2017年2月23日

 前回の記事につけ加えて言えば、法的な決着がついたとしても、補足的、追加的な措置をとることはあり得ることだ。法的な決着がついた時点では問題にならなかったことが、その後判明して大きな問題になることがある。慰安婦問題が1965年の条約締結時には知られていなかったことかといえば微妙であるが、大きな問題でなかったことは事実だろう。だから、そういう場合、のちに何らかの措置を取ることはあり得る。

 けれども、そういう場合に取り得る措置は、あくまで補足的なものである。法的な決着はついていないから新たな枠組みをつくるというものではなく、法的な決着に追加するものである。そして、一昨年末の日韓政府合意は、そういう性格のものだったと考える。日本政府が「責任」を認め、反省とお詫びを表明し、全額を日本国民の税金で支払ったのだから。

 それなのに問題は解決していない。では、どうするべきか。私の考えはこうである。

 日本政府の側は、この問題で心から責任を認め、反省し、お詫びする立場を貫くことである。慰安婦の側は、日本政府が法的な責任を認めるかどうかを争点にせず、心からのお詫びを求め続けるという一点で団結することである。

 対立構図でいうと、こんな感じにすることだ。「心からお詫びができない日本政府」VS「法的責任は決着していないと考える人々」+「法的責任は決着しているが何らかの措置は必要だと考える人々」。

 だって、慰安婦の方々が求めているのは、「心からのお詫び」でしょ。そうじゃなかったんでしょうか。それと法的な決着が混同されてきたことに、問題がいつまでも解決しない原因があったと思います。

 安倍さんに「心からのお詫び」をしてもらうことって、本当に大変なことですよ。この連載でも書いてきたように、侵略と植民地支配を推進してきた末裔なんですから。国家の指導者として法的な決着をすることはできても、心を入れ替えるなんて、簡単なことではないんです。

 実際、戦前の日本がヒドいことをしたという心を安倍さんが持つことは、やはり困難なことでしょう。だけど、少なくとも、跪いたブラントさんのように、心を感じさせることはできると思います。

 具体的に言えば、一昨年末の合意で表明したことを、あの日一回限りのこととせず、どんな場合にも貫くことでしょう。折にふれて、あの中身を語るべきです。安倍さんは「あの合意で不可逆的と書いている」ことばかり口にしますが、「責任」「反省」「お詫び」こそ何回も語っていくべきでしょう。すでに表明済みのことですから、できるはずです。

 そして、慰安婦の側は、法的決着を求めるのに固執しないことです。決着済みと考える人との連帯を図るべきです。そうすれば、日本でも韓国でも、幅広い人々の連帯が実現するはずです。

 問題は、慰安婦像ですよね。それは明日の最終回で。(続)