2013年8月21日

 今年は目立って多かったですよね。映画だけでも、「少年H」とか「風立ちぬ」とか。話題になっていたので、私もしばらくぶりに観に行きました。戦後68年もたつというのに盛況だというのは、国民のなかの平和への意識が少しずつ自覚的になっていることの反映なのだと思います。安倍さんも大変ですね。

 さて、作品の評価がいろいろ話題になっているけれど、私にとっては、観た方の反戦意識、平和への意識が少しでも高まるなら、それはいい作品です。上記の映画2作品も、そういうものであると思います。

 ただ、小説も含め、この夏のベストは何かというと、映画ではありませんでした。浅田次郎の『終わらざる夏』が良かった。理由はいろいろあります。

 まずテーマ。占守(しゅむしゅ)島の攻防をめぐる最後の戦いをクライマックスに、それに向かう過程を描いたものです。

 占守って、ワープロのかな漢字変換では出てきませんね。そういう場所になっているんだなあ。千島列島の最北端、カムチャッカ半島の目と鼻の先です。第二次大戦までは日本人が暮らし、営業していた場所です。

 これをテーマにすること自体が難しい。日本が戦った太平洋戦争の中では「異質」なものだからです。過去の国会での議論を思い出します。

 昔、国会で、日本の戦争は侵略戦争だったかどうかが、ずいぶん議論されました。細川さんが総理大臣になるまでは、侵略戦争だと答弁する首相はいなかったわけです。羽田さんが「侵略行為はあった」と認めたりしましたけど。

 そのなかでも記憶に残るのは橋本龍太郎さん。日本の戦争といっても、いろいろな種類があるではないか、対中国戦争は侵略だと認めるよ、だが対米戦争はどうなのか、とりわけソ連との戦争はどうだと反論してきました。日ソ中立条約をやぶり、ソ連の側から戦争をしかけてきたのだから、侵略したのはソ連の方だと答弁したわけです。

 あの戦争のなかから、対ソ戦争だけをとりだせば、それはまぎれもない事実です。だから、そういう戦争を主題にすれば、当然のこととして、ソ連の「非道」が強調されます。日本の侵略は主題にはならない。

 それが分かっていて、これを主題にしたことに、浅田次郎の決意のようなものを感じました。主題がそうであっても立派な反戦小説にするのだぞというような。

 大戦終盤のソ連の参戦は、どういう意味でも非道なものでした。終戦直前の満州への侵攻もそうですが、千島への攻撃は、日本がポツダム宣言を受諾し、戦争が終わってから1週間ほどあとになって開始されましたので、どうやっても言い訳ができない。

 たとえ日本がおこなった戦争全体の性格が侵略であっても、個々の部分について相手側に違法性があれば、当然のこととしてそれを糾弾しなければなりません。だから原爆投下とか東京大空襲とかを、左翼陣営もずっと批判しているわけです。

 個々の問題であっても違法は違法だと位置づけ、批判することは、戦争全体の違法性をあいまいにすることはありません。かえって、違法性批判の道理をつよめると思います。

 ところが、千島占領の非道というものは、領土問題とかかわって理論的には明らかにされましたが、小説のような形で出ることはなかった。それに挑戦したということが、まず大事だと思います。(続)