2018年2月8日

 ここまでは前置きである。本稿で論じたいのは、村本氏の尖閣諸島の領有権に関する誤った認識のことだ。

 村本氏は、一連のやり取りのなかで、尖閣を「明け渡す」と言明したのに続いて、沖縄についても同じかと問われ、「もともと中国から取ったんでしょ」と主張したという。さすがに番組後のツイッターで、「沖縄は中国だった、ってのは……咄嗟の拡大解釈でした、反省」と述べたというが、尖閣についての認識までは撤回していない。尖閣は「中国から取った」ものだという認識のままなのであろう。

 進歩派を自称する人びとの一部によくあることだが、安倍政権と対峙しようとするあまりなのか、日本と周辺諸国(中国、韓国、北朝鮮)が対立する問題が存在するとき、とくに深い検証もないまま周辺諸国側の見解を支持する人がいる。慰安婦問題しかり、核・ミサイル問題しかりである。

 尖閣もそういう問題の一つになりやすい性格を持つ。安倍政権の立場と違うと強調すれば、それだけで批判者としての役割を果たせると勘違いする人がいるわけである。

 しかし、これも前置きで書いたことと性格は同じだが、普天間の辺野古移設を推進しようとする人びとのなかには、翁長知事や家族の中国との「親密な関係」をでっち上げ、「このままでは尖閣は中国に奪われる」とあおり立てることにより、辺野古移設の世論を高めようとする考え方もあることだ。「尖閣の領有権は中国の言う通り」ということを、沖縄を代弁するように思われている人が主張するのは、それだけで翁長知事を窮地に追いやることなのである。

 領有権問題というのは、「どっち寄り」のような政治的配慮で左右される問題ではなく、国際法上の厳密な検討によって決められるべきものである。沖縄に寄り沿う気持ちがあるなら、中国寄りととられる発言をする際には、多少なりともその根拠については突っ込んで検討すべきであろう。そうでないと、村本氏の意図とは異なり沖縄に迷惑をかけるものになりかねないことを、まず警告しておきたい。

 さて、尖閣の領有権問題である。尖閣がもともと中国のものだったと発言する人は、日本人のなかにも存在する。学者のなかにもいる。だから、そのような言説を目にした村本氏が、「もともと中国から取ったんでしょ」と考えるに至った事情があることは理解する。

 そんな言説の中でも代表的なのは、尖閣の存在についての認識では、日本より中国のほうがずっと古かったとする主張である。例えば、『順風相送(じゅんぷうそうそう)』という中国の航海案内書とされるものが存在し、中国の船が琉球(沖縄)との間を行き来する際、尖閣を目印にしていたことが分かる。これが書かれたのは16世紀とも15世紀とも言われている。

 一方、当時の日本人の手によるものでは、18世紀後半に林子平があらわした『三国通覧図説』(1785年)がもっとも古いとされる。中国側文献よりずっとあとのことだ。

 琉球の人びとが書いたものも含めると、『琉球国中山世鑑』や『指南広義』など、さらに古いものも出てくるようになる。しかし、それでも17世紀や18世紀初頭のものであり、中国に適わないことに変わりない。しかも、当時の琉球は、中国(明)との間で冊封関係にあり、これらを日本側の文献と言えるかでも議論の余地がある(とはいえ、村本氏は「沖縄を中国から取った」という言明を撤回しているので、冊封関係をもって琉球を中国領だったと認識しているわけではないだろうから、その議論にここでは深入りしない)。

 こうして、尖閣「発見」の時期を見ると、どうしても中国側に軍配が上がるのだ。村本氏のような考え方が生まれるのには、それなりの背景がある。

 しかし、である。もし、「発見」が領有権を決める基準であるなら、アメリカはいまでもスペインのものであろう。ところが、アメリカはその後、イギリスが領有することになり、現在ではアメリカ合衆国のものになっている。なぜそうなっているのかを考えてみれば、日本が尖閣を「中国から取った」ものでないことは、一目瞭然になるのである。(続)