2018年2月28日

 本日は朝からずっと外に出てきました。もうすぐ東京事務所まで戻ります。記事を書く余裕がないので、本日のメルマガに書いた内容をアップします(以下)

 もうすぐ7年目の3.11がめぐってきます。みなさんはその日、どう過ごされる予定でしょうか?

 私はこれまでと同様、その日は南相馬市にいて、午後2時46分、市役所の追悼式でお祈りを捧げてから、あわてて東京経由で京都まで戻ってきます。9日から福島に入り、私が関わっている生業訴訟の第二次提訴行動に参加し、原告団長と「あまちゃん」の音楽で有名な大友良英さんの対談を聞き、翌日は弊社の福島本にも関係するイベントをやった上で、飯舘村を経由して浜通りに入って、いろんな場所を見てきます。全国からのツアー客といっしょにです。

 3.11が起きた2011年、当然、他の出版社も同じですが、福島関連の本をたくさん出しました。しかし、それでは飽き足らない気持ちになり、秋頃になって、「自分は1年目の3.11をどう過ごしているのだろう?」と考えるようになりました。その時、3.11はどうしても福島で、福島の人と一緒に過ごすんだという気持ちになったのです。

 そこで、浜通りで講演と音楽のイベントをする計画を立てました。そのため、弊社の著者でもあるお二人に声をかけたのです。

 一人は蓮池透さん。福島第一原発の三号機、四号機の保守管理もされたことがあって、弊社から『私が愛した東京電力』という本も出されており、福島の人びとを前に謝罪の心を伝えたいということでした。

 もう一人は伊勢崎賢治さん。世界の紛争現場で活躍する方で、3.11の直後に原発から数キロの場所に一人で入り込んで調査し、危険だからとして誰も支援に行かない福島に国際紛争に関わるNGOを派遣していました。プロのジャズトランペッターでもあるので、浜通りの人びとに音楽の癒やしをと考えたのです。

 出版につながらない企画なので、会社に負担をかけるわけにはいきません。そこで旅行社と相談して全国からツアーを組織し、自前でやることにしました。

 それからずっと、3.11は同じように過ごしてきました。時として本になる企画も伴うようになったので、最近は、私の旅行費用は会社持ちになっています(ありがたい)。

 もう7年目なんですね。3年目頃までは、3.11の前になると、いろんな出版社が関連本を山のように出していました。書店も独自のコーナーをつくりました。でも3年目頃からは、書店のコーナーは西日本ではなくなり、次第に東日本でもなくなりました。いまでは福島だけでしょう。それにつれて、出版社も関連本を出さなくなりました。当然でしょうね。もうからないわけですから。

 そのなかで、弊社だけは、ずっと福島の本を出し続けています。10日の福島市で開催するイベントで並べる新刊本は二つです。

 一つは、『しあわせになるための「福島差別」論』。著者が14人もいるので紹介できませんが、当日は、そのなかから清水修二さん(元福島大学副学長)と池田香代子さん(ドイツ文学翻訳家)が参加します。そういえば池田さんは、このツアーに2年目からずっと参加しています。

 この本の特徴はどこにあるのか。それは、福島から避難している子どもたちが「放射能がうつる」などといじめられていることに象徴されるように、7年経ってもなお存在する福島に対する差別と分断は、いったいどうしたら乗り越えられるのかという問題意識で編まれたことです。

 そのために本書は、第一に「それぞれの判断と選択をお互いに尊重する」こと、第二に「科学的な議論の土俵を共有する」ことを提唱しています。そして、何よりも福島の人びとがしあわせになることを基準にして、どうすればいいのかを考えようと主張しています。

 これは言葉にするのは容易いことですが、実際にはそう簡単ではありません。私も毎年の福島ツアーのなかで、福島にとどまっている人たちと、福島から避難している人たちとを、どうやって同じ場についてもらい、議論してわかり合えるかという企画を模索してきましたが、これまで一度も実現しませんでした。

 しかし、京都で開かれたこの本の出版記念講演会(主催は市民社会フォーラム)には、弊社から『母子避難』という本を出してくださっている森松明希子さん(郡山から大阪に避難)が参加し、いっしょに議論をすることができました。もちろん、お互いが理解し合ったということではありませんが、貴重な一歩になったとは思います。

 もう一冊は、まだ書店に並んでいませんが、『広島の被爆と福島の被曝──両者は本質的に同じものか似て非なるものか』です。著者は斎藤紀さん(医師)。10日のイベントにも参加されます。

 齋藤さんには、1年目のツアーを実施する準備で秋に福島に行った時、偶然知り合いました。それから6年余、ずっと本を書いていただきたいと懇願してきましたが、ようやく現実のものとなりました。

 齋藤さんは医師になってすぐ広島に行き、被爆者の研究と治療に携わってきました。被爆者を原爆症に認定させるための各種の原爆訴訟でも中心をにない、40年間の人生をそれに捧げてきたわけです。10年前、余生を過ごすために福島に来て、7年前、3.11に遭遇することになります。それ以降はずっと、原爆集団訴訟に関わりながら、福島の被災に向き合ってきました。

 そうなんです。広島の被爆と福島の被曝をもっとも深く知っているのが齋藤さんなんです。深く知っているだけに、問題が単純ではないことも経験で知っているわけです。たとえば、どちらにも共通するのが、線量で被害者を分断する思想。広島で被爆者に向き合っていると、ついつい「もう少し線量が高ければ原爆症に認定されたのに」と思ってしまう心の倒錯。だから、必要なことだと自覚しつつも、これまで筆がとれなかったわけです。

 そんな理不尽さと闘い抜いてきた著者でしか書けない本です。帯に「生涯をかけて被ばく問題に挑んできた著者だからこそ論じられる両者の関連と区別」とあります。是非、ご一読を。

 ということで、長くなりました。弊社は引き続き、福島問題と深く関わっていきます。『福島が日本を超える日』というのは、生業訴訟のなかで誕生した2年前の本のタイトルですが、苦しみのなかで成長する福島の人びとこそが、日本を変えていける力を蓄えているというのが私の実感です。是非、その道のりを読者のみなさんとともに歩んでいきたいと思います。