2017年10月7日

 完璧な行き違いがありまして、二日間、記事をアップできませんでした。倒れていたわけではないので、ご安心を(誰もそんな心配していないでしょうけど)。穴埋めに、休日ですけど本日と明日の二日間、記事を書こうかな。

 本日、午前中は仕事をして、午後は京都平和委員会の拡大理事会に参加していました。重要議題として改憲問題への対応があるということで。仲間内ではなく、圧倒的多数の層にどう訴えるのかという問題意識の会議です。

 最初に発言を求められたので、『「改憲的護憲派」宣言』を書いた趣旨みたいなものを述べました。他の方から、それに対してそれぞれ意見が表明されました。最初の議論でもあるので、もちろん結論を出さないことは前提でしたから、とくに反論して議論を深めるようなことはしていません。

 ただ、そこで、ある方から、「新書みたいな長いものは誰も読みません。一言で、ぐっとくるような言葉が求められるのでは」とのご意見が。そこで私が提示したのが、このブログ記事のタイトルです。

 日本平和委員会の代表理事をしておられる内藤功さんの『憲法9条裁判闘争史』(かもがわ出版)のあとがきでの最後で、内藤さんが悩みながら加えたのが、このフレーズでした。私が出版社に入って最初につくった本『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』のタイトルがもとになっているんですけど。

 内藤さん、自衛隊違憲の裁判をずっと闘ってこられた方ですから、このフレーズでは本当に悩まれたんです。「自衛隊を愛す」とまで言うと、自分の信条との関係が問われるので、それは言えなかったんですが、ここまでならと決断されたんですね。この裁判で内藤さんは、自衛隊が専守防衛からはずれてアメリカの侵略に加担させられる軍隊になっていることを告発していましたから、そういう自衛官の苦悩を共有しておられて、この発言になったのだと思います。

 自衛隊を憲法に明記するのかが問われる国民投票のことを考えると、このフレーズは、とても大事になるような気がします。自衛隊違憲論を代表する内藤さんがここまで言ったということを、護憲運動、平和運動がどう活かせるのかが問われます。

 私としては、これが護憲派の標語のようになってほしい。「私たちは自衛官をあいしているんです。だから9条はこのままであってほしいんです」という訴えを国民の前でどれだけの規模で、どれだけ心から言えるかが、国民投票の結果を左右すると思います。

 もちろん、運動団体ではなく、政治団体は、この程度にとどまっていてはいけないんですけどね。どうでしょうか。