2017年10月19日

 北朝鮮はエネルギー不足を理由に80年代半ば、ソ連から黒鉛原子炉を導入する。これを稼働させると兵器用のプルトニウムが出ることになるので、NPTに加入することが条件だった。しかし、90年代初頭になってようやくNPTの査察を受けてみると、北朝鮮が申告したプルトニウムの量と合わない。どこかに隠していることが想定された(北朝鮮の名誉のためにつけ加えると、査察する側の現在の能力では、疑いは指摘できても断定まではできないそうだ)。

 それが大問題になって騒動になったのが、いわゆる第1次核危機である。南北会談で北朝鮮が「ソウルを火の海にする」と宣言し、アメリカの側は軍事態勢を強化した。その経過のなかで、アメリカの軍事作戦計画(5027)が明らかになり、北の挑発があればそれに反撃するにとどまらず、ピョンヤン占領まで含む5段階の作戦であることが分かってくる。そんな作戦をすると100万人の死者が出るという米軍内部の想定も出てきて、韓国大統領がクリントン大統領に軍事対応の中止を求めるなどのこともあった。

 すったもんだの末、米朝の外交対話が始まり、紆余曲折を経て生まれたのが、いわゆる「米朝枠組み合意」である。名前からして奇妙だが、中身もなかなか理解が難しい。北朝鮮とアメリカが、同時並行的に何をしていくのかが書かれている。

 北朝鮮が当面おこなうのは、黒鉛原子炉を停止し、生産したプルトニウムを将来的にアメリカに引き渡すために、アメリカの援助を受けてプルトニウムを安全に保管することである。

 方やアメリカがやるのは、黒煙原子炉の代わりにプルトニウムを生まない軽水炉を2基提供し、それが建設されるまでの間、原油を毎年50万トン供与することだ。軽水炉建設のために朝鮮半島エネルギー機構(KEDO)が設立され、日本もその30%の費用を負担することになる。

 ただ、こうやってお互いの約束を遂行していくのだが、軽水炉を最終的に動かせるようにするためには、北朝鮮が隠していると思われたものも含め「すべて」のプルトニウムを明らかにし、引き渡すことが条件になっている。「同時行動」の考え方はこうやって生まれたのだ。

 この合意を履行するため、アメリカの外交官に率いられた実務家のチームが北朝鮮入りし、数年にわたってプルトニウムを8000本のステンレスの缶に入れるという作業を行った。アメリカの外交官が北朝鮮の地を踏むのは半世紀ぶり。朝鮮戦争で戦い、その後も敵対し続けてきた両国の間には、想像を絶するような壁があったわけだが、合意をつくり、それを履行してきた人々(米朝ともにである)の努力には、いまでも頭が下がる思いだ。

 これで朝鮮半島の非核化が実現すれば、米朝の和解も実現したはずである。2002年には小泉首相が訪朝し、日朝平壌宣言で合意したので、核・ミサイル・拉致を包括的に解決し、日朝の国交正常化にも向かうはずであった。

 こうした合意をつくるため、アメリカの側は思い切った行動に出た。まだブッシュ大統領の時代だったが、91年9月、地上発射戦術核兵器、巡航ミサイルを含む水上艦艇と攻撃型原潜の戦術核兵器を、平時には撤去し、一部を本国で保管すると発表したのである(ヨーロッパ配備航空機搭載の戦術核兵器を除く)。これは韓国から核兵器を撤去するという意味であった。実際その後、韓国大統領が「もう韓国には核兵器は存在しない」と宣言し、南北会談が行われて朝鮮半島の非核化をうたうことになる。

 ところが、いまでも真相には不明な点が多いが、日朝平壌宣言の翌月、アメリカが北朝鮮の高濃縮ウラン計画への懸念を伝えたところ、北朝鮮がそれを認めたとされる。プルトニウムを引き渡す一方、別の核計画が進行していたということで、アメリカもその他の国や国際機関も猛反発するなかで、米朝枠組み合意が崩壊する。なお、北朝鮮の側からも、軽水炉提供の作業が遅れていることに対してたびたび批判がでていたこと、その点では、合意の履行という点で、質的には違っても双方に問題があったことは指摘しておく。

 北朝鮮にとっては、他の誰よりもアメリカとの関係が重視されていて、米朝交渉は大事なもののはずだったのに、それが崩壊した。それに替わって誕生したのが、いわゆる6者協議である(日本、中国、韓国、ロシアが加わる)。その協議のなかで、朝鮮半島の非核化が合意されるなど貴重な成果も生まれたが、協議の途上、北朝鮮が核実験に踏み切り、これも暗礁に乗り上げることになる。

 そういう経過をふまえ、今後のことを考える必要がある。現在の核・ミサイル問題を対話で解決せよと言われるが、どういう対話ならそれが可能なのか。果たしてそもそも可能なのか。防衛的な備えは不要だと言えるのか。明日はその点を。(続)