2018年2月7日

 ディープな連載中ですが、昨日から別の連載を開始しました。それは、あとの連載記事のウェブメディアへの公開が本日朝だと聞いたからなんですが、しかしまだアップされていないようなので、きのうの頭出しに止めて、本日は別記事です。

 この映画(原題は「若きカール・マルクス」)、昨年2月にベルリン国際映画祭で公開され、その後、劇場公開されたもので、日本では4月28日に公開が予定されています(岩波ホール)。東京出張の昨日、この試写会が松竹映画本社の試写室であるということで、招待されていた池田香代子さんに誘われて観てきました。

 一言で言えば、マルクス、エンゲルスをふつうの人間として描ける時代になったんだなという感想を持ちました。否定的な意味ではなく。だって、誰もがふつうの人間なんですから。

 例えば、この2人の出会い、最初はよそよそしいもので、2回目に意気投合したって言われていますよね。映画でのその2回目は、理論的に意気投合するんですけれど、同時に無茶苦茶飲み明かして、マルクスは完全にダウン。翌朝、妻のイェニーはエンゲルスに対して、「夫は飲み過ぎると何日もお酒が残って仕事ができないんですから自重してください」とくってかかるんです。実際にそんな場面があったかどうか知りません。しかし、これまで理論面での意気投合ばかりに気を取られていましたが、まだ20代の2人のことですから、こんな場面がないとかえって不自然ですよね。

 マルクスとイェニーのキスの場面、裸で抱き合う場面もしょっちゅう出てきます。まあ、あれだけ子どもを産んだんですから、そこがないのも不自然。どうせなら女中をはらませたことも描かなければならないけれど、映画は30歳までのマルクスだから、事実には忠実なのか。

 その他、バクーニン、プルードン、ヴァイトリング、ルーゲ等々、キラ星のような人びとが登場します。それらに対してマルクスが批判をくわえ、決別していく様子も含めて。「お前のように批判ばかりでは仲間が増えないぞ」と言われながらね。ホントこの人、「頭はいいが友だちにはしたくない」筆頭だよねと思わせるところもリアル。

 だけど、産業革命を通じて社会に大変動が生じたあの時代、苦しむ人びとをどう助けるのか、若者同士がハチャメチャと思わせるくらい遠慮会釈なく議論することが必要だった時代でもあると思うんです。「万国の労働者団結せよ」という『共産党宣言』のスローガンだって、いまでは労働組合があってその必要性を疑う人はあまりいないけど、あの時代、何の体験もなかった労働者がそれを自覚するのは至難の業だったでしょうから。

 それにしても、昔なら、マルクスやエンゲルスを映画で取り上げる際には、各国の共産主義運動と無縁に論じることは難しかったと思います。どう扱っても、共産党に賛成したり、反対したりする勢力のプロパガンダと位置づけられたでしょう。

 それが映画にできるようになった理由の一つには、ヨーロッパで共産党が消滅した事情があると思うのです。政治から自由に、あるいは歴史上の出来事として、マルクスを論じられる時代になったということです。だとすると、共産党が強力な日本でこの映画が受け入れられるには、もう一歩、踏み越えるべき壁があるかもしれません。でも、多くの若い人に観てもらって、マルクスを自由に論じてほしいと感じます。

 池田さんには来週、別の試写会にも誘われました。「女は二度決断する」という評判の映画なんですけれど、またちょうど出張中なので、行こうかな。