどうするとか、金利をどうするとか、正しい答えが出せるのだろうか。それとも権力を取るほどには、まだ成熟していないと言うのだろうか。

 本日は国会図書館関係。ではまた。

2016年11月25日

 変なタイトルですよね。これ、1月26日(木)に弊社が中心となり、私の講演会を開くんですが、そのタイトルなんです(午後6時半から、場所は二条城の北にある社会福祉会館)。

 もともと『「日本会議」史観を乗り越える』の本を出したので、その出版記念講演会をやろうということで準備されていたんです。だけど、講演会の直前(13日かな)に『対米従属の謎」(平凡社新書)が出ることになって、それならまとめてやってしまえということです。

 異なる出版社から出たものをまとめてやるのも(しかも一方の出版社の主催で)、異なるテーマの問題を合わせて講演タイトルにするのも、かなり違和感はあります。まあ、だけど、どういう日本をどういう手段でめざすのかという点では、そこに流れるのは本質的に同じものなので、なんとかなるでしょ。中途半端な中身にならないよう、気をつけなくちゃね。

 本日から5泊6日の出張です。まず東京。工藤晃さんの本が最後の追い込みに入っているので、そのご相談。来年のロシア革命100年に向けた企画の議論もしてこなければなりません。

 弊社に来年1月から採用する方との面談もあります。またこうやって東京事務所で勤務する人が増えてくるので、これまで一堂に集まってやっていた会議を、東京と京都を結ぶテレビ会議にすることになって、私の持っているお古のテレビを東京まで運んで設置するという、零細企業っぽい仕事もあります(液晶テレビは軽い!)。

 自衛隊を生かす会の『新・日米安保論』出版に向けた呼びかけ人の鼎談もあります。私がやるのは、司会というか、話が脱線しすぎないような仕切りだけですけど。

 その後、来週の火曜日から福島です。いつもの生業訴訟。今回、自衛隊の南スーダン派遣問題があるので、講演は泥憲和さんです。

 ということとで、いつものように忙しいです。ではまた、来週に。

2016年11月24日

 平凡社から電話があり、1月発売が決まりました(新書です)。当初、2月か3月かという話だったのですが、トランプさんの当選で風向きが変わったというか強まったというべきか。就任式のある20日に向けて書店に積んでおこうということになったんでしょうね。

 本の帯も、当初は、本のタイトルを語るにふさわしい著名人による推薦文を考えていましたが、これも変わりました。そうです、トランプさんの顔写真を持ってきて、「日米関係の岐路にどう臨むべきかを提唱!」みたいなものになる予定です。

 タイムリーと言えばそうなんですが、もともと、この時期に出そうと思ったのは、大統領が誰になるのであれ、選挙と就任と初期の演説などを通じて、日米関係が世論の争点に浮上すると思ったからです。それで私としてはこの本を出すし、「自衛隊を活かす会」の3人の呼びかけ人による本も別の出版社から予定しているんです(こっちは『新・自衛隊論』に続く『新・日米安保論』というタイトルかな)。

 以前は、日米関係をめぐって、それなりに摩擦があり、国民のなかにも議論があったと思います。思いやり予算が導入される時だって、政府のなかにも多少は理不尽だという思いがあって、苦渋の選択だったわけです。ソ連が崩壊した時も、最後は安保再定義ということで日米関係に変化はなかったわけですが、当初、細川内閣が多角的安全保障を模索した時期もありました。

 安全保障だけではありません。以前は、よく「通商摩擦」とか「経済摩擦」とか、「摩擦」という言葉が使われましたよね。安全保障の場合、強いアメリカに頼るということになるのは日本政府の思考過程として理解できるんですが、経済面では国益をかけてやらないと日本経済の存立にかかわるわけで、「摩擦」が生まれる程度には日本もがんばった局面があったということです。でも、ここ10年ほど、「摩擦」は死語になってしまっていましたよね。対米従属は時間の経過とともに深まるばかりなんです。

 トランプさんの登場は、ここを変えるというか、議論するきっかけになると感じます。おカネの面でも安全保障の面でも、これ以上は無理というところまで日本はアメリカに奉仕しているのに、トランプ大統領が「国益第一」で日本に攻勢をかけてくるわけですから、日本の姿勢が問われてくる。攻勢をかわそうとかいうのでは、手ひどいダメージを受けるでしょう。四つに組まなければならない状況が生まれるわけです。

 『対米従属の謎』は、その「謎」を分析することによって、どうやったらアメリカと四つに組めるようになるのか、それを提唱したものです。注目されるといいな。