2017年10月11日

 昨日の続きです。この第一審判決は、3800人からなる原告の訴えにできるだけ寄り添おうとした判決だと言えると思います。手元にある判決要旨を見ながら考えたことを少し。

 原状回復(0.04μSv/h以下にする)義務は認められませんでしたが、弁護団の馬奈木事務局長が紹介したように、判決のなかでは「(その願いは)心情的には理解できる」とされているそうです。認められなかったのは、「被告らに求める作為の内容が特定されていないから、民事訴訟として不適法」(要旨)ということでした。実際、原状回復のために何が必要なのか、科学的に解明されていません。逆に、原発事故というのは、それが発生すると元に戻せない被害をもたらすことを意味しているのだと思います。

 この判決が原告に寄り添っていると思うのは、次のような箇所があるからです(要旨)。

 「人は、その選択した生活の本拠において平穏な生活を営む権利を有し、……社会通念上受忍すべき限度を超えた放射性物質による居住地の汚染によってその平穏な生活を妨げられない利益を有しているというべきである。
 ここで故なく妨げられない平穏な生活には、生活の本拠において生まれ、育ち、職業を選択して生業(なりわい)を営み、家族、生活環境、地域コミュニティとの関わりにおいて人格を形成し、幸福を追求してゆくという、人の全人格的な生活が広く含まれる。」

 そうなんです。原告団が掲げている「生業」という言葉も引用し、原告の権利を認めているんですね。そして、原告が権利主張できるのは、たんに空間線量の高低だけではないことも示唆しています。そのことによるストレスなどもあるわけですから、その点も考慮しているのかもしれません。

 「放射性物質による居住地の汚染が社会通念上受忍すべき限度を超えた平穏生活権侵害となるか否かは,侵害行為の態様、侵害の程度、被侵害歴の性質と内容、被害行為の持つ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較検討するほか、侵害行為の開始トその後の継続の経過及び状況、その間に採られた被害の防止に関する措置の生む及びその内容、効果等の初犯の事情を総合的に考慮して判断すべきである。」

 非常に重要なのは、避難を強制された区域だけではなく、福島市や郡山市などに居住している人の権利も認められたことでしょう(会津は認められなかった。逆に茨城県の一部は認められた)。福島県の150万人に権利があるということです。2900人に権利があると認め、その総額が約5億円ですから、150万人が次の提訴に加わると、500倍になって2500億円ということでしょうか。

 さらに大事なことは、福島にとどまった人にも避難した人にも、同等の権利があるとしたことです。昨日の報告集会にも、日本に各地から避難者訴訟の当事者が応援にかけつけてきました。とどまった人と避難した人の分断が指摘されていますが、生業訴訟はその分断を克服する役割を果たしているのだと思います。

 それに、この生業訴訟、受け取った賠償金をプールして、賠償金をもらえなかった人にも平等に分配するそうです。そもそも、福島のどこに住んでいるか、いたかに関わらず、一律で月5万円の賠償を請求しているわけで、被った精神的苦痛は平等だという思想に立脚しているところもすごいと思います。

 判決要旨に目を通しながら、さらに頑張りたいなと思いました。明日まで東京です。