2018年2月22日

二、ノルマ達成へ競争と分断を生む制度

 裁量労働制というと、労働時間にだけかかわる制度ととらえられがちだが、けっしてそうではない。裁量労働制の拡大を提案した労働基準法研究会の保原喜志夫氏も、「単なる時短の次元を超え、労働保護制度の根幹に触れる性質のもの」「広く仕事の仕方、企業運営の基本的な仕組みにさえ関わるもの」(「労働基準法改正の動向と論点」『労働法学研究会報』第1900号所収)とのべている。どの点が根幹にかかわるのであろうか。

<ノルマの達成を最大の基準とする制度へ>

 労務行政研究所は、2年まえに裁量労働制を導入した6つの企業の調査をおこない、その結果を公表した(『労政時報』第3037号)。それによると、各企業に共遁する裁量労働制導入の重要なねらいの一つが、「『仕事量(労働時間)=賃金』から『仕事の質(成果)=賃金』への意識改革を図る」ことであるとされている。

 つまり働いたのが何時間かでなく、ノルマにもとづき、どれだけの成果をあげたかを基準にして賃金を払う方向への転換として、位置づけているのである。裁量労働制のもとでは、労働者の実労働時問は意味を失うわけであるから、そういう側面がおのずからつよまるのは避けられない。裁量労働制と年俸制の導入がワンセットですすむ企業が多いのも、そのためである。

 このことは、いま日本のホワイトカラーにおそいかかっている大「合理化」攻撃と、不可分にむすびついている。日経連は、昨年5月に発表した「労働力・雇用問題研究プロジェクト最終報告」において、「ホワイトカラーの生産性向上は、今後いっそう、企業の重要なテーマとなってこよう」とのべていた。

 日経連常務理事の成瀬健生氏は、「会杜全体として業績を維持しながらホワイトカラーの人数を減らすことができれば、これは明らかにホワイトカラーの生産性向上と判断できる」として、「ホワイトカラーについては常に人員削減の努力をすべきだ」と主張している(「ホワイトカラーの生産性向上が鍵」『労働法学研究会報』第1900号所収)。

 裁量労働制は、こうしたホワイトカラーの「合理化」にとって、きわめて都合のよい制度である。なぜなら、ノルマの達成が賃金支払いの基準になれぱ、ノルマの達成できない労働者は、達成するまで何時間でも残業するか(これも生産性向上につながる)、能力のないものとして切り捨てられるかの選択を、迫られるからである。

 労使協定でみなされた時間内に仕事が終われる労働者にとっても、この制度は過酷な結果をもたらしかねない。労働時間について上司から直接の命令をうけない場合も、今月にあるノルマが達成できれば、来月はそれを超えるノルマが課されるからである。労働基準法研究会の渡辺章氏も、「成果目標にだけ課されて、尻を叩かれるようになると、際限のない労働になる。次期の成果は今期の成果にプラス・アルファされた目標になる。予想された成果を上げるために、日に夜を継いで達成に努める」(「40時間労働法制への検討課題」『ジュリスト』第1009号所収)ことになると認めている。

 こうして労働者は分断され、ノルマの達成をめざす競争が激化する。マルクスは、成果にもとづき支払われる出来高賃金について「一方では、労働者たちの個性、したがって自由感、自立性、および自制を発展させる傾向」があるとして、裁量性につながるような規定をおこないつつ、「他方では、彼ら相互の競争を発展させることになる」とのべたことがある(『資本論』第1巻九五〇頁・新日本新書版)。裁量労働制も、本質的には同様の問題をかかえるものである。

<実証されている長時間労働と過労死の強要>

 裁量労働制のこのような問題が、労働者に過労死をふくむ過酷な状態をもたらすことは、すでに実証されている。

 国立公衆衛生院の上畑鉄之丞氏は、過労死したもののうち労働や身体状況の完備している203人の調査をおこなった(『総合臨床』第40巻第6号)。このうちホワイトカラーは107人であるが、その内訳はきわめて衝撃的である。一番多いのは、事業場外の「みなし時間制」が適用され、ノルマの達成が基準となっている営業販売職(39人)であった。裁量労働の「みなし時間制」が適用される記者・編集者(15人)も多く、合計で5割をこえる。技術職(28人)のいくつかも、裁量労働制とかかわると推測される。

