2013年8月7日

ところで、ドイツがやったことと日本がやったことと、どこが違っていて、どこが同じなのか。この点は、よくよく考える必要がある。そこにある程度は通じる論理があったから、自民党は野党の追及をかわせたし、長期政権をになうこともできたのだと思う。

まず「侵略」については、罪の深さ、広さに変わりはない。その点は、最初にも書いた通り、国連憲章で一括して「侵略政策」をとった国々とされているわけであって、国際的にも共通の了解が存在している。共通してないのは、侵略の定義を勉強していない安倍さんとその取り巻きだけだ。

だから、ナチスと日本という比較が問題になった場合、自民党はすぐに「ジェノサイド」はしていないと言ってくるわけだが、それには乗らないことが大事である。議論の土俵を「侵略政策」に引き戻すのだ。

ただし、その際も、自民党は、他国に軍隊が行った点は同じだが、行った先でナチスのようにユダヤ人全滅をめざすようなことはしていないと言う可能性がある。しかし、まず殺害した「量」には違いがない。また、戦争遂行過程での殺害は、それが純粋に軍事目標に限られていれば問題にはならないが、日本の場合、戦争の邪魔になる他国の人びとを無差別に殺害したりするにいたったわけであって、欧米では「ジェノサイド」のおぞましさへの嫌悪感の方が強いだろうが、日本側の行為の「質」がましといえるものではない。「質」の違いは、侵略政策の罪の深さには影響をしないのだと考える。

では、そのジェノサイドにかかわる問題はどうだろうか。まず、日本がジェノサイドを肯定したり、推進したりしたわけではないことは、自民党の主張する通りであって、それは認めてあげてもいいと思う。

けれども、そういう政策の根底にある他民族に対する蔑視という点では、ほとんど変わらないものがあったのだと感じる。吉田茂のように、対米開戦に反対した人物であっても、満州の支配のためには邁進したし、その過程で書いたものなどを見ると、これほどまでに侮蔑的な表現をするものかと思わせるものがある。

実際に植民地として支配するにいたった朝鮮民族のことを考えると、それはいっそう明瞭になる。どこかで書いたことだが、他民族に言語や姓を押しつけるなど、何千年ものあいだ交流のあった国に対する所業としてはありえないことだ。ドイツがフランス人にたいして、ドイツ語とドイツ名の使用を強制することを想像すれば、それだけで分かることである。

そういう他民族蔑視が、ナチスのように「全滅」政策にいたらなかったことをどう評価するのか。あるいは、なぜナチスがそこまで行き着いたのか。それはそれで、諸科学が解明してほしい問題だと思う。

ただ、慰安婦問題をはじめ、日本が「人道に対する罪」を犯したこと、その罪は、「ジェノサイドの罪」や「侵略の罪」とならんで、国際刑事裁判所規程の4つの罪を構成していることは、疑えないことである。ジェノサイドをしてないという言い訳が、日本がその他の罪を犯していないということにつながるようなものなら、それは容認できないということになるだろう。

って、まだ書きたいことがあるのに、上中下が終わってしまった。明日のタイトル、どうしようか。