2017年10月24日

 中国共産党大会が閉幕しました。習近平主席の思想を褒め称える党規約改正をしたんですってね。ヒドいことだと思いますが、毛沢東と並んで党規約に明記されることを考えると、なんだか正しい措置のようにも思えます。毛沢東は文化大革命で何千万人も犠牲にしたわけで、習近平もそれ並みだということですからね。お似合いですよ。

 はやく党大会が終わらないかとばかり願っていました。報道される時は、「社会主義の強国」にするんだとか、中国こそ共産党と社会主義の象徴だみたいに伝わるわけですから、コミュニストを自称する私としてははらわたが煮えくりかえるような日々でした。

 まあ、昔からそうだと言えばそうなんですが、共産党や社会主義って、そういうものだという観念が染みついていますよね。いや、一般社会だけじゃないんです。私が共産党に勤めていた頃のことですが、「共産党の支部長だ」という人から電話があって、政策についていろいろ解説したんです。それが終わって、いろいろ共産党のことについて苦情を述べ始めて、最後に言ったのは、「社会主義とか共産主義はコワいものだから、そういう言葉を使わないでくれ」ということでした。たいていのことは、「そうですね」と受け答えする私ですが、さすがにそのときは、「あなた、ホントに共産党の支部長なんですか」と聞き返してしまいました。

 あるいは、ある著名な経済学者で、「赤旗」にも登場するような人が、中国の現状について講演していて、それを聞いたことがありました。その方がおっしゃるのは、中国はいまや共産主義どころか資本主義的で、いやいや新自由主義なんだと規定していました。そして、「社会主義らしいところも残っているんですよ」というから、何かなと思ったら、「一党独裁を堅持しているところです」だって。

 しかも、もともと遅れた国だったから、仕方のない面があるとしても、少しずつでもよくなっているんだったら、まだいいですよ。だけど、時間の経過とともに、どんどん人権弾圧が激化していて、一党独裁が深まっているんですからね。

 まあ、だから、一般の市民だけでなく、共産党内部でも、いま紹介したようなことになるんですね。これを乗り越えるには二つしかありません。

 一つは共産党が名前を変えることですね。あるいはコミュニズムの訳語を「共産」から「共同」とか別のものに変えることです。

 もう一つは、中国は社会主義とは違うのだ、あるいは社会主義のの正反対のものだというキャンペーンをやることです。一党独裁であっても社会主義なんて、マルクスなら絶対に規定しなかったと思うんですけど、どうなんでしょうか。