 このような結果が生まれるのは、「みなし時間制」では長時間労働が恒常化する傾向があるからである。営業職にかんする東京都立労働研究所の調査(『営業職の労働時間管理』)によると、通常の場合と同様に残業すれぱ残業手当が出る労働者の場合、月平均残業時問は33・5時間となっている。これにたいし「みなし時間制」をとっている場合、つまり残業時間におうじて手当を払うのでなく、残業時間の長短にかかわらず一律に「営業手当」などで処理する場合、月平均の残業時間は51・1時間から68・5時間の範囲となっている。上畑氏の先の調査によると、過労死したホワイトカラーの7割以上は、月50時間以上の残業をふくむ長時間労働を強いられており、「みなし時間制」をとる営業職の残業時間の数字と一致することは象徴的である。

 「みなし時間制」の場合に長時間労働が固定化するのは、すでにのべたように、ある月にノルマを達成すれぱ、その次はもっと大きなノルマが課され、そのことがくりかえされるからであると推測される。このノルマの増大は、いまの日本のホワイトカラーをとりまく重大問題の一つとなっている。都立労働研究所は80年代、技術革新のもとでの労働・職場の変化にかんして4つの調査をおこなったが、その分析を試みたある医学者は、「主としてオフィス労働者に関して得た結論」として、つぎのようにのべる(「職業性ストレスと『過労死』の社会学的パースペクティブ」山崎喜比古『社会学と医療』所収)。

 「最も広範にみられた第一の変化は、仕事量が増えた、あるいは人手不足傾向が強まった、仕事の範囲が広がった、責任が重くなったというものである」「変化の第二は、企画判断など頭を使う仕事や創意工夫の余地は拡大したというものである」「すなわち、仕事の自由裁量度は大きくなったかも知れないが、職務上の要請・圧力は少なくともそれ以上に強まった。つまり、職務上の要請・圧力は仕事の自由裁量度が大きくなったことのポジティプな影響を相殺して余りあるほどに強まった」

 こうして労働者に裁量性をあたえ「やりがい」を植えつけつつ、ノルマを増大させていったのが、80年代の企業のやり方であった。この論者は、分析の結論として、過労死をもたらす現在の労働者のストレスを、「ノルマストレス」と名づけている。

 裁量労働制は、このやり方を合法化するものであり、無制限に適用されるなら、ホワイトカラーをさらに過酷な状態に追い込むことになるであろう。

<労働基準法の適用除外となる危険はらむ>

 裁量労働制の重大な問題の一つとして、労働基準法の適用を除外する労働者の範囲をふやそうとする動きとのかかわりが指摘できる。

 5月10日、労働基準法研究会は、つぎの労基法改正にむけた報告を労働大臣に提出した。これはきわめて多面的な内容をふくむものだが、そのなかに「労働契約等法制の適用及び当事者」の項がある。ここでは、現行労基法のもとでの労働者慨念が、使用者の指揮監督下で労働するものと解釈されていることを紹介しつつ、「指揮命令や拘束性といった労働者であることを特徴づけるような要素の少ない者が増加している」「裁量労働により就労する場合には時聞的拘束度が小さい」とのべられている。

 つまり、裁量労働制の適用される労働者は、労基法による保護があたえられる労働者とは、完全には一致しないというのが、労働基準法研究会の考えなのである。

 この報告は、「労働者性の判断については、当面、昭和60年の労働基準法研究会報告『労働基準法の労働者の判断基準について』により運用することが適当」としている。ここでふれられている昭和60年(1985年)の報告では、つぎのようにのべられていた。

 「『労働者性』の有無は『使用される=指揮監督下の労働』という労務提供の形態……によって判断される」、「業務の内容及び遂行方法について『使用者』の具体的な指揮命令を受けていることは、指揮監督関係の基本的かつ重要な要素である」、「勤務場所及び勤務時間が指定され、管理されていることは、……指揮監督関係の基本的な要素である」

 これは、勤務時間が管理されていなければ、指揮監督関係の基本的な要素がなくなり、したがって労働者性の基本的要素もなくなるという論理である。裁量労働も、労基法で「当該業務の遂行の手段及ぴ時問配分の決定等に関し具体的な指示をすることが困難」とされているのであるから、裁量労働にたずさわる労働者には、労働者性の基本的要素が欠如している、したがって労働基準法の適用もできない、ということになりかねない。

 労働基準法研究会のメンバーが、すでにのべたように、裁量労働制を「労働保護法制の根幹に触れる性質のもの」と規定したのは、このような背景があるからである。(続)