2013年8月2日

昨日、橋本元首相らの言葉を紹介した。この言葉をどういう内容にするかについて、政府や「アジア女性基金」のなかでいろいろな議論があったことは、よく知られている。

その評価は難しい。「人道的謝罪ではダメだ」という人は多い。しかし、少なくとも、慰安婦問題にかかわる市民運動が擁護している「河野談話」の線に沿ったものだとはいえる。

だから、市民運動としても、安倍首相に対して、「この内容を口にしてはダメだ」というのではなく、「せめてこの線で言葉を発するべきだ」と要求することは、道理に適ったことだと考える。それによって、慰安婦の方々の気持ちが少しでも癒やされるなら、市民運動としても喜ぶべきことではないか。

同時に、この線で謝罪を表明することは、何よりも安倍さんにとって大事だと考える。だから安倍さんには真剣に考えてほしいのだ。

日本政府とか大使館は、慰安婦像を設置するなと要求する際、政府としての取り組みを説明しているそうだ。おそらく、先の総理大臣の言葉とか女性基金について話して、努力しているのだからと強調するのだろう。

だけど、そういう説明をするなら、「だから慰安婦像は設置するな」ということにならないはずだ。何人もの総理大臣が、「おわびと反省」を慰安婦に対して表明しているのであって、慰安婦像の設置はその趣旨に沿ったものであるので当然歓迎している、除幕式には招待してほしいという論理になるべきものである。

それなのに、「設置するな」というから、慰安婦の事実を認めたくないのだとか、「おわびと反省」などしていないではないかとか、そう思われるのである。完全に筋を読み違えている。

「河野談話」とか「村山談話」とか言われれば、ハト派や社会党を嫌ってきた安倍さんの沽券に関わるかもしれない。しかし、歴代の自民党の総理大臣と同じ言葉で語れということだったら、安倍さん、何とかならないのだろうか。

昨日の産経新聞の報道では、引き続き、慰安婦像の設置がアメリカで計画されており、20箇所ぐらいに達する見込みのようである。その全てで今回と同じようなことになったら、アメリカの世論は安倍さんを追い詰めることになるだろう。それって、長期政権をねらう安倍さんにとって、歓迎したくない事態のはずである。

しかも、麻生さんのナチス発言もある。これを挽回しようと思えば、並大抵の言葉と行動では無理だ。安倍さんが次の慰安婦像の除幕式に出て、像に跪いて、この言葉を述べるならば、世論に大きな変化をもたらすだろう。

だから、私は引き続き、安倍さんには除幕式への出席を求めていきたい。市民運動にも、問題点を批判するのだけではなく、安倍さんに具体的に何を求めるのか、具体化してほしいと思う